参議院選挙の総括 その1
- 2019年 8月 23日
- 評論・紹介・意見
- 小島四郎
(編集部注:全体が長文のため、今日・明日の2回に分載します)
参議院選挙は多くの教訓を残して終わった。そして8月1日には第199回臨時国会が開催され、新たに当選した人々が登院した。メディアはこぞって「バリアフリー国会幕開け」との見出しをつけ、新人で重度の障がいのある二人の登院を祝った。これは凄い事だ。「津久井やまゆり園事件」で殺された障がい者たちが生きていたら、どんな思いでTVを観ていたであろうか。二人にはこれから6年間、議員として当事者意識を貫いて、頑張ってほしい。
政府や自治体は「障がいは個性」「障がい者にやさしく」を常々公言している。しかしいつも彼らは口先だけである。腹がたつことが多い。昨年暴露されたた障がい者雇用数のかさ上げ問題は、民間企業以下の醜悪な姿が露わになった。参議院もご多分に漏れずバリアフリー化などの対策を怠ってきた。今回は、政府や行政が言っていることと、していることの矛盾、対策の遅れある事を示し、二人が参議院に対応を急がせ実行させたことに意義がある。
あるメディアは「れいわに投票した人は、自分の一票によって二人が当選し、これがきっかけで国会が変わったと実感を持っているだろう」と感動していた。感動するのは自由だが、「国会が変わった」とはどういうことなのか。
大げさな表現で参院選の教訓を矮小化し誤魔化さないで欲しい。これをもってして「国会が変わった」と言い切れるだろうか。褒めすぎではないか。メディアはトリビアルな所、話題性のある事柄をさっとなぞっていくだけではダメだ。
参議院はかつて<良識の府>と呼ばれていた。予算案の先議権・決議権・条約の承認などで参議院に優先する衆議院とは担うべき役割が少し異なる。衆議院から送られる法案を憲法次元からまた国際関係や歴史関係からよく検討吟味し、時の政権の思惑からできるだけ自由であることを院の基本としてきた。
しかし、この間参議院はその役割を全うしてきたと言えるか。 2016年8月8日の天皇アッピール(これを一部の人は「おことば」と言う)に続く、17年の「退位に関する特例法」の成立。そして本年5月1日の元号改定と新天皇徳仁の即位。10月には即位礼正殿の儀、11月の大嘗祭と即位の礼が打ち続く。こうした象徴天皇制による憲法違反さながらの行事の連続と位相の大転換について、「主権在民」・立憲主義の立場からどれほどの論議が参議院で交わされたであろうか。退位・即位に関して「政局にするな」という大島衆院議長辺りから恫喝と自民党の数の力に押されて両院は論議を回避してしまった。情けない話だ。せめて参議院だけでも大島発言を問題にし、退位・即位について論議をたたかわせる矜持を持って欲しかった。「国会が変わった」との表現は、こうしたいわば参議院の無用論が説かれる状態を変えるために使用して欲しい。
憲法「第一章 天皇」を論議せよ
作家の丸山健二は「天皇制のことを論議するいい機会だったのに、マスコミはほとんどふれなかった」。改憲問題で「論議すべきは憲法9条ではなくて、1章(天皇)ですよ」と憤怒を込めて語っていた。
丸山の指摘は当たっている。天皇制は戦後二度の<退位と譲位>を迎えた。そして明仁は自分の意思で退位と象徴天皇制の永続化と退位後身分の新設を計った。この挑戦に対して、参議院や衆議院、つまり国会が思考を停止し沈黙している時に、本来ならば世間を突き動かし国会を覚醒させる努力を行うのが、「権力の監視者」としてのメディアの役割じゃないか。でも眠り込んでいた。明仁夫婦の行幸啓の回顧と徳仁の成育・結婚の話でお茶を濁していた。コラムに登場する学者たちも当たり障りのない慰労と祝いの提灯論文しか書かなかった。と言うよりそんな物しか依頼しなかったのだろう。
憲法第一章の論戦は全く組織されずに終わった。こうして安倍政府は早々と国会論議を潰し、誰が何の有識者なのかの説明も充分にしないまま日本会議系の人間を忍び込ませた有志懇談会を立ち上げた。安倍政権は、そこでの合意事項を政府案として「退位に関する特例法(案)」を国会に提出し可決された。
5月1日の改元時には、安倍政権もメディアも若者たちも、新年カウントダウンさながらの騒ぎを繰り広げ、渋谷スクランブル交差点には「れいわ、れいわ」とはしゃぎまくる若者がいた。この様子を紹介したフランスTV局の司会は奇習を観た感じで笑っていたのが印象的であった。一体、どうしてこんな騒ぎが起きたのか。昭和から平成への代替わりには無かった現象である。論議がないという事は、人々から考える力・批判力を奪い、権力者が思いのままに操作できる衆愚状態を可能にする。
本来ならば、天皇制廃止を綱領にまで明記していた日本共産党が、こうした思考停止や沈黙に異議を唱え舌鋒鋭く迫るのだが、今やお前も<向こうか>と言いたくなる有様である。志位書記長は「2004年の綱領改定で現行憲法の全条項を遵守する立場に変化した」ので即位賀詞の意を示すのは「当然だと」、古参の共産党員が卒倒しそうな事を述べていた。
「全条項を遵守する」という立場から、明仁が2条と4条に関して重大な違反、政治権力への介入という違憲的行為に走ったことに対する批判はないのか。明仁は安倍と同様に壊憲をしているのだ。志位は憲法読みの憲法知らず、不破哲三から始まった人民的議会主義の完成者にして転向者だ。
また野党第一党の立憲民主党も、「令和デモクラシー」なる愚劣なビラを作る暇があったのなら、弁護士先生が腐るほどいるのだから人権擁護の立場から憲法25条に従い退位=平民化の道を提起するなどの政策を提起しろよ。国会には天皇制に異議申し立てをする党派はいない。新しく国会に議席を持った「れいわ」もN国党も同列だ。悲しいかなゼロ行進が続いているのである。
この国会風景を見て、安倍はにんまり微笑んだ。参院選での天皇即位論争を回避できたし、即位の礼を「国民」がこぞって祝い、来年の東京オリ・パラリンピックにおいて、徳仁をオリンピック名誉総裁の名で登場させる舞台は整った、後は自分が日の丸を背にして国威発揚の万歳三唱を演じるだけだと。だが、そう簡単に行かないことを、選挙の結果は示したのであった。
消えた焦点と焦点ではない焦点
丸山が喝破したように、選挙の本来的焦点は、九条と「第一章 天皇」の在り方を巡った憲法の可能性と限界を問うものであった。それが既成政党のネグレクトの結果、①改憲勢力の三分の二議席獲得を阻止するのか、②憲法論議以前の消費税増税や年金問題へと矮小化され、焦点ではあっても核心ではない事柄が論議の前面に出てくることになった。こんないささかボケ気味の選挙戦では、相手をどれだけ罵り数で圧倒するかが勝敗だと言わんとばかりに、選挙戦が始まるや否やいきなり顔面パンチの応酬となった。安倍は改憲問題を放り投げ野党共闘批判に熱中し得意技の暗黒の民主党時代を持ち出し毒づき、他方野党も九条と安全保障という論議を忘れて増税反対や年金問題を全面に押し出す戦術をとったが息切れし、立憲などは令和フィバーに頼る情けない状態だった。
選挙中盤からは、山本太郎の「貧困層」への切り込みやN国党のSNSを利用した選挙運動などの新生事物の動きも活発になったが、全体に低調なメリハリのない選挙戦であった。
メインテーマが隠された中でも、人々は眼を凝らし思考を重ねていた。それを選挙の結果にまで結び付けた。東北4県や新潟、そして滋賀や沖縄での野党共闘の勝利は、争点の重要性からして、安倍政権の終末が遠くない事をはっきり示した。
天皇制問題と選挙
明仁は在位当初から公的行事という名の下に行幸や行幸啓を繰り返していた。公的行事とは、天皇の「行為」を定めた憲法第七条にはない行為であり、憲法違反の疑いが非常に濃い。それを繰り返してきた彼が、2016年8・8アッピールをもって、憲法違反へとはっきりと踏み出した。
現憲法で否定されている天皇の「国権に関する権限」が実質的意味と機能を持ち、動き出した。天皇が国権の権限を持てないのは、大元帥として戦争を指揮した天皇への人びとの懲罰であり天皇制存続の国際的約束であった。明仁自身は敗戦後の親父の様子を見ており、「権限」否定の経過について深く認識しとても用心深くその回復の機会を狙っていた。
そして決断した。明仁は自分の高齢を理由に「象徴天皇制の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくこと」のために退位し代替わりをしたいと主張し、天皇の戦後タブーに踏みいったのだ。
彼は、第5条の「摂政を置く」ことにあくまで拒否した。安倍首相は、天皇の意志を否定する可能性を形式的にもった有識者会議を組織して人々の口と耳を塞いだ。そして提出されたのが「退位に関する特例法(案)」であった。明らかに天皇が政府を動かし皇室典範の検討を促し法の制定に至らせたのだ。これが「国権に関する権限」の行使と言わずして何と言うのか。
そもそも象徴天皇制が「安定的に続いていく」のかどうかは主権者である「国民の総意」で決めるべき事柄なのだ。「国民」でない天皇家の当主があれこれ口を挟むことではない。
巷間で囁かれている改憲・安倍VS護憲・明仁天皇という図式は真っ赤な嘘だ。安倍も明仁も壊憲派である。対立していると思えるのは、反安倍の期待を込めた親天皇派の庶民感情にすぎない。
戦後史をふり返れば、47年に裕仁天皇はマッカーサー占領軍最高司令官に沖縄の占有を保障した「沖縄メッセージ」を議会も経由せずに送っているし、また50年のサンフランシスコ片面講和の際に安保条約と行政協定(後の地位協定)を結ぶことを天皇は米国ダレスに確約している。(以上は『昭和天皇の戦後日本』から)つまり戦後二代の天皇は、憲法をいざとなったら勝手に破り、護憲の立場など取っていない。彼らは今でも戦前の様な元首として振舞っているのだ。それが公的に明らかにならないのは、主権者たる「国民」の眼を恐れ、その背後に戦争で死んだ2300万人がいるからである。
どこかでいつか、天皇(の一族)の「日本国」の私物化を止めさせなければならない。憲法第三章の世界へ天皇とその一族を人間として解放せねばならない。
投票前日に考えたこと
私は棄権を考えなかった。例えメイン・シーンが政党やメディアの思考停止と沈黙によって削除されていても投票を諦めなかった。ただ17年の総選挙で希望の党から排除された阿部知子や枝野や辻元清美らが急遽創った立憲民主党を応援した時の熱気は体から失せていた。
17年の総選挙後の立憲は中間層の分裂を阻止することを政策の基本にしていた。<違うでしょう>と小言を伝える機会もあった。格差は拡がり中間層が分解し貧困層(橋本健二は貧困階級の誕生と規定している)が1000万人に達している、政治の光をそこへ集中すべきだと。選挙中に立憲から出て来たのは「令和デモクラシー」の愚劣なビラであった。
一方、山本太郎が面白い、街頭演説が凄いとの話は聞いた。資金カンパも三千円とか五千円とかの細かい単位を重ねて3億以上集まったとも聞いた。彼の街頭演説をYouTubeで観ると、若者たちに「死にたくなるような世の中、やめたいんです」とアジリ、貧困は自己責任ではない政府の責任だという主張には頷けたし、パフォーマンスとしても魅かれた。貧困の中で何かを希求する人々はここに集まってくるかもしれぬ。既成政治に不満を抱き新しい変化を望んでいる人たちも集まってくるかもと思った。しかし、絶対に譲れない所があった。それは「れいわ新選組」という団体名である。
山本は今次選挙に背水の陣で臨んだ。何としても3億以上のカンパを集め10人立候補者を立てて政党要件をかちとるために人気が高くかつ話題性のある言葉を見つけ出し団体名にする必要があった。ここまでは分かる。だが選んだのが新元号と白色テロルの新選組だ。政治的に最悪な選択じゃないか。天皇制に迎合するとは。共謀罪反対や山谷などで山本は何を見・感じていたのか。裏切られた感じであった。
山谷に来たこともある山本にとって貧困層と貧乏人は同じなのか。日雇い労働者と非正規労働者の間には、貧困という共通性は有っても、抱えている怨念は違うだろう、山本は彼らがどんなルサンチマンを蓄積していると想像したのか。貧困の責任は政府にあると断言するが、政府に責任を取らせる仕方はいろいろあるのではないかと、妙に挑発的気分にもなった。
元号とはなにか。「万世一系」の血筋を誇り生まれた時から敬語を浴びて育ち、貧困と格差に無縁な世界で生きてきた天皇が人々の時間を支配するためのシステムである。こうした元号の名の下に、貧困層を糾合しようというのか。
貧困層と天皇制にどんな関係があるのか。貧困の敵が政府だとすればその上前を掠め取りつつ、政治支配を権威付け、腐った現実を隠蔽し美化するのが天皇制だ。彼らはこの国を自分のものだと錯覚している。政府が敵なら天皇こそ最深の敵だろう。「れいわ」を団体名に使うのは貧困層を舐めた態度ではないか、と腹を立てたりもした。
N国党は、ヘイト右翼の人が参加に多くいると聞いていたこともあって、票の行方について何となく気になっていただけであった。
投票の前日にもう一つ考えていた事があった。世界が異常にキナ臭い。そんな気がするのは何故か、という事だ。
トランプが米大統領として登場してから戦後世界の秩序が壊れ始めた。オバマは、米国が世界の警察官を辞めると宣言した。しかし、具体的な動きはなかった。所が、トランプは「アメリカ・ファースト」の名で、オバマの大統領在職期間中の仕事を全面否定することから始めた。3年過ぎて、米国内もEUや中東もそこら中に移民の難民へのヘイトが拡がり、差別と排外と自国ファーストの政党や国家が沢山誕生し、イスラエルとパレスチナやイランと米国、インドとパキスタン、ベネズエラ、香港と、人々と国家間の分裂と対立が激しくなっている。この激動の一環として米国はこの国に対イラン有志連合のへの参加を強く要請している。誘いに乗れば、安倍政権は待ったなしに9条改憲や緊急事態条項の加憲を強行して来るだろう。
15年に新安保法を強行成立させた政府が、9条改憲を急ぐのは何故か、そして自民党改憲案に新たに「緊急事態条項」の創設を加えたのは何故か。全ては米国の為なのか。この国の人びとの命とくらしを守る為という理由はフェィクなのか。当初は、北朝鮮(DPRK)の弾道ミサイルに備えて警戒警報を鳴らし小学生には防災訓練まで強要していた。今は、中国からの攻撃を想定している。しかし中国との戦争に備えよと言われても、リアリズムがない。石垣・宮古を含む沖縄地域の人々だけに脅威を煽り米軍・自衛隊基地建設を急いでいる。奇妙なクニだ。
一方、EUは英国の脱退が10月に迫り、また各国で左右のポピュリズムが跳梁する中で、必死に耐えており、ASEANの政治経済共同体づくりも目立たないが着実に進んでいる。アフリカでは、域内での関税撤廃をめざす自由貿易協定が締結され通貨の統一まで進む、と言う。EUから始まった国家を超えていく試みは、よろよろしながら継続されている。
でもキナ臭い。緊急事態条項とはなにか。戦争を前提にした国家体制づくりの法律である。こんな法を論議せねばならないのは何故か。緊急事態とは何でありどこにあるのかと聞きたい。かつてのナチスドイツは授権法の成立をもって首相独裁体制を築いた。これを駆使して、ナチスは戦時体制を構築し第二次世界大戦へ突入していった。この国も九条改憲に緊急事態条項の加憲、極め付きは一条の天皇規定に「天皇はこの国の元首である」を挿入することである。再び戦争へ突き進もうとしているのか。
憎しみと敵対心に満ちて世界戦争という言葉がリアルになっているとすれば、反戦平和の動きを急がねばならない。現憲法の前文と9条を世界の希望として示すべき時がすぐそこまで来ているのか。「核兵器禁止条約」に人々は知恵と勇気をもって全力を注ぐべきではないのか、いろいろ考えた。
前日までに考えたことを三点にまとめた。①は、改憲勢力を三分の二以下に抑え込む。死に票は出来るだけ避ける。②に、改元に踊り天皇制に組みすることを許さない。③は、沖縄連帯・辺野古新基地建設反対、である。
選挙結果の特徴は何か
7月22日の朝日・毎日等の一面見出しは「改憲勢力 三分の二 到達せず」であった。これが第一の特徴だ。第二は、自民党と立憲民主党の敗北である。安倍の「国民から力強い支持をいただいた」との発言は、早とちりの勇み足であった。自民党は議席を10減らし、比例票も200万減らした。立憲は、議席を8増やしたが、比例票を2017年の衆議院選から300万以上減らした。第三は、野党共闘が10勝22敗の戦績を残したことだ。沖縄と東北(4県)・新潟と滋賀の勝利は、安倍政権の終焉を予告している。第四に、日本型ポピュリズムの登場である。メディアは「れいわ」とN国党を「大躍進」と讃えるが、実際の所は諸派扱いが政党として扱われるという水準の話である。むしろ問題は、「れいわ」を左翼ポピュリズムと規定することで、読者に何か新しい事を伝えていると錯覚しているメディアの責任が問われている。第五に、投票率が48.8%という国政選挙では二番目の低さであった。以上の五点である。
こうした特徴から伺えるのは、護憲派が改憲勢力の三分の二を阻止したと威張れないことだ。自民の200万票と公明の100万票の減と立憲の300万票減、その他の既成政党も軒並み票を減らした中で、辛うじて三分の二を阻止しえたのだ。
もう少し護憲野党の状況を続ける。国民民主党は連合の6割の支持を受けたにも係わらず現職を二人落とし比例票に至っては217万に止まった。共産は1議席を減らし、比例票では前回の10.74%を下回る8.95%の448万であった。社民党は、比例で100万票以上を獲得して政党要件をようやく死守できた。
選挙では既成政党への厳しい批判の風が吹いていた。三分の二を阻止できたのは、選挙区レベルでの野党共闘の闘いが無党派層を巻き込んで勝利したからである。
既成政党の不振が目立つ中で、「れいわ」が新党として二議席を獲得し、比例で228万票を集めた。新党の数字としては凄い事である。ただメディアが大騒ぎすることでもない。新党ブーム史上にはもっと凄く票を集めた政党がある。例えば、旧「日本維新の会」は636万票、「みんなの党」が794万票である。これらと単純比較すれば約三分の一の票にすぎない。
だから選挙を棄権している無党派層―特に貧困の無党派―を政治に目覚めさせたとか関心を引き付けたとは言い難い。むしろ、立憲が失った300万票の受け皿になったと考えた方が合理的である。例えば、「れいわ」の都道府県別獲得投票は、一位が東京、二位が神奈川、三位が沖縄であった。東京と神奈川は17年の総選挙で立憲が大量票を得ていた。にもかかわらず今回伸び悩んだ所である。また沖縄は東京選挙区から出た野原善正の地元である。私の周辺には、立憲から「れいわ」へ変えた人が幾人もいた。
また投票率の低さは大問題であるが、政治状況が煮詰まっていないことの現れとも言える。一般に投票率の高低は、国政・地方選を問わず政治シーンの緊張関係と連関している。例えば、政治的危機であった七〇年安保闘争時期には高く、最近では低くなる一方である。
投票率の低さが、投票しても政治が変わらない安倍政権はどうせ続くだろうという<あきらめ>によるものか。それとも議会制民主主義の形骸化に抗しその外で自分たちの闘争をやっていく人が増えたためなのか。更には、メディアがしきりと自嘲気味に嘆く、選挙報道が不足していた故なのか。どれだとはっきり決めつけられない。それなのに「れいわ」支持者がメディアに低投票率の責任を「痛感すべきだ」だと追及したのは、広く公正な報道が行われていたらもっと票が入ったはずだという、自分勝手な思いこみ故の脱線である。
(その2へつづく)
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〔opinion8934:190823〕
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