青山森人の東チモールだより…政府機関、ウラニウムの存在を正式に発表
- 2019年 11月 28日
- 評論・紹介・意見
- 青山森人
いわゆる気候変動か、はたまた異常気象か
先月 10 月 28 日(月)の午後4時ちょっと前に、ごく短時間ですが雨が降り、わたしはビラベルデの内 務省隣に建設中の建物に5~6分だけですが雨宿りをしました。この雨にあたった首都ディリ(Dili、 デリ)の住民なら誰しもが新たな雨の季節の幕開けだなと思ったに違いありません。
翌 10 月 29 日、前の日に雨が降らなかった首都はずれに位置するベコラでも雨がちょっと強く降りま した。そして 31 日になると、ベコラで午後5から7時ごろまで雨が本格的に降りました。11 月 1 日、 午後4時半ごろ、小雨がほんの少し降り、2日、午後3時ごろ5分間降っただけでした。おや、どうし たのかな、もうちょっと派手に降ってくれてもよさそうなのに…。3日(日)、午後 4 時半ごろ、期待 に応えてそれなりに強く降ってくれました。いよいよ雨季本番の到来だと思いました。ところがこれ以 降、パッタリと雨が降りませんでした。
どうした、なぜ雨が降らないのだ、いわゆる気候変動だな、雨が降らないから暑い、早くひと雨欲し い、水不足が心配だ…などなど、このような会話が巷で挨拶代わりとなって3週間も経ちました。
11 月 24 日(日)ベコラ、午後3時半ごろ、風雲急を告げるがごとく、周囲が暗くなり、冷たい風が 土埃を舞い上げて、吹けよ風・呼べよ嵐の状態になりました。ついに来た、さあ、バケツをひっくり返
すような豪雨がくるぞ~とわたしは待ち構えました。ところが、風がやんで晴れてしまい、雨はまたし てもお預けとなってしまったのです。
11 月ももう終わりに近づいているというのに、雨が降らないのは変です。水不足になりませんように。 心の中で雨乞いをしているのはきっとわたしだけではないことでしょう。
11 月 25 日(月)、午後 4 時 30 分ごろ、前日のようにあたりが暗くなり、そうかといって吹けよ風・ 呼べよ嵐の状態にはなりませんでした。しかし、ポツリ、ポツッ、ポツリ、ポツッ…ときたではありま
せんか。2時間も続きませんでしたが、雨が降ってくれました。ちゃんとした雨が降り注いでくれたの は3週間と1日振りです。
東チモールの小・中・高校では 11 月 18 日の月曜日から 22 日の金曜日まで学期末テストの一週間で した。生徒たちが家から学校へ通う時間帯が通常の授業が行われてるときと違うので、町全体の様子も
日常とは異なる風景が展開されます。なにせ東チモールの人口構成は日本とは真逆といってよく、子ど
もたちの占める高い人口比率はそのまま町の風景をも占めます。子どもたちの動きが変わると、町の風
景も変わるのです。11 月 22 日(金)、首都ディリの幼稚園では卒業が行われました。テストが終わり、 園児は卒業し、東チモールの子どもたちにとってクリスマスの足音が聞こえてくる季節になりました。 大雨にならない程度に、いい按配に、適度に雨が降るいい雨季になってほしいと思います。
ベコラにある幼稚園の卒業式の様子。 2019 年 11 月 22 日、ⒸAoyama Morito.
28 年目の「11 月 19 日」
11 月 19 日、あまり聞き慣れない「11 月 19 日」を記念する記者会見が行われました。1991 年 11 月 12 日、「サンタクスルの虐殺」が起こったあと、インドネシアに滞在する東チモール人がジャカルタに 集まり、同年 11 月 19 日、デモ活動をしました。当時、インドネシアに留学していた東チモール人が、
「11 月 12 日委員会」の事務所がある建物前広場に集まり、東チモール人によるインドネシア国内での 初抗議活動となったこの日のこの活動を、記者会見を開いて記念しました。
「11 月 12 日委員会」の事務所となっている建物は、かつて CAVR「受容・真実・和解委員会」(*) の事務所でした。「11 月 12 日委員会」は来年、近くの消防署向かいに事務所を移転する予定で、現在 ここは CNC(Centro Nacional Chega! シェガ!国民センター)の事務所にもなっています。
(*)CAVR は 1974 年4月から 1999 年 10 月までに起こった人権侵害を調査する機関として、国連と 東チモール政府によって設立された。2002 年から活動し、2005 年に解散した。CAVR による調査報告 書の題名が Chega!「シェガ!」つまり「(もう)たくさんだ!」である。CAVR の後継組織として2 年前に CNC が設立された。
CNC 事務所入り口。 2019 年 11 月 19 日、バリデにて。 ⒸAoyama Morito.
2600 ページ以上に及ぶ人権侵害の報告書 Chega!『(もう)たくさんだ!』。 2019 年 11 月 25 日、わたしの滞在するベコラの家にて。 ⒸAoyama Morito.
わたしは CAVR が公聴会を開いていたとき、よくこの建物を訪れたものですが、最近はすっかり遠ざ かってしまいました。この建物は久し振りです。ここは侵略軍による政治犯収容所だったところです。
この日の記者会見に集まった人たちにはここに収容された人もいます。「最初にオレはこの部屋に入れ
られた。7人もいた。2週間後、こっちの部屋に移されオレを含めて2人が1か月以上入れられた。こ
の部屋は床が水浸しだったよ。2か月後、この施設が満杯になったので、オレはバウカウの刑務所に移
された…」と部屋を案内しながらわたしに解説してくれた人もいました。「部屋」とは窓のないコンク
リートで囲まれた四畳半にも満たない狭い空間です。軍事占領から生き残って現在を生きる東チモール 人にはまず心の癒しが必要だと、わたしは改めて確信しました。侵略軍が撤退してから 20 年も経つの に、残念ながら心の癒しが不十分であるというのが実情です。この実情とは惨状といってよく、東チモ ールの現状の根底に潜む問題です。
「11 月 19 日」を記念する記者会見の模様。 2019 年 11 月 19 日、バリデにて。 ⒸAoyama Morito.
ウラニウムに手をつけるな!
東チモールが独立する前から一般に謂われてきたことですが、独立後の東チモール政府はそのことに
かんして正式に言及することはなく、わたしは内心、ずっとこのままそっとしておいてほしいと願って
いる一方で、いつか東チモール政府はそのことを公式に発表し、それに接近するのではないかと怖れて いたことがありましたが、あぁ…、ついにそうなってしまいました。
「そのこと」とはウラニウムです。
11 月 10 日夜、GMN 局の TV ニュース画面の下に小さく流れる文字情報に「石油・地質機関が東チ モールにウラニウムがあることを明らかにした…」とあったのです。ウラニウムがある場所として、コ バリマ地方、マナトゥト地方そして RAEOA(飛び地のオイクシ・アンベノ特別行政区などが示されて いました。
実際すでにこれより2~3日前にこの発表があり、その際「ウラニウムは東チモールにとって重要で はない」と政府機関は語ったとわたしはジャーナリストからききました。
「ウラニウムは東チモールにとって重要ではない」というのは、「ウラニウムは東チモールにとって
重要な資源である」というよりも雲泥の差がつくほど遥かに好ましい発言ではあるけれど、昔から謂わ
れてきたことで半ば既成事実のような話を、なぜ今このタイミングで公表したのかを考えると、憂鬱に なってしまいます。
この発表が東チモール政府がウラニウムに近付こうとする前兆を意味するのでしょうか。わたしは CNRT(東チモール再建国民会議、連立政権内の最大与党、党首はシャナナ=グズマン)出身の政府要 職に就くある人物に、政府はウラニウムをどうするつもりか、と訊ねましたが、「知らない、本当に知
らない」と返ってきました。たとえ知っていてもこう応えるのは当然のことです。ただこの人は、イン
ドネシアが東チモールを占領中にインドネシア当局が東チモールにウラニウムがあることを発見した という本をインドネシア占領時代に読んだことがあると話してくれました。
わたしの憂慮が取越し苦労でありますように……核のゴミ捨て場にされている青森県の人間として ひたすら祈るのみです。
青山森人の東チモールだより 第404号(2019年11月25日)より
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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