アウンサン・スーチー国際司法裁判所へ、普遍的諸価値からの公然たる離反
- 2019年 12月 1日
- 評論・紹介・意見
- アウンサン・スーチーちきゅう座会員ミャンマー野上俊明
ロヒンギャ70万人のエクソダスを生み出したミャンマー・ラカイン州危機からまる2年、半世紀ぶりに成立した文民政府への幻滅とともに、以後アウンサン・スーチーやミャンマーという国は、われわれ国際社会の視野から遠ざかった感があります。欧米の新聞をSuu Kyiで検索しても、旧聞に属する記事しか拾えないという事実が、国際社会の関心の後退を表しています。ところがこのたび再び我々の耳目を驚かすミャンマー発のトッピクスが飛び込んできました。すなわちオランダのハーグにある国際司法裁判所が、12月10日から始まる訴追に先立つ事情聴取にミャンマー政府と国軍を召喚しましたが、それに応じてミャンマー政府は国軍と合同チームを組んでスーチー氏自らが出廷し、ミャンマー国の名誉のために闘うと声明を発表したのです。本年半ばから、さきに国連の調査委員会が「ジェノサイド」(大量虐殺)と規定したロヒンギャ危機にかんし、国際刑事裁判所や国際司法裁判所がミャンマー政府および国軍を訴追する動きを示していることが伝えられていました。この度ガンビアがイスラム協力機構(OIC)を代表して、ミャンマーがロヒンギャのジェノサイドを行なったとして提訴し、それを受けていよいよ国際司法裁判所が訴追準備に入ったのです。顧みれば、国際司法裁判所における訴追の前例は、あのユーゴスラビア紛争におけるジェノサイド問題であり、国際社会はロヒンギャ危機をそれと並ぶ重大な人道的な危機案件と認めたということになります。ノーベル平和賞受賞者であり、民主主義と人権の希望の星だった人と政府が、一転人道的な危機の責任を問われるという前代未聞の事態が出来しつつあるのです。しかもついこの間まで、つまりNLDの非合法化時代には、スーチー氏は口を極めて国軍の暴力支配を非難していたのです。とくに婦女子に対する非人道的な残虐行為は、それを生き延びた場合でも致命的なトラウマを負わせるもので、そのような結果を計算に入れたうえでなされるだけに残酷極まりないものだとして国際世論に強く訴えたものでした。
ところがスーチー氏は2016年政権に就くや、国民和解の美名のもとに国軍との融和を最優先の課題として推し進めてきました。安定した政権運営のためには国軍の協力が欠かせないとし、そのために民主化や近代化の課題は国軍の既得権を侵さない範囲に限定せざるをえませんでした。そうしたなかでNLD政府の限界が、内戦終結や辺境地帯のコミュナル紛争(地域的な民族宗教紛争)の解決になんのイニシアチブも発揮できなかったところに如実に表れたのです。内戦は停戦地域を広げつつも、シャン州北部やラカイン州ではいまなお武力衝突が頻発しています。軍事は国軍の専決事項という権限の制約もありますが、NLD 文民政府は、国軍の武力行使に批判的な構えを見せたことは一度もないといっていいのです。NLDは恐れるに足りず、世論を組織し政治勢力として国軍の脅威になる恐れなしと判断したからこそ、ラカイン州でロヒンギャ問題の「最終解決」―存在そのものをラカイン州から抹殺する―の戦略的に明確な意図のもとに、残虐極まりない「掃討=焦土作戦」を展開し、70万人のエクソダスを「実現」したのです。
ロヒンギャ危機に対し、スーチー氏は当初その報道をフェイク・ニュース扱いし、逃げた人もいるが逃げない人もいるだの、ロヒンギャが仏教徒ラカイン族に襲い掛かった例もあり、どっちもどっちだなどとのたまい、掃討作戦はテロリスト集団であるARSA(アラカン・ロヒンギャ救世軍)の攻撃に対する正当な反撃であったと国軍の肩をもったのです。何十万という民族集団が国境を越えて難民化する事態に,いわば眉ひとつ動かさないノーベル平和賞受賞者に国際世論は愕然としたのです。
すでに事件発生から2年以上が経過、しかしバングラデッシュにのがれた70万人以上ものロヒンギャを帰還する事業は、バングラデッシュとミャンマー両国の協定にもかかわらず一向に進捗せず、ミャンマー側は帰還事業にバングラデッシュが協力的でないせいだとして非難しております。常識的に考えて、バングラデッシュ側が帰還を遅らせることで得られるメリットはあり得るはずもないのですから、ミャンマー側の言い分は責任転嫁としか言いようのないものです。南アジアの最貧国が100万人もの難民を抱えていることの経済的負担と潜在的な政治的危険性を考えるとき、バングラデッシュ側の忍耐と寛容は称賛に値するといえるでしょう。それに比して、ロヒンギャが求めている安全で尊厳ある本国への帰還の要求に対し、スーチー政府は本気で取り合おうとはしていません。問題の根本的解決のためには、ロヒンギャへの国籍=市民権付与という、ビルマ族仏教徒が狂信的に反対する大きな壁を乗り越えなければならないからです。反イスラムの宗教的心情を共有するスーチー氏と国軍は、サボタージュを決め込んでいのです。
スーチー氏の変容は政治家としてのプラグマティムズの範囲を超えて、思想的な転落の様相を呈しています。彼女の言い分によれば、ロヒンギャ問題をはじめとするラカイン危機は宗教・民族問題とは関係ないそうです。ラカイン州の危機は宗教的民族的な差別や軋轢に淵源するものではない。貧困問題が解決すれば、自動的に異教徒間の軋轢はなくなるといわんばかりの口吻です。宗教的民族的差別と貧困問題(開発の遅れ)が分かちがたく結びついているところにミャンマーの、とくに辺境地域の特殊性があるというのにです。しかし彼女が本気でそう思っているとは信じられません。真相は、スーチー氏とNLDが政権基盤をおくビルマ族仏教徒の多数派支配の実態を隠したいというところにあるのでしょう。民主主義への過渡的過程といいながらもその中身は、政府・国軍・聖職者層を連結するビルマ族仏教徒による多数派の横暴であります。その一つの典型例が、少数民族問題に対する彼女の姿勢です。本来なら憲法改正問題で、「民主的な連邦制国家の樹立」という政治目標では一致するはずの少数民族組織との政治的な連携や同盟をNLDはあくまで拒否しています。少数民族も含めた民主的な統一戦線によって国軍を包囲し、国軍の既得権益を奪い返すことこそが憲法改正に集約される民主化の本筋であるでしょうに、それよりもNLDは国軍とのビルマ族仏教徒連携を優先するのです。この点では、アウンサン将軍の政治的遺産である「民族和解」路線をスーチー氏もNLDも裏切っていると言わざるを得ません。アウンサン将軍はイギリスからの独立に際し、国民国家建設のために異教徒間異民族間の統一が不可欠であるとして、少数民族の自治権自決権に通じる「パンロン協定」を締結したのでしたから。
スーチー氏の変容の第二点は、国連的人権主義から、ODAや外資を導入して産業を活発化すれば、おのずと近代化・工業化は達成されると考える経済主義への転換です。ミャンマーの牢固としてぬきがたい既成体制(=国軍と政商による経済支配)をそのままに、本格的な政治・経済・社会変革はサボタージュしたまま、外資と援助に頼って国づくりを進めています。たしかに中国を筆頭に東アジア・東南アジア・南アジアの大国がこぞってミャンマーへの資金投入を競争的に進めていますから順風満帆にみえますが、ひとたび金融危機が起きれば資金ショートで債務危機と経済破綻に陥る危険性があります。それでなくとも国土開発計画・都市計画や工業化計画そのものを諸外国に依存しーー例えば、中国の「一帯一路」戦略ーー自立的国民経済の観点か希薄なだけに、経済成長と引き換えに貧富の差や社会格差がかえって拡大することは目に見えています。軍部独裁時代の「買弁的」経済支配スキームにさほど改革の手が及んでいないだけに、その危険性は小さくはないでしょう。
現在憲法改正問題では国軍の頑固な反対に直面していますが、スーチー氏らがどこまで本気でやろうとしているのかは疑問です。2015年の総選挙でのNLDの筆頭公約であった憲法改正事業に取り組んでいるという選挙向けの対外的対内的なポーズであり、本格的に国軍と事を構えるつもりはないと思います。議会での憲法論争は議会内に封印コントロールされ、世論喚起の大々的な動きもありません。つまりは来年2020年10月に行われるであろう総選挙をにらんでの選挙対策、世論操作の一つにすぎないのです。本気であれば、同じように憲法改正=民主的な連邦国家の実現を掲げる少数民族諸組織との連携が必要であり、またそこには大きな政治的可能性が秘められているのですが、すでに早々とNLDはかれらと手を組むつもりはないと表明しています。国軍に憲法改正問題で何らかの譲歩を勝ち取るためには、恩を売っておく必要があり、今回の国際司法裁判所でのスーチー氏のしゃしゃり出は、そのような意図のもとになされると考えてもあながち牽強付会とはいえないでしょう。おそらくスーチー氏の大統領就任を阻んでいる条項ーー配偶者や子息が外国籍のものは、大統領に就任できないーーの改正をかちとれば御の字、それで改正はなったとお茶を濁すのではないか、そういう印象を持ちます。
今回の国際司法裁判所への出廷について、国軍は政府のいうことに従って協力していくとのしおらしい声明を発表しています。国軍との政治同盟というルビコン川をスーチー政権は越えつつあるのです。ビルマ族仏教徒はもろ手を挙げて賛成しています。国軍との政治同盟がどのような歴史的結果を招くのか、もう一度かれらは歴史のさらい直しをしなければならない事態に自らを追い込んでいるようにしか見えません。しかし一見ミャンマー世論を圧倒しているのは、反ロヒンギャ感情であり、親ビルマ族仏教徒感情ですが、しかし消極的とはいえ抵抗の姿勢を示しているのは、軍部独裁時代に地下抵抗したジャーナリズム・グループや市民活動グループです。また外資系の縫製企業では、たえまなく賃金や労働条件改善のための労働争議が起こっています。いずれにせよ、民主化勢力は情勢に柔軟に対応しながら、根気強く抵抗の論陣を張り、個別の課題の追求を通じてなんとか現状の打開をめざして活動を続けています。軍政時代とはちがって民主化勢力は苦闘しながらも抵抗能力を徐々にではあれ身に着けてきている、という強い印象を受けています。だからこそスーチー氏は次期総選挙での支持の後退の兆候に焦り、右寄り路線で苦境を突破しようとしているのです。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9224:191201〕
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