はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(12)ユダヤ歴史博物館へ
- 2019年 8月 22日
- カルチャー
- 内野光子
ハーレムからアムステルダムに戻り、ユダヤ歴史博物館に向かうことにしていて、中央駅前の14番のトラムに乗る。地図を見れば先日、ガイドさんと回った市役所、ワーテルロー広場とそんなに離れてはいない。博物館の周辺は、かつてのユダヤ人街だった。ナチスの迫害が始まる前には、アムステルダムのユダヤ人人口は14万人だったのが、大戦後は3万人に激減したという。
夕食は、中央駅近くの中華料理屋さんで、海老の料理と焼きそばとチャーハンをシエアしたが、美味しかったのにやはり残してしてしまった。午前中のハーレム行きとあわせて、この日、2万814歩。
案内書とユダヤ関係施設の共通チケット、ただ、私たちは、閉館時間のこともあって、ユダヤ歴史博物館の「1900年~現代」の部分しか見ていない。どこも、かしこも時間不足なんだなあ、と。
展示は、様々工夫されていて、各コーナーには、かつての写真や実写の動画が編集されていて、操作一つで見られるようになっている。比較的裕福なユダヤ人が多かったというアムステルダム、その日常生活が、突然中断されて、収容所での恐怖に直面する市民の姿が、強烈な印象となった。噴霧器の写真には、かつての敗戦直後の暮らしを思い出させられた。東京池袋で焼け跡のバラック店舗で暮らし始めた私たちは、こうした噴霧器でDDTをかけられた経験はなかったが、この噴霧器とアースの殺虫剤や平たい円形の容器をパクパクさせるDDTの噴霧器、よく使いもしたし、実家は薬屋だったのだ、よく売れた商品だったのである。
続くシナゴーグ、アムステルダムには、ユダヤ人だけを特定区域に集めたゲットーは設けられなかった、という。
初出:「内野光子のブログ」2019.8.21より許可を得て転載
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〔culture0853:190822〕
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