今、政治的舞台で不足しているのはどんな役者か
- 2010年 6月 5日
- 評論・紹介・意見
かつて安保改定を推進した岸信介は格好の役者であった。安保改定反対闘争は岸が首相だから盛り上がったのだとすら言われた。当時、大学に入学したばかりでデモに明け暮れていた僕も岸に憎悪をかき立てていた。その岸はおもしろいことを言っている。彼が安保改定を推進するにあたって一番こころしたことは、当時の対立する野党であった社会党や総評、あるいは全学連等の反対運動グループの動向ではなく、党内で意思一致や結束が維持できるかどうかであったと。つまり、岸は安保改定をやるにあたって反対党や大衆運動に対する対策よりは党内対策に多くの意を注いだというのだ。当時、岸の安保改定に党内で異論を持つものに河野一郎や三木武夫、それに池田勇人などがいた。事実、河野や三木は岸の国会での新安保条約批准の強行採決(5月19日)に反対した。
党内野党を抱え込むことで長期政権が成立してきた自民党ならではのことと言えばそれまでであるが、ここには日本の政党政治という政治的舞台の秘密があるように思う。鳩山と小沢の辞任劇に伴う民主党政権は菅首相の誕生によって決着がつくであろうが、問題は依然として同じ構造にあると言える。つまり、菅政権の行方を決するのは民主党の党内対応であり、党内の動きであるということだ。鳩山首相の辞任劇は鳩山の政府側と小沢の党側の一致が解体したことである。鳩山が辞任にあたって「カネと政治」のことを引きずり出し、普天間基地や日米関係のことを後景にし、マスメディアもそれに乗っていく背後には小沢の影が意識されていることは間違いあるまい。そこには民主党の多くの議員の普天間基地問題での意思表明(社民党の議員も含めて180人の署名)が存在してもいる。多分、小沢一郎の失敗は鳩山内閣のために党内結束を図ろうとして、民主党内部の政府の施策に対する議論を活性化しえなかったことである。内閣に対する党の意見を一本化しようとし過ぎたのである。かつての自由民主党は資本主義社会の選択という大きな枠組みで一致していたが故に、具体的な政治や政策においては多様な政治的存在を許容した。そうせざるをえなかったといっていい。現在の民主党にはそのような大きな枠組みでの統一性はない。これは現在の日本の政治の構造である。民主党はその意味で自民党より不安定なのだ。民主党の不安定さは政府の不安定さである。しかも政府は脱官僚を志向している。小沢は不安定さを解消するに意をくだいたのであろう。その小沢の影響力の減衰は党内議論を活性化させるにちがいない。これは必然である。菅は政治的構想や見識で党の結束を可能できるか、その役者であるか(?)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion005:100605〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。