大学という名の真空地帯 -書評:「東北大総長おやめください 研究不正と大学の私物化」-
- 2011年 5月 23日
- 評論・紹介・意見
- 川弾降雄東北大学研究不正疑惑
刊行前に国立大学法人東北大学の井上総長と法務課長から「出版を中止せよ。発行した場合はあらゆる法的措置をとる」という激烈な警告が出版元の社会評論社に送付された物騒な本だという。しかし圧力に屈せず無事予定通りに刊行され全国の書店で入手することができる。
1970年年代から一世を風靡した新素材にアモルファス金属がある。その後、膨大な研究開発が産学を挙げて行われ、現在では電気製品をはじめとする私たちの生活のさまざまなところで数多く利用されている。当時、全世界的にアモルファス金属研究をリードしたのが東北大学金属研究所の増本健教授を中心としたグループであった。本書の中心人物である井上明久教授もこのグループのメンバーで、アモルファス金属研究の草分けの一人として輝かしい実績をもち、アモルファス金属の一種である金属ガラス研究の世界的権威と呼ばれるに至っている。井上教授を頂点とした金属ガラス研究は隆盛を極め、産学協同研究数も膨大で、交付された公的な研究助成金の総額210億円に共同研究先の企業からの寄付を加えると、研究費の全体は莫大な金額になる。また井上教授が名を連ねた研究論文は、この10年間でおよそ1000報に及ぶと聞く。
本書は、現在の東北大学総長である井上明久教授とその研究グループによる研究論文の捏造疑惑(研究不正)に追ったものである。執筆は同じ東北大学の教員らで構成される「井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会」のメンバーで、会の代表である日野秀逸・前経済研究科長らは、本件により昨年井上総長から名誉毀損で提訴された。
この疑惑の発端は、数度の匿名投書が文科省、マスコミ、東北大学に送られた、4年前の2007年春にさかのぼる。投書の内容は井上総長研究論文に対し疑義を呈するもので、いまに至る間に仙台を中心とする東北地方ではしばしば大きくメディアに取り上げられていたが、所詮東北大学の内ゲバと受け取られたのか、全国的に大きく報道されてはいなかった。しかし、昨年英国の学会誌“Journal of Physics”に投稿された井上教授の研究グループの論文が、日本金属学会の欧文誌に掲載された論文と内容がオーバーラップしていた二重投稿問題(共同研究者の横山嘉彦東北大準教授による“自発的取り下げ”、という形で決着した)、本年2月の国際的な学術雑誌「Nature」に掲載された、“日本の大学総長と対立する教授会メンバー”なる記事によって、また本年3月16日号の「週刊新潮」にも取り上げられるに至り、この疑惑は全国区で注目を集めるようになった。
内容は、大きく分けて第一部:研究不正と大学の私物化と第二部:名誉毀損裁判の2部構成となっている。第一部ではどのようにして論文が捏造されたのかを多くの図表で示している。研究不正の具体的な内容は、学会誌に掲載された論文の検証によって行われる。1997年と1999年に日本金属学会の欧文誌に掲載された研究論文で記述されている、異なる溶製方法によって得られた供試材が全く同様な外観をしていること(29頁写真)両者のX線回折チャートの強度が、どのブラッグ角でもほぼ同一のプロファイルを持つこと(30頁図)等々が指摘されている。確かに非常に類似した合金系で同様の実験を行えば、類似したデータが得られることはあるだろうし、また続報、続々報という形式で延々と報告を連ねれば前報のデータを掲載する場合もある。しかしここで挙げられたデータは、これらとは異なる種類のものである。各々に掲載されたデータは、自然科学系論文の常套文句である「よい再現性が得られた」のレベルを通り越し、「実に見事な美しい一致であった」と感嘆してしまう類のものだ。
これらの疑念の解明を求める「井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会」を始めとする学内の活動に対しては、総長権限を最大限に活用して圧力をかけ潰しにかかる。大学を己に都合の良い組織に創り上げることが許されたのは、総長や事務局長に絶大な権力を与えた小泉-竹中ラインによる国立大学改革の賜物というわけか。更に研究者でもない文部官僚上がりの事務局長を副学長にするために学問的な業績を度外視して強引に教授に採用したり、自分勝手に学内規定を変更したり、疑惑の解明を求めた教授には名誉教授をなかなか与えずに嫌がらせをしたり(しかも、その中には金属精錬分野で優れた業績を持つ世界最高峰の研究者まで含まれている)、挙句の果ては追求者を名誉毀損で告発までする。既に広く世界的な研究者として認められている人のすることらしくもない。これらが本当ならば総長による私物化といった生やさしいものではなく、総長の専横独裁がまかり通る、大学という名の真空地帯としかいいようがない。
学内の自浄作用に期待ができないのならば、と疑惑の論文を掲載した日本金属学会に不正を告発すれば、今後は不受理で突き放される。すばやく二重投稿を指弾した“Journal of Physics”の対応と異なり、論文捏造疑惑の追求と解明に日本金属学会が本腰を入れないのは、金属学会本部は東京ではなく仙台にあり歴史的に金属学会と東北大学との結びつきが深いこと、今回疑惑の主が金属学会の大ボスの現東北大学総長であること、不正が真実なら論文の捏造を見逃して掲載した審査体制への批判が起こるであろうこと、等々が挙げられる。本多光太郎博士の昔から東北大学とは切っても切れない関係にある日本金属学会からすれば、不受理はむしろ当然の対応ということになるのだろうか。英国と日本とでは事情が異なるらしい。
第二部では、昨年7月に井上総長と横山准教授から起こされた、「井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会」メンバーへの名誉毀損裁判の経緯を述べている。ここでも先に挙げたものとは別の、複数の研究論文に掲載された不思議な試料の合成写真とか、設備能力を超えた重さの試料をまるで魔法のようにして一度に溶かして作成するなどの事例が紹介されている。移動時の不慮の事故で実験記録と試料が天津港の底深くに沈んでしまったものを除けば、これらの疑念はいずれもはっきりと明確に答えられるので、わざわざ名誉毀損裁判に持ち込んで白黒の決着をつけるのも大人気ない。
著者が経済学部など文系の教員だから技術論文の内容を精査できるのか、と読者は疑問を抱かれるかも知れない。しかし読み進むうちに金属分野の研究者たちが検証に加わっていることが分かるので、技術的なバックグランドに問題はない。工学に無関係な読者にはほとんどなじみのない専門用語に彩られているが、添付された数多くの図表と一緒に眺めれば、問題点は案外とすんなりと理解できるだろう。
今回発生した福島第一原子力発電所事故に見る、あまたの不始末が露見する今となっては世界に冠たるはずのニッポンの研究者や技術者の中にも、あまり世界に誇れないのが少なからずいるらしいことが、連日の原発事故報道で日本の隅々まで認知されてしまった。戦後の日本の繁栄を築いた「技術大国ニッポン」のお粗末さと、「原子力立国ニッポン」の破廉恥さも世界中に知れわたってしまった。このようなときに本書を読めば「なんだ、ニッポン科学技術の土台がこんなレベルなのだから、むべなるかなだね」とあきれる方が少なからずいると思われる。まことに残念ながらこれに反論する言葉をいまのニッポンの研究者、技術者は持ち合わせていない。
ずっと先の将来に、「大学での研究のいい加減さもニッポンの科学技術が衰退した原因のひとつであった」などと総括されないようにしてもらいたいと願う。
(「東北大総長おやめください 研究不正と大学の私物化」社会評論社刊、税込1,890円)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0472:110523〕
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