記憶は弱者にあり
- 2019年 8月 31日
- 評論・紹介・意見
- 小原 紘朝鮮人虐殺
韓国通信NO613
「記憶は弱者にあり」。歴史から学ばない日本人を痛烈に批判し続けた喜劇俳優マルセ太郎(1933~2001)の言葉である。
弱い存在の私たちが、侵略戦争を平然と肯定する政治家やエセ学者・文化人と一緒になって「国益」優先の発想から抜け出せずにいる。記憶する弱者の側にこそ正義はあるのではないか。この夏、ずっとそう考え続けた。
マルセさんが在日の立場から人権も正義もない日本に吼え続けたように、今年の夏、映画『太陽がほしい』で注目された中国人映画監督、班忠義 (バン・チュンイ)さんも人権と正義について、「政府と封建文化からの解放」「歴史の悪い部分を批判する勇気」を語った。
<今年も9.1がやってくる>
関東大震災は被災者340万人、死者9万人という未曽有の被害をもたらした。関東大震災から97年目になる今年の9月1日、新聞・テレビは突然思いだしたように震災報道一色になる。
関東大震災を教訓に災害に備えるのは当然だが、2011年に起きた東日本大震災から私たちは多くのことを学んだ。自然の前に人間がいかに非力か、科学技術への盲目的な崇拝、経済優先、金儲け社会に対する深い反省だった。福島原発事故から学んだ多くの人たちの思いだ。
<歴史の反省に立つ>
小池都知事が関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送らないという。知事就任以来3回目のパスである。超タカ派で知られた石原元知事をしのぐ小池知事の確信的超右翼ぶりがうかがえる。
震災直後、「不逞鮮人」の暴動、「井戸に毒を入れた」といったデマで警察と自警団が6千3百人もの朝鮮人、中国人、社会主義者たちを殺害した。あえて追悼文を送らないとはどういうことか。
知事は犠牲者に日本人も朝鮮人も中国人もないという。これは震災で死んだ人と、殺された人も同じと言っているのに等しい。その根底には「虐殺」だったかどうかはわからない、という「日本会議」独特の歴史認識がある。それは認識の違いというより、意図的な歴史の偽造、改ざんであるのはいうまでもない。
<忘れないために>
あまりにも酷すぎる関東大震災の「いまわしい」事件は認めたくない。「誰が」「どのように」と想像するだけで心は凍る。子どもたちにそのことを教えられる大人はいるだろうか。事実だが、語れないとしたら、「なかったことにする」人たちと異夢ではあっても、同床となる。
マルセ太郎さん、班忠義さんは、戦中戦後を反省しないまま現在に至った日本人の知的退廃ぶりを指摘する。指摘を待つまでもなく、令和の時代は自国中心の風潮に溢れる息苦しい社会だ。社会的弱者は切り捨てられ、新天皇即位、異常な韓国バッシング、オリンピック狂騒と、日本を一色に染め上げる知的退廃ぶりをさらす。
9月1日を前にして、私が知りえた身近なところで起きた、知りたくない虐殺事件を振り返る。
<千葉県の虐殺事件>
『行雲流水-ある大本教信者の数奇な生涯-』(石山照明著)は、主人公が少年期に見た震災後の衝撃的な虐殺現場から始まる。群馬県藤岡で起きた朝鮮人虐殺は17名にのぼった。
東京、神奈川で起きた虐殺事件が群馬でもあった。さらに千葉県でも324名が殺されたことを知って愕然とした。
震災のドサクサに官民一体となった殺戮事件。その真相はいまだに解明されていない。解明する意思もない国に代わり市民たちによる調査が続いている。
千葉の市民グループ編纂の『千葉の中の朝鮮』(2001年刊)をひもといてみた。
第9章「関東大震災と朝鮮人虐殺」は船橋市の馬込霊園にある慰霊碑の説明から始まる。震災の翌年、船橋仏教界が建てた「法華無縁塔」には市内各地で殺害され朝鮮人の遺骨が集められた。千葉県内では最多の100人近い最大規模だった。当時、船橋は鉄道の新線工事のために多くの朝鮮人が多数働かされていたところだ。
また習志野練兵隊に「保護」された朝鮮人が連隊の中で殺され、さらに連隊から引き渡された朝鮮人が地域住民によって殺害された事実も明らかになり、あわせて12名が殺された。八千代市にある高津観音寺には1999年に慰霊碑がつくられ、毎年9月に慰霊祭が行われている<写真上>。
特異なケースでは朝鮮人と間違えられた日本人の行商一行が福田村(現野田市)で殺害された事件も取り上げられている。香川県から来た行商人の言葉使いが怪しまれ、9名が川に投げ込まれ溺死した。警察官が先頭になって虐殺に及んだ。
三ケ所の現場はいずれも自宅から車で40分くらいのところにある。
<わが我孫子でも>
自宅から歩いて徒歩7分くらいの所にある八坂神社の境内で3人の朝鮮人が殺された。この事件は『我孫子市史』に記録があるが、知っている市民はほとんどいない。
今年もここで夏まつりが盛大に行われ、神輿、山車、夜店で周辺は大いに賑わった。白昼の神域で、こん棒で撲殺された事件は想像を絶する。祭りの太鼓やカネの音に混じり「ヒエーッ」という叫び声が聞こえたような気がした。ヤマトの神は犠牲者の魂を慰めることができただろうか。楽しい祭りのなかで善男善女たちは撲殺された朝鮮人ことを少しでも思いだしただろうか。今年も9月3日に献花して慰霊をするつもりだ。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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