護憲派と保守派の会話の機会を歓迎する。
- 2019年 12月 11日
- 評論・紹介・意見
- 大衆運動澤藤統一郎
文京区民センターにはよく出かける。市民団体が主催する多彩な催し物があって、私は、ここを気取りのない市民運動のメッカだと思い込んでいた。
ところが、後から教えられたがこんなツィッターが出回っていたそうだ。
「ジョン・レノンの命日である12月8日、都内で詐欺映画『主戦場』の上映会があります。場所はつくる会のおひざ元で、保守系イベントの聖地・文京区民センターという、実にアグレッシブな上映会。つきましては、『主戦場』被害者の皆さんと同映画を観るツアーを企画しています」
へえ~。文京区民センターは「つくる会のおひざ元で、保守系イベントの聖地」なのか。そうとは知らなかった。それにしても、「詐欺映画『主戦場』」とは、実にアグレッシブな物言い。
12月8日(日曜日)午後、文京区民センターで企画されたのは、第54回の「憲法を考える映画の会」。映画 「主戦場」(上映時間122分)とその後のトークイベント。主催者は、企画の趣旨をこう語っている。
■あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」中止事件、KAWASAKIしんゆり映画祭「主戦場」上映中止事件…。次々と襲いかかってくる「表現の自由」妨害、私たちはそれらの動きの裏にあるものを見極めるためにも、あえて「市民の手でこの映画の上映を」という市民運動をしたいと思っています。
慰安婦たちは「性奴隷」だったのか?
「強制連行」は本当にあったのか?
なぜ元慰安婦たちの証言はブレるのか?
そして、日本政府の謝罪と法的責任とは……?
次々と浮上する疑問を胸にデザキは、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、ケント・ギルバート(弁護士/タレント)、渡辺美奈(「女たちの戦争と平和資料館」事務局長)、吉見義明(歴史学者)など、日・米・韓のこの論争の中心人物たちを訪ね回った。
さて、主戦場へようこそ。
事後に、ネットにこんな情報が流れていた。
きょう(12/8)「憲法を考える映画の会」主催の『主戦場』上映会にいった。文京区民センターだが、満席で200は軽く超えていた。そこになんと出演しているケント・ギルバート氏と藤岡信勝氏がやってきた。その支援者も10名以上はいて、いったいどうなることかと不安もあったが、上映中はみんな静かに観賞していた。
その後の約1時間の「感想会」ではお二人も参加しての「大ディスカッション」になった。会場からの感想・質疑のあと、二人はこの映画のおかしいを含め、自分たちの主張を言いたい放題だった。会場全体で「大バトル」になったが、それぞれが短い言葉で必死に説得しようとしているので、勉強になったし面白かった。ヤジもあったりしたが、終始、ちゃんと議論したと思う。主催者の花崎さんも「とてもよかった」と語っていた。
上映妨害があるのでないかと主催者もピリピリしていたが、なにごともなく約2時間の上映中はみんな静かに鑑賞していた。10分の休憩をはさんで約1時間の感想会がもたれた。休憩時間に藤岡信勝氏が主催者に何やら申し入れをしていた。「発言の機会がほしい」という趣旨のようだった。
当初は、上映後に「女たちの戦争と平和資料館」館長で映画にも出ている渡辺美奈さんのトークが予定されていたが、本人の都合により中止になった。そのためいきなり「一人3分の感想会」になり、会場からは次々に感想や質問が寄せられた。それを受ける形で、ケント・ギルバート氏と藤岡信勝氏がマイクを握った。
ケント・ギルバート氏は「まずこの映画の評価をしたい」と切り出し「私はこの映画の前半は両者の意見がバランスよくでていたと思う。しかし後半の日本会議の話のあたりから一方的なプロパガンダになっている」と批判した。藤岡信勝氏は「私が映画のなかで『国家は謝罪しない』と述べているが、そこだけ切り取られていて真意が伝わっていない」「はじめから歴史修正主義者として極悪人扱いされた」と映画への不満を語った。
会場と「保守系論客」との間で、映画の3つの争点となっている「慰安婦の数」「軍の関与」「強制だったのか」をめぐってやりとりが続いた。会場のある女性は「私は中国人慰安婦の万愛花さんに会って直接、強制連行・虐待の話を聞いた。あなたたちは直接慰安婦の話を聞いたことがあるのか?」と問いかけた。ある男性は「南京事件のレイプの酷さが慰安所設置のきっかけになった。その時の軍の書類は残っている。軍の関与は間違いない」と語った。
ときおり激しいヤジも出る「大バトル」となったが、発言者はそれぞれが短い言葉で必死に相手を説得しようとして話すので、内容が具体的で勉強になったし面白かった。ある映画制作者の人は「ケントさんも藤岡さんも取材を受けたわけで編集権は制作者側にある。ここで何を言われてもしようがない。きょうは憲法の会主催の上映会。ここを乗っ取ろうということではなく、ご自分たちで上映会を開き思う存分話したらどうか」と語ると大きな拍手が起きた。
最後に主催者の花崎哲さんが挨拶した。「休憩時間に藤岡さんから申し出があり質問に答える形ということで発言をOKした。きょうは活発な討論になってビックリしたが、お二人に来てもらってよかった。いろんな方が一緒に映画を見ていろんなことを話す。それが大事だと思う」と安堵した様子で語っていた。(松原明)
これは得がたい機会だった。わたしも、出席したかった。私はケント・ギルバートも藤岡信勝もまったく評価していない。しかし、アウエーに出てきて話し合いをしようというその姿勢は立派なものではないか。いつも逃げの姿勢の安倍晋三よりはずっとマシではないか。
ご両人、今後も「憲法を考える映画の会」に出てきてはいかがか。憲法を護ろうとする側と攻撃する側の落ちついた議論ができれば、貴重な場となる。「大バトルの必要はない」。静かな話し合いでよい。文京区民センターが、幅の広い市民の対話のメッカとなれば、素晴らしいことではないか。
(2019年12月10日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.12.10より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=13919
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9252:191211〕
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