本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(234)
- 2019年 8月 30日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
2019年のバブル
西暦末尾に「9」の付く年には、「バブル」が発生しやすくなるものと考えている。具体的には、「1979年の金(ゴールド)バブル」、「1989年の日本株と土地のバブル」、そして、「1999年のITバブル」というように、「10年毎にバブルが発生し、また、末尾に9の付く年にバブルのピークを迎える」ということが、私自身が経験から学んだことだった。また、「富の移転」に関しても、「10年毎に、『一次産品』から『株式や土地』、そして、『債券』という順番で、富の移転が発生する状況」を想定していたが、問題は、「1999年」と「2009年」にあったものと感じている。
つまり、「1999年」は、本来、「債券バブル」の順番となり、「2000年に弾けている状況」を想定していたが、実際には、「ITバブルの発生と崩壊は起きたものの、債券バブルは、その後も継続した」という展開となったのである。そして、この理由として挙げられることは、ひとえに、「デリバティブの大膨張」だが、実際には、「2000年当時の想定元本が約8000兆円」という状況が、その後、「2008年前後に約8京円」という規模にまで膨らんだのである。
換言すると、「信用創造」という「マネーの大膨張」には「三つの段階」が存在し、実際には、「中央銀行」、「民間銀行」、そして、「市場」による「信用創造」が指摘できるのである。そして、「1971年のニクソンショック」から始まった「信用本位制」の時代には、最後の段階で、「金融界の破壊兵器」と呼ばれる「デリバティブ」が、「金融界のブラックホール」とでも呼ぶべき「人類史上最大規模のバブル」を発生させたのである。
つまり、「金利」は「お金(マネー)の値段」であり、「膨大なマネー」が産み出された結果として、現在の「超低金利状態」が発生したのである。しかし、この時の問題は、「既存の経済学で、現状説明が不能だった」という点が指摘できるが、実際には、「日米欧の中央銀行」が、「デリバティブのバブル崩壊」によって生み出された「不良債権」を、「自らのバランスシート拡大により補った」という展開となったことも理解できるのである。
別の言葉では、「国債」を大量に買い付けることにより、人為的な「超低金利のバブル状態」を作り出したのだが、このことにより、「2000年」に「債券バブル」が崩壊せず、また、「2009年」に「金バブル」が発生しなかったものと考えられるのである。しかし、現在では、反対に、「約20年の空白期」を経て、「2019年」に、「金融界の玉手箱」とも言える「国債(債券)バブルの崩壊」が実現されるものと感じている。(2019.8.2)
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人生の醍醐味
人生の醍醐味は、年齢とともに経験を重ね、新たな境地に到達することにあるものと考えている。特に、「お金の謎」や「心の謎」などのように、「人類史上、誰も解いた人がいない」と言われる「難問」への挑戦については、より一層の「苦しみ」や「喜び」が伴うものと思われるが、私自身の場合には、一つの小さな疑問、すなわち、「アメリカの大学で学んだ為替理論」が実践の役に立たなかったために、「なぜ、このようなことが起こるのか?」を考え始めたことから始まったことを記憶している。
そして、その後は、「人生の山登り」という言葉のように、「山の麓を彷徨いながら、徐々に、高みに達していった」という状況でもあったが、この点に関して思い出される言葉が「古教照心 心照古教」である。つまり、最初は、誰でも、基本の習得から始まるわけだが、このことは、「古い教えが、自分の心を照らしている状況」とも考えられるのである。
別の言葉では、「頭脳で学んだ知識」と「実践の経験から得られる答」とを比較しながら、「天地自然の理」を見つけ出す作業のことだが、この方法を繰り返すことにより、誰でも、人生の山登りにおいて、頂上にまで達することが可能な状況のようにも感じている。つまり、純粋な疑問を持ち、真剣な努力を継続することにより、次々と新たな疑問が浮かび上がってくる状況のことである。
より具体的には、「自分なりの理論や仮説」が出来上がる段階のことだが、このような状況下で、初めて、「心照古教」、すなわち、「自分の理論を用いながら、古い教えや現実の世界を照らしていく作業」が可能になるものと考えている。つまり、「頭脳」と「心」との間に「差」が無くなり、「迷いがなく、対象に向かって行ける状態」のことだが、私自身は、金融界に従事して43年目の現在、「お金の謎」と「時間のサイクル」において、この境地にまで達することができたようにも感じている。
ただし、問題は、「心の謎」であり、「社会科学」が、更なる発展をするためには、この問題を解く必要性があるものと感じている。つまり、「自然科学」においては、「ニュートンが重力を発見して以降、飛躍的な発展を遂げた」という状況が、再度、「経済学」などの「社会科学」で繰り返される可能性である。そして、このことが実現されない場合には、発展した技術が、人々の「心の闇」を増幅させることにより、「人類が、地球に住めないような環境が発生する可能性」を憂慮している次第である。(2019.8.2)
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心とは、いったい、何なのか?
私自身の「真理を求める旅」は、40年ほど前の「お金とは、いったい、何なのか?」という素朴な疑問から始まった。つまり、「金融業」に携わった結果、さまざまな疑問に突き当たったわけだが、調べてみると、「ソクラテスが主張した無知の知」のとおりに、「お金の謎」や「需要の発生原因」を理解している専門家は、皆無の状況だったのである。そのために、私自身は、過去の歴史を調べ、また、「時間のサイクル」や「心の謎」などの研究に励んだ結果、現在では、ほぼ「お金の謎」が解明できたものと考えている。
また、「時間のサイクル」も、納得のいく答えが得られたものと考えているが、残された最後の問題は、「心とは、いったい、何なのか?」という「人類最古の命題」のようにも思われるのである。そして、この点については、海外でも「人の心理を活用する行動科学」や「稲森和夫氏の著書」である「心。」などのように、人々の興味と関心が向き始めた状況でもあるが、この点については、「文明法則史学」が教える「東洋の時代」、そして、「唯心論」を象徴する出来事だと考えている。
ただし、「心の謎」を考える上で、最も厄介な問題点は、「無限遡及」という「推論や証明が無限に続く状況」であり、この結果として、現在では、「仏教」においても、「1600年ほど前の唯識論」以来、「誰も、心の謎を解こうとする人が存在しない状況」となっているのである。また、「西洋」においては、「梅原猛氏」の説明のとおりに、「西洋哲学の限界」を認めざるを得ない状況となっているが、この問題の解決法は、「命の思想」と「心の思想」を分類することだと感じている。
つまり、「人間の本質」は、「神が創った肉体や頭脳」ではなく、「魂」や「真我」、あるいは、「阿頼耶識」から発生する「心」だけであるという認識のことである。別の言葉では、「神様は何を創られ、また、人は何を造ったのか?」を考えることでもあるが、実際には、「この方法により、無限遡及の闇から逃れられるのではないか?」、また、この点を、より詳しく分析すると、「天の意志」や「神の計らい」が理解できるのではないかとも感じられるのである。
具体的には、「ニュートン力学」により「自然科学の発展」、そして、「実体経済の成長」が発生し、その後、現在の「マネーの大膨張」に繋がったわけだが、この理由として考えられることは、「お金の謎」、そして、「心の謎」を解き明かすことが、人類の成長のために必要不可欠であり、そのために、現在、さまざまな問題が発生している可能性である。(2019.8.10)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion8959:190830〕
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