オランダとハンブルグへの旅は始まった(15)ハンブルグの交通路線図にようやく慣れて
- 2019年 8月 30日
- カルチャー
- 内野光子
7月1日、やや涼しい朝となった。この日も朝食前の散策にと7時前にホテルを出る。夫にとっては、家にいる時はまるっきり違う生活のサイクルではある。空襲の当時のまま残されているという、茶色い黒焦げた尖塔、ニコライ教会跡に向かう。
ホテルの玄関前のラベンダーが真っ盛り、よく手入れをしているのを見かけた。
ホテル最寄りのU3の駅Rodingsmarktの線路の下をくぐって交差路の左手ウィリー・ブラント通りを進むとすぐ左に、あの尖塔が大きく見えてくる。
車の往来は激しいが、人影のない教会の廃墟の前庭に立つ。147mの尖塔は、ハンブルグ空襲の標準点になり、いまは残骸をさらす。昼間は、75mまでの展望台へのリフトが動き、地下の展示室も見学できるという。1842年の大火後はネオ・ゴシック様式の美しい教会だったろう。見えにくいが、向かって左に「地上の天使」像が立つ。
「試練」と題されるモニュメントは、比較的新しく2004年に建てられたらしい。銘板には、ハンブルグ郊外の北ドイツ最大のNeuengammeノイエンガメ強制収容所から送られてきた収容者1万人が、Sandbostelで死に至ったことが書かれていたが、この像の下には「真実を変えることは世界中の誰もできない。真実を求め、それを発見し、それを受け止めることはできる・・・」とでも訳すのだろうか。
朝の散策のおかげで朝食も進む。TVのニュースでは、米朝会談の映像が流れ、いつのこと?とびっくりする。日本KLMと電話が通じ、荷物の行方を尋ねれば、ハンブルグ空港には着いているはずだから、今日中に届くだろうとの情報にホッとして、ホテルを出る。いわば山手線のような環状線のU3で、中央駅を通り越して、いくつ目かのmundsburgという駅に向かう。駅前のロータリーに、この地の空襲の犠牲者の慰霊碑があるというのだ。往来の激しい交差点の分離帯の中にひっそりとあった。
インパクトのあるモニュメントであった。「1943年7月30日夜、空襲で370人が亡くなった。彼らの死を忘れるな。二度とファシズムを台頭させるな。二度と戦争を起こしてはならない」と記されていた。カールシュタットデパートの地下防空壕で、亡くなった人々である。
駅の反対側の公園の奥には教会があったが、そこまでは足が延ばせなかった。
ムンズブルグ駅から、ふたたびU2で中央駅とは反対方向にぐるっとまわって、schulumpシュランプで、U2に乗り換え、北上すると、Hagenbecks Tierpark動物園駅というのがある。
動物園駅を降りて道を渡ると、一見、え!と驚くのだが、キリンもその背中の少年もモニュメントとわかる。
「案内図」とチケット(20€)、かなりの迷路で、回り切れないところも・・・。園内には、突然、中国やタイ風の建物、そして日本の鳥居、トーテムポールなどが現れて、創立者のハーゲンベックさんの意図がわかりかねることもあったが、とにかく、動物とはなるべく触れ合える工夫が様々になされていたので、見ているだけでも楽しかった。
動物園駅から、U2で、市庁舎にも近い、アルスター湖が目の前のjungfernstieg駅に降りてみる。いくつもの路線が交差するターミナルで、辺りは若者たちが多く活気に満ちていた。下は、アルスターアーケードだが、今日はその先にテントが見える。
念願かなって、オールド・コマーシャル・ルームでの夕食。なかなか雰囲気のある店で、個室ではないが、三方が壁で囲まれる。壁いっぱいに、来店の著名人の写真が並ぶ、だいぶ古い人もいるが、大方は分からずじまい。注文は隣席に座りこんで、いろいろ相談に?のってくれる。夫は、シュニツエル、私は白身の魚のソテー。今日だけは私もビールを。
今日も1万7512歩。そして、夜、バゲッジが届けられたのである。どうしたことか、私のだけで、夫のは今夜も届かずじまい、いったい?!
初出:「内野光子のブログ」2019.8.29より許可を得て転載
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