消費を増やせばGDPが増える? - 政府の累積債務は将来世代の税の前借り -
- 2019年 8月 29日
- 時代をみる
- 盛田常夫経済金融
日本経済だけでなく、先進国経済は長期の経済停滞過程にある。それはたんに「物価が上がる、下がる」という経済現象をはるかに超える、先進経済が抱える構造的な問題である。しかし、現代経済学は経済社会の構造的問題を十分に捉えることができず、短期的な目標を設定して経済政策を立てようとする。なぜなら、現代経済学は実物経済の構造的な問題を分析する手段をもたないからである。実物経済分析を代替するものとして、金融経済分析で得られた結論を利用している。実物経済分析は種々の異種産業から構成されているので統一的な分析が難しいのに対し、金融経済分析は貨幣的分析一本で可能だからである。しかし、ここに経済分析の落とし穴がある。
物価目標はなぜ役立たないか
金融経済では1-2%の変動は資産価値を大きく変動させる。しかし、実物経済ではこの程度の変化はたいした影響を及ぼさない。明日から108円のものが110円になるからといって、商品を買い占める人はいない。1割あるいは2割上昇するとなると話は別だが。
しかし、金融投資は別だ。明日、1-2%もの為替や利回りの変化が予想されれば、市場は大きく反応する。金融経済では1-2%どころか、0.1%の変化でも投資変動が起きる。膨大な資産を運用している場合には、わずかな利率や利回りの変動が資産の価値を高めたり低めたりするからである。
要するに、実物経済と金融経済では市場プレーヤーが違うし、行動様式もまったく異なる。物価目標は経済主体が物価上昇予想に敏感に反応すると前提した金融経済政策で、実物経済のプレーヤーも敏感に反応してくれることを期待した政策である。しかし、アベノミクス導入以降、実物経済のプレーヤーは金融緩和や物価目標にほとんど反応していない。
それもそのはず、2%の物価目標は金融経済での市場プレーヤーの行動様式から類推して考え出された政策で、もともとしっかりとした理論的根拠のある政策ではない。他にこれといった政策目標を立てられないので、とりあえず物価目標で経済政策を立案しているかのように振る舞っているだけのことなのだ。実際、日銀が未曾有の金融緩和を行っても、実物経済が反応しないだけでなく、金融経済もダブついた資金を持て余し、投資先を見失っている。これでは物価が上がらないだけでなく、日銀が巨額の債務超過に陥り、金融政策手段を枯渇させるリスクが高くなっている。
すでに大幅金融緩和の政策効果が8年以上も出ていないにもかかわらず、日銀政策委員はバカの一つ覚えのように、「物価目標達成まで金融緩和を続ける」という主張を変えない。大幅金融緩和政策を取り下げれば、これまでの主張がすべて崩れ去ってしまうから、とりあえず任期が満了するまで格好を付けたいというだけのことだ。情けないことだ。
金融経済で得られる政策命題が、そのまま実物経済の制御に利用できると考えてはならない。この錯覚がある限り、物価目標の政策効果は見込めない。
馬鹿の一つ覚え 「デフレ脱却」
猫も杓子も、バカの一つ覚えのように、「デフレ脱却が日本経済の課題」などと知ったかぶりに唱える。しかし、「デフレとは何なのか。今の日本が本当にデフレ状態にあること」をきちんと説明できる人はどれほどいるのだろうか。経済学の教科書によれば、たいがい「物価が下がり続けること」と書いてある。今の日本で、どの産業や業種で「物価が下がり続けている」のだろうか。具体的に列挙してもらいたいものだ。
技術革新によって商品価格が低下するのは、資本主義経済の普遍的な現象である。だから、技術革新による商品価格の低下はデフレの定義に含まれない。新製品の出現によって、旧製品の価格が下がり続けることは資本主義時代を通して、ふつうに観察されることだ。もっとも、現代では商品開発競争が激しくなり、商品の「市場価値維持」時間がきわめて短くなっている。だから、表面的には価格が下がり続けているように見える。だから、企業はさらに技術革新を行って新商品を開発する必要性に迫られる。これは大量消費社会における資本主義企業の宿命である。しかし、金融緩和による技術革新の推奨は、企業が抱える市場競争をさらに厳しいものにする。金融緩和で技術革新することが、企業の首を絞めることになるのだ。だから、「お金をジャブジャブ供給すれば、企業の新商品開発が容易になり、消費を拡大できる」などと単純なシナリオは機能しない。
こういう構造的な問題を考えないで、金融緩和すれば景気が良くなると考える政策は、きわめて「浅はか」な政策である。
今唱えられている「デフレ」は、「物価が下がり続ける状態」ではなく、「物価が上がらない状態」を指している。だから、最初の定義から混乱している。吉野屋や松屋の牛丼価格戦争から「デフレの弊害」を着想したようだが、そのような類推は見当外れである。一部の過当競争業種で見られる一時的現象を、あたかも国民経済全体の現象であるかのように誇張するのは、フェイク理論である。しかも、それを政策スローガンに仕上げるなど、イデオロギー操作の何物でもない。そんなことに騙されてはいけない。
ありもしない現象を普遍的な現象だと主張して政策を立てても、実効性があるわけがない。最初から前提が間違っているのだから、実効性を議論する前に正否の決着が付いている。にもかかわらず、馬鹿の一つ覚えのように「デフレ脱却」を唱えるのは政策イデオロギーに堕しているからである。政府が言っているからといって、正しいと考えてはならない。経済停滞の原因を何かに求めないと、政策が立てられない。だから、「デフレ脱却」を唱えているだけなのだ。しかし、原因の特定が間違っていれば、政策も間違っている。
現実は「物価が下がり続けている」のではなく、「物価が停滞している」のである。季節商品は別として、実物経済では商品価格が上がらない構造ができていると考えるべきだ。しかも、「物価が上がらないこと」がどうして問題なのだろうか。物価が上がれば、生産が増えて、GDPが増えるというのだろうか。そのようなロジックを誰が発見したのだろうか。
消費を増やせばGDPが増える?
「消費を増やせばGDPが増える」仕組みを説明出来る人はほとんどいない。もともとGDP(Gross Domestic Product)は生産概念であって、消費の概念ではない。1年間の国内領域で創造(生産)された付加価値総額のことを意味する。企業の付加価値が増えるためには、商品需要が増えなければならないが、そのためには消費者の所得の上昇が前提になる。この論理は円環論理になっていて、いわば「鶏が先か、卵が先か」の論理と同じである。
アメリカのように銀行ローンで耐久消費財を購入する習慣がある市場では、金融緩和によって耐久消費財の購入が増加し、生産が増えるからGDPも増える。ただし、この循環は長続きしない。常にローンに頼っている消費者市場はきわめて脆弱である。しかも常に消費を拡大し続けることは不可能だから、どこかでこの循環は止まる。いったんローンの返済が滞れば、すべての仕組みが崩壊してしまう。だから、定期的に景気上昇とクラッシュが起こる。
消費が経済の原動力になり得るのは、労働者人口が増加を続ける場合である。市場経済化への道を進む発展途上経済では、新規の労働力が国民経済に組み込まれることによって、消費市場が拡大していく。ここでは、消費と生産が好循環を生み、消費が生産を刺激し、生産が消費を刺激する関係が続く。しかし、この好循環は新規の労働力の供給が止まる、あるいは逆に労働力人口が減少するようになれば、逆の「負の循環」に転換する。
先進国では労働力の純増が望めなくなっている。逆に、純減が始まっているところが多い。労働力が現象していく経済ではGDPも確実に縮小し、消費市場も縮小する運命にある。すでに高度の消費経済が達成された日本経済の場合、消費者市場の持続的拡大は期待できない。消費市場経済の規模を維持し、さらに拡大するためには、消費者がこれまでの消費生活を維持するだけでなく、常に消費を拡大することが必要になる。それは例えば、新商品が出る度に旧商品を廃棄し、新商品を買うという消費者行動を前提とする。しかし、これが現実的でないことは説明するまでもない。
したがって、いくら日銀が金融緩和しても、勤労者の賃金が上がり、勤労者が消費水準をさらに引き上げる行動がない限り、GDPの増加には繋がらない。逆に、これからの日本は労働力人口の減少時代を迎えるのだから、一昔前の高度成長時代の再来を期待するのではなく、経済縮小時代の経済社会政策を考える時代になっている。この時代の変化に鈍感で、「高度成長をもう一度」などと考えている限り、日本は社会転換の基盤を毀損することになる。それは「今だけ良ければそれで良い」という刹那的な政策だからである。その意味で、アベノミクスは「一般国民に百害あって、金融投資家にだけに一利ある」政策である。
政府の累積債務は将来世代の税の前借り
将来社会の基盤を毀損するような政策を展開している安倍政権の支持が一番高いのが若い世代である。きわめて皮肉なことだ。将来世代の社会生活の基盤を崩している政府を支持するのは、自分の首を自分で絞めるようなものだ。大幅金融緩和政策をカンフル剤のように使っている限り、将来社会の基盤は崩され続ける。
財政赤字を埋める国債は将来の税収の先取りである。将来世代の税金を当てにして生活できる現世代は良い。しかし、将来世代の未来はその分だけ割を食う。将来支払う税金がすべて政府債務の穴埋めに使われるとすれば、将来世代が受けるはずの政府サーヴィスがなるなる。しかし、多くの若い世代はそのことを実感することができない。なんとなく、将来の社会保障は不安だと思っている若者は多いはずだ。その若者が将来世代の社会基盤を毀損する政策を展開する政府を支持し、将来世代からの前借りで得をしている年長世代が政府に批判的なのは、なんとも皮肉なことだ。
確実に言えることは、国民はもっと賢くならなければならないことだ。「今だけ良ければそれで良い」というポピュリスト政策を展開している政党に頼ってはいけないのだ。
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