「メルトダウン懺悔録」
- 2011年 5月 16日
- 時代をみる
- メルトダウン瀬戸栄一
3・11巨大地震と津波・原発事故から2か月以上を経て東京電力第一福島原発1号炉の原子炉燃料がメルトダウン(炉心溶融)を起こしていた事実を、初めて具体的に認めた。菅直人首相も16日の衆院予算委でこれを追認した。
1号炉内の燃料棒の束は下の一部が冷却水で低温に保たれているはずだったが、実は水の上に丸々露出し、高熱でドロドロに溶け、燃えカスとなって原子炉の底に横たわっているらしい、というのだ。底がまるまる溶融して燃えカスは原子炉外に落ちているとすれば、まさしくメルトダウンそのものが起きたことになる。その割には超高温状態になっていないので、底が抜けるまでには至っていないという。
2か月も経って初めてメルトダウンが分かる。恐ろしい話である。筆者がメルトダウンなる不気味な原発事故用語を知ったのは、今から32年も前の1979年春、米国スリーマイル島原発事故の際である。このときは「チャイナ・シンドローム」という映画が上映され、米国内で危機的な原発事故のシンボルとして話題になった。
物凄く高熱の燃料が原子炉の底を突き抜けて地中深く貫通し、ついには地球の反対側の中国に出てくるという荒唐無稽の症候群だが、当時ワシントン特派員だった筆者は米国市民らと一緒にこの映画を見た。大げさな話とは知りながら、映画が終わって出てくる米国人たちがみんな恐怖感に打ちひしがれそうな表情をしていたのを記憶している。
そして1981年、今度は旧ソ連のチェルノブイリで原発の大爆発が起きた。当時、通信社の政治部デスクをしていた筆者は「こんな事故を起こすようでは日本でも原発は止めた方がいいんじゃないかね」と思わず意見を述べた。ところが、科学部のデスクの反論でたちまち引き下がってしまった。「日本の総電力量の30―40%は既に原発のエネルギーに依存している。いまさら原発から撤退してしまったら、替わりのエネルギーをどこから持ってくるのか、無理というべきではないか」―。科学部デスクは苦笑交じりの表情でこう言った。
筆者はこのデスクの「30―40%」発言にすっかり参ってしまった。まさか石炭産業に逆戻りするわけにもいくまいし、いつも不安定な中東情勢に揺さぶられながらも中東産出の原油に頼っていくしかない。その点、事故さえなければ原発は安価で安全な、やむを得ない手段なのだろう。
▽見抜けなかった懺悔
そして2011年3・11の巨大事故。あんなにひどい水素爆発を2度も起こして、メルトダウンが起きないのは不思議である。スリーマイル島原発であれほど米国民を恐怖に陥れたメルトダウンという言葉が大新聞やテレビにほとんど登場しないのがいぶかしかった。
まさか、2か月後に分かったメルトダウン発生の事実を、事故直後に察知しながら、パニックを恐れて隠したわけではあるまい。隠したのでなければ、メルトダウンを探知するにあたって致命的な科学技術上の能力不足があったと見ざるを得ない。
これが、筆者の第一の懺悔である。多少なりとも原発初のメルトダウンを32年前に「体験」しながら、今回、同様の原発事故を前に東電や政府、原子力専門家が発信する情報からメルトダウンをカンで察知できなかった。鈍かったと自己批判せざるを得ない。
▽節電の国民的決意
第二の懺悔は「30―40%」の説得性に抵抗できなかった弱さだ。今回の巨大事故・災害を連日のテレビや新聞で2か月間、突き付けられ「やはり原発も安全性を見直し、強化さえすれば継続してもよいのではないか」と結論づける論者は決して少数ではない。死者・行方不明者2万4千人、避難民10数万人、住宅の大半がガレキと化した海岸地帯を目撃して、もう一度、エネルギー源として安全対策を強化した原発を引き続き使用しようという意見は、まさに理解を超える。
筆者が「懺悔」というのは、原発は浜岡のみならず、50数基すべてにわたって凍結―停止―廃炉にすべきだという方向性に結びつく。これを補うのは国民全員の節電への決意と、代替エネルギー源の開発である。
▽政権交代もマイナスに
ここで安易に妥協したり、菅首相の決断を信頼して浜岡原発の全面停止だけにとどめるのでは、後世の世代への無責任につながる。繰り返すが、2か月余りを経ないとメルトダウンを認められないような、ひ弱な安全感覚では、2万数千の命を無駄にすることになる。
筆者は原発必要論(30―40%論)に押された結果、原発の科学的知識を蓄えることを怠り、安全神話に手を貸してしまった。メルトダウンの恐ろしさを言葉だけの記憶にとどめ、二度にわたる水素爆発の意味するところを見逃した。
政治と政治家の無力さを改めて痛感し、政権交代の空しさをも知った。1年9か月の民主党政権は、空前の大災害に強力に対処するにしては、あまりにもまとまりを欠き脆弱過ぎる。自民党ばかりが政権の座にいることの弊害はもちろん看過できないにしても、それと交代する政党が無責任でバラバラでは、政権交代がかえって国民に弊害をもたらすことが分かったのである。(了)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1409:110516〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。