使い慣れないソフトウェア
- 2019年 9月 4日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤 豊
週一本のペースで個人のホームページに連載したのが始まりだった。きっかけは、一週間の出張でへとへとになって東京駅に帰ってきたときに、かつての同僚と出くわしたことだった。親しかった同僚の自殺の原因になったオヤジで、顔をみるどころか声を聞くのもいやだった。それでも会ってしまえば、上っ面にしても軽い世間話になってしまう。
一秒たりとも一緒にいたくない。さっさと切り上げる口上で、「今度電話しますから」で分かれた。そのときの思いを書き残しておこうと、「今度電話しますから」という題で書き始めた。長くてもA4の数ページで終わりだろうと思っていた。ところがなかなか上手く終われない。書いていると、どうしても同僚と過ごしたときのことを思い出してしまう。
書ききれずに、何度も放り出してしまおうと思った。ただ同僚のことを思うと、どうしても書き残しておかなければ気がすまない。中断しては、またはじめてを繰り返した。頓挫しそうになりながら二年近くかけてやっと目処がたった。
読み物としての体裁を整えるために横書きを縦書きに変換しなければならない。作業を始めてすぐ、なんで日本語はこんなに面倒なのかと、いつもながらに閉口する。
横書きの12年は、縦書きでは一二年ではなく十二年にする。ところが同じ12年でもそのまえに二千がついた2012年では二〇一二年になる。「検索と置換」で12を一二に一括置換でもしようものなら大変なことになる。
MS-Wordで縦書きにすると、読める大きさのフォントのままでは、横長のPCの画面には縦の一行が入りきらない。マウスで画面をスクロールしながらは、読むだけでも手間を食う。横書きで書き直して、縦書きでチェックを繰り返す。
アルファベット二文字まではMS-Wordの「縦中横」で横に並べるが、三文字になると幅をとりすぎる。「縦中横」、縦書きの中の横書きからきているのだろうが、初めて知ったときは、なんとも変な名前でと思った。いまだに変な名前というのか、そんな日本語はないだろうという気がする。じゃあ、どんな名前にしたらと考えても、「縦中横」しかないのか、もっとすっきりした名前はありそうなもんだがと思っている。
二文字は「縦中横」でいいが、三文字からは縦に並べることにしている。どこかに自分の基準のようなものを作っておかないと、統一を欠いた文章になってしまう。ところが、統一をとったところで、アルファベットが入ってくると、どうしても間の抜けた日本文になる。たとえば、GMの次にBMWがくると、あるいはFordがくると、縦書きの文章のなかでGMは左にG、右にMと横にならべるが、BMWもFordもアルファベット一文字ずつの縦書きになる。見栄えの悪いというのか、まったく落ち着きようがない。Fordはフォードにすればいいが、BMWはそうはいかない。ビー・エム・ダブリューでは、読んで、あああのBMWのことかと気がつくまで一呼吸あく。まあ、句読点の使い方もはっきりしない日本語ということなのだろうが、縦書きにするだけでも一仕事になる。
縦書きへの変換は、面倒にしてもただの作業。一つひとつやっていけば終わる。問題は表紙で、作らなければと考えるだけも気が重い。WordやExcel、PowerPointなら使い慣れているからまだしも、ペイントソフトは表紙づくりでもなければお世話にはならない。去年の暮れから正月明けに上梓したときにも使ったのだから、同じように使えるはずじゃないかと思うのだが、そのときに四苦八苦したことがトラウマのようになって残っている。使わなきゃと思うだけでも、イライラして落ち着かなくなる。
そんなことをいっても、使わなきゃならないんだし、口にするだけイライラがつのるだけじゃないか。毎日というわけじゃないだけましじゃないか思うしかない。そうは思うし分かってもいる。ただどうしても精神が不安定になる。
グラフィックソフトウェアを簡単の紹介しておく。
グラフィックソフトウェアは大きくペイント系とドロー系の二つに分類できる。ペイントソフトは写真などの画像を加工するときに使用する。ドローソフトは凝ったイラストなどの作成に向いている。
ペイント系にはあまりにも有名になってフォトショと呼ばれるPhotoshopがある。Paint.NETはマイクロソフトが提供しているフリーのペイントソフトウェア。ただだけに機能は限られているようだが、ちょっとした表紙をつくるぐらいなら十分、使い慣れないということを除けば何も困らない。ドロー系には、グラフィックデザインに携わる人たちの定番になった感のあるIllustratorがある。
Paint.NETに落ち着く前にGIMP(ソフトウェアの名前)の方が機能も充実しているはずだしとトライした。Google先生では使いきれずに、使い方の本まで買ってきたが難しすぎた。
自分の本の表紙だし、たいした画像もいらない。PowerPointでなんとかならないものかとも考えた末に、Paint.NETぐらい使えるようにならなきゃっていう気持ちもあって、何度も挫折を味わった末になんとか表紙を作った。当初多少は気の利いたイラストでもと思ったが、始めてすぐに気がついた。そんな才能はかけらもない。散々考えた末に、無料で使える街の写真をモノクロに加工して使う逃げ道を思いついた。
すでに三冊の表紙を作って、四冊目の表紙。散々イヤな思いをしながらも作り上げたじゃないかという不安に染め上げられた芥子粒ほどの自信というのか、三度も使えたじゃないかと気持ちもある。その気持ちが素直な自信につながらないだけに、情けないというか、イヤになる。
使ったことのないソフトウェアで四苦八苦して諦めるのとは種類の違うストレスにさらされる。えぇーい、やってやると尻を叩いて始めてはみても、ちょっとしたことでもどうしていいのか分からない。半年ちょっと前に苦労はしたけど使えたじゃないか、と思う。でも分からない。Googleで調べながら、何度も似たよう作業をああでもないこうでもないと繰り返しているうちに、「あっ、できた」。でもちょっと文字が小さすぎる。もうちょっと右にしなければと繰り返しているうちに、もうこれでいいやとなるまでに、毎日ではないにしても十日もかかった。
道に迷って、どこをどう歩いたのかも分からくなったところで、ぽっと目の前に目的地の看板がでてきたようなもので、目的地にはついたものの、次に来るときに迷わずにいける道順が分からない。しっかり道順をと、なんど操作を確認したところで、半年もすればすっかり忘れている。
なんで使い慣れないソフトウェア、あるいは機能を使うたびに、ちょっとしたことができずにイライラするのか。改めて考えてみれば、それはソフトウェアがどう処理しているのか分からないブラックボックスであることから起きているとしか思えない。Googleで調べて、こうこうすればという説明をみつけて、こうこうしてもこうこうできない。なぜできないのかと考えても、なぜなのか分からない。こうこうすればという説明はあっても、こうこうできななかった、ならなかったときに、ならなかった原因の説明はなかなかない。できたらできた。できなかったらできなかった。どこかで操作が間違っているか、ときにはPCの設定が違っていたり、関係するソフトウェアがPCに入っていなかったり……。原因はさまざまで、さまざまな原因を追究する説明なんか、とでもじゃないがしきれない。しきれない、分かりはするが、なんとかならないものかと思う気持ちは変わらない。
できたらできた。できなかったら頭をかかえて、四苦八苦してくだいってのがソフトウェアじゃないかと、Powerless userには思えてならない。そんなもの使わないですむものなら使いたくない。しょうがないから、うんざりしながら今回もお世話になった。正直疲れた。もう当分いいや。
p.s.
六月十九日、『マーケティング:うどんのような仕事』、副題『製品開発と市場開発にクレーム処理 ビジネス傭兵へのOJT』を上梓した。
マーケティングとはなんのかを読み物の体裁で書いた。巷の教科書もどきの本にはない、ビジネスグルやコンサルのきれいに筋の通ったと話とも違う。切った張ったの実ビジネスの世界のマーケティング、例えてみれば「うどんのような仕事」。
「こだわってこだわって、こだわり抜いたうどん」もあれば「手を抜いて抜いて、もうこれ以上は抜きようのないところまで手を抜いたうどんもある」。どちらも「うどん」であることにかわりはない。マーケティングの仕事にはそんな「うどん」に似たところがある。
今日日、古タイヤから作ったタピオカがあるくらいだから、「うどん」と呼ばれている「インチキうどん」や「うどんもどき」もありそうだ。そこを市場としてみなければならない立場の人たちもいそうだが、そこまで手はまわらない。ご容赦を。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8973:190904〕
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