「星々之火 可以燎原」香港が訴えるもの ――習近平の中国(4)
- 2019年 8月 26日
- 時代をみる
- 中国田畑光永香港
毎日、固唾をのんで香港からのニュースを見ている。犯罪容疑者を中国へ引き渡すことを可能とする「逃亡犯条令」改正案に反対するデモが始まったのは6月9日だった。じつは恥ずかしながら、現行法では、香港は大陸へ容疑者を引き渡さないことを私は知らなかった。1997年のいわゆる香港返還で、香港は英国の植民地から中国の「特別行政区」となった以上、そのようなそれ以前の法的遺産はとっくにしかるべく修正されたものと思っていた。したがって、それが今になって法的手続きが始まり、香港の人たちが反対していると聞いて、びっくりしたのである。
香港では「銅鑼湾書店」という中国当局に批判的な書籍をだすことで有名だった出版社の店長以下関係者5人が2015年の秋から年末にかけて行方不明になり、後に中国当局によって拘束されたことが判明した事件があったのだが、そのうちの2人は香港から、地元警察とは無関係に中国の特殊機関によって本土に連行されたのだった。
また一昨2017年1月には肖建華という富豪のビジネスマンが住まいとしていた香港の豪華ホテルから複数の女性のボディガードともども中国本土に拉致されるという事件が起きてもいる。いずれも香港の司法、警察には無断で行われたとされており、そんなことから「容疑者引渡し」どころか、中国当局にとって香港はなんでも自由自在、したい放題の場所と考えていたくらいであった。
香港の人たちにとっては、「引渡し条令」がなくてさえ、自由自在だったとすれば、それができればこの先、いったいどこまで中国当局の権力が大きくなるかと恐れるのももっともだと納得した。
しかし、この運動がどこまで大きくなるか、どこまで続くか、となると、またまた恥ずかしながら、私は大きな誤算をしていた。
香港ではご承知のように5年前に雨傘運動という大きな反政府運動が展開された。2014年の9月末から3か月近く続いたこの運動は、参加者が雨傘をさしながら、デモをしたり、幹線道路に座り込んだりしたところから、この名前が付いたのだが、テーマは3年後の2017年に行われる行政長官選挙のあり方であった。
香港は1997年の英からの「返還」にあたり、「一国二制度」の原則により、共産党一党独裁の中国本土とは別に現行の社会制度をすくなくとも50年は維持することが約束された。その象徴が行政の最高責任者、つまり行政長官を直接選挙で選ぶことであった。しかし、中国は一向にその約束を果たさず、返還20年にあたる2017年の選挙も間接選挙、それも民主派の人間は候補者にさえなれないような方法を続けることが、最終的にこの年の8月、全国人民代表大会の常務委員会というところで決まったことが、雨傘運動の引き金になったのであった。
私は香港返還の数年前、1992年から2年間、香港に駐在したことがある。「返還」という言葉を英当局は使わず、「引渡し」(Hand Over)と言っていたが、当時、すでに一国二制度は既定路線とされており、その最大の焦点が英「総督」に代わる「行政長官」の普通選挙がいつ実現するかであった。
そして当時の常識としては、いくら遅くとも「引渡し」20年後、つまり2017年には直接選挙実現ということであったように思う。しかし、同時にその論議とは別に多くの香港人は手段があれば、いざというときにどこかよその国に逃げ込む先を見つけておきたい、とそれぞれの立場で思案を巡らせているのが印象的であった。香港人はその点では徹底した現実主義者だと思い知った。
雨傘運動は、最近はめったにデモもない日本に住んでいる者の目にはよく闘ったと見えたが、結局は戦果を上げられずに幕を閉じ、その後は立法院選挙などでも、いわゆる民主派はますます不利に扱われるようになって、現在に至っている。
先に挙げた香港からの中国当局による拉致、連行事件はそのなかで起きたわけで、もはやそれに目くじらを立てても仕方がないという雰囲気であろうと私は想像していた。
だから今度の「反走中」(容疑者引渡し反対)運動の粘り強さ、それにもまして規模の大きさには驚き、なにか前回の雨傘運動とはちがう結末が来るような予感がして、毎日、固唾をのんでいる。
おそらく習近平政権にとってもこの成り行きは驚きにちがいない。雨傘運動の争点は行政長官選挙のあり方という「一国二政度」を掲げる香港の基本的な大問題であったのに対して、今回は言って見れば「周辺の問題」である。対象は犯罪容疑者なのだから、善良な市民の多数が自分の問題と受け止めるとは予想しなかったであろう。
それに集会やデモに参加する人間の数の多さである。人口八百数十万の香港で百万、二百万という人数が同じ目標を目指して行動するとは、私には驚天動地のできごとと見えた。なにしろ香港市民は徹底した現実主義者と思っていたから。
勿論、北京の中央政権は香港警察の手ではどうにもならないとなれば、本土から中央軍事委員会に属する(ということは、外からの敵に対する人民解放軍とならんで国内の「敵」に対する)「人民武装警察部隊」を投入する構えを整えている。
8月15日、香港との境界から10キロほどの深圳湾スポーツセンターに100台以上の装甲車両などと武装警察隊員数百人を集めて、デモ参加者に似た黒いTシャツ姿の集団を制圧する訓練を行い、それをメディアに取材させて威圧効果を狙った(ロイター電)。しかし、それに対する香港市民の回答は8月18日、3度目の百万人超えとなった170万人のデモ行進であった。
今のところ中国は運動の背後に米、英など外国勢力の策動があるとの宣伝に力を入れて、万一、武力制圧に踏み切った場合の正当化の論拠を用意している。とはいえ、30年前の1989年、学生の民主化運動を戦車で押しつぶした「六・四天安門事件」の後、西側諸国から総すかんを食った苦い経験を繰り返したくはないないだろう。ましてや、今は最大の貿易相手国の米との間で貿易戦争を戦っている最中で、極力、「自由貿易の敵対者」のレッテルでトランプを孤立させようとしているのに、「再び自国民に銃口を向けた」と非難を浴びることはなんとしても避けたいはずだ。
こう見てくると、犯罪容疑者の引渡しという周辺の問題から始まった今度の運動は、14億もの人口を抱える大国の政治の根幹を揺るがすものとなってきたと言える。雨傘運動とは違う結末の予感と書いたが、それはどんな形が考えられるだろうか。
8月20日、「民間人権陣線」など市民側との会見に応じた林鄭月娥行政長官に市民側が要求したのは以下の項目である。
容疑者引渡し条例改正案の「撤回」(現在は立法院議員の任期中に時間切れになる状態)
警察官の暴力行為についての調査委員会の設置
デモを「暴動」とした政府見解の取り消し
デモ参加者の訴追見送り
有権者が1人1票を投じる普通選挙の実施
これに対して長官はいずれにも応じず、「ゼロ回答」(日経)であったが、このうちの全部でなくとも、いくつかを長官側が受け入れれば、それを成果として事態は収束に向かうことが予想される。要求内容も見る限りそれほど法外とも思えないが、しかし、ともかく民衆の要求に「譲った」と見られるのは、権力側にとって果たして耐えうるものかどうか。
これまで中国本土でも、環境問題などで民衆の反対に会い、地方政府が工場の建設を取りやめたといった事例は時に聞こえてくるが、今度のように世界から注目されているなかで、権力側が多少なりとも譲るのはハードルが高い。
民衆に屈することがこれからの治世にどう影響するか。なにしろ「星々之火 可以燎原」(小さな火花も広野を焼き尽くす)というのは中国共産党が得意とする革命物語である。香港の「星々之火」も消せなかったとなるのは、とりわけ威信を大事にする習近平にとっては耐えがたいことかもしれない。
そうなると、運動が下火になるのを待って、形だけでも力で「制圧」して政府の威信を誇示しなければならない。今や香港の市民たちがしていることは、多くの人々が意識しているかどうかは別にして、「星々之火」を絶やさずに、わずかでも権力の譲歩を勝ち取ることができるかどうかという歴史的な対決となった。固唾を呑みつつ結末を見とどけたい。
(190822)
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