アフリカ開発会議 (TICAD) は日本政府の主導の下、国連、国際連合開発計画、アフリカ連合委員会、世界銀行の協賛を得て、1993年から開催されている国際会議である。この会議は現在、三年に一度開かれており、第7回である今回は横浜で8月28日から30日まで開かれた。ここではTICADの意義や問題点について話そうという訳ではない。今回の開催と連動して都内にある某大学の八王子キャンパスで11月13、14、15日にアフリカ映画祭という企画が行われたのだが (最初の日はマイケル・マシソン・ミラー監督の「ポバティー・インク~あなたの寄付の不都合な真実」、二日目は小林茂監督の「チョコラ!」、最終日はティエリー・ミッシェル監督の「女を修理する男」が上映された)、この企画についてのポスターを13日にその大学に出講していた私が発見したのだ。ここで考察する事柄はこのことと関係する。
アフリカ映画祭と銘打った企画にはフライヤーがあり、そこには「××大学は国際化を推進するため、キャンパス全体をグローバルな学びの場とすべく「インターナショナル・ウィーク」を開催しています。今年のテーマは「アフリカとアジア途上国」。有望なビジネス市場として注目される一方、世界の最貧困層の半数強がサブサハラ・アフリカ地域に集中するなど、多くの人々が未だ根深い貧困に喘いでいる地域です。私たちに何ができるのでしょうか。まずはアフリカの姿を一歩知ることから始めてみませんか?」と書かれてあった。文科省のお達しに迎合するお決まりの「国際化」、「グローバル」、「インターナショナル」というプラスチックワードが並び、最後に「アフリカを知るための第一歩」という言葉。鼻につく文面だ。だが、この映画祭の二日目、つまりは今日上映される「チョコラ!」という映画に興味が沸いた。小林茂監督が2009年に、ケニアのナイロビ近郊の小都市でゴミ拾いをして暮らすストリートチルドレンを撮ったドキュメンタリー映画である。日本人が見つめたアフリカとは何かその点が気になったのである。
一月程前、私は多摩美術大学美術館で開催されていた「エターナル・アフリカ*森と都市と革命―アミルカル・カブラルの革命思想とジョージ・リランガの芸術―」という展覧会でリランガが制作したヒロシマに関するパネル作品を見た。それは日本人が捉えることが決してできないであろう被爆地ヒロシマのイメージを表したものであった。創造的精神は自らとは異なる歴史や社会や文化の中で起きた大きな出来事を同一空間内の共同性を超えて表現することができ、異化効果によって、その創造された作品はわれわれに確かに語り掛けることが可能である。リランガの作品はそうした認識を強く抱かせるものであった。偶然にも一月後に、リランガとは逆に日本人がアフリカというものをテーマとした小林の映画が上映される。この点に私は強く引き付けられ、詰まらない講義をいつもよりも早く切り上げて上映会場に急いだのである。
このテクストで問題となる探究視点は三つある。一つ目は現在のアフリカという問題、二つ目はドキュメンタリー映画の困難さという問題、三つ目は異文化を見つめる目という問題である。この三つの視点からの探究によって異なる社会や文化をどのように捉えることが可能かという問いに対して答えていこうと思うのである。では、それぞれの視点からの考察を開始しよう。
現在のアフリカ:ナイロビを巡る問題
アフリカ文化研究者の白石顕二は『ポップ・アフリカ』(以下、白石の言葉はこの本からの引用である) の中で、1980年代後半のケニアのナイロビ、タンザニアのダルエスサラーム、ウガンダのカンパラという東アフリカの三つの都市についての印象的な文章を書いている。白石は「経済の貧困、文化の貧困を、この三都に見い出すことは容易だ。経済のランクをつければ、ナイロビ、ダルエスサラーム、カンパラの順というのが妥当な評価だろう。しかし、都市のアメニティからいえば、その逆になるかもしれない。情報量の多募からすれば、ナイロビが圧倒的だ。が、表現の自由度でみればダルエスサラーム。また新聞の数でいうとカンパラだ、となるように三都は独特の観を見せてくれる」と述べている。1980年後半は今からもう30年以上も前のこととなるが、この頃からナイロビはアフリカの中でも特異な都市だったことが判る。
ケニア共和国の首都であるナイロビには現在約336万人の住民がおり、アフリカで七番目に人口が多い都市である。経済活動も活発であり、数多くの国際機関が存在しており、東アフリカを代表する都市となっている。白石のナイロビに対する「スーツ姿の男性ビジネスマンの姿も、カラフルでファッショナブルな若い女性たちの姿も、蜃気楼のごとき街の風景の中にぴったりとはまっている。靴だってピカピカだ。だれもがさっそうとして見える」という言葉はこの都市の持つ特性を正確に伝えている。小林の映画「チョコラ!」の登場人物は前述したようにこの都市の近郊にある小都市ティカで暮らすストリートチルドレン、つまりは、スワヒリ語のチョコラたちであり、この作品は彼らのドキュメンタリーである。ナイロビというアフリカを代表する国際都市の一つがその傍にあるにも係わらず、この映画に映っているティカの様相は田舎町そのものだ。ケニアの人口密度は2018年の統計で、世界第93位、85.65人/km2である。第25位の日本が332.07人/km2の約四分の一。人口は大都市に集中し、他の町の人口はそれほど多くはないように思われる。
ケニアの全人口は約4500万人。英語が公用語であるが、スワヒリ語、キクユ語なども話される多言語国家であるが、ナイロビで話されているスワヒリ語は標準スワヒリ語ではなくナイロビ方言のスワヒリ語である。こうした多言語併用状況のため、「チョコラ!」でも三つの言語が話されている。また、映画ではまったく語られていないが、言語問題からも判るようにケニアは複合民族国家で、ケニア内の民族数は40から50であると言われている。その中心にある二大民族がキクユ人とルオー人である。二つの民族は協調政策を取ろうとしたが、2007年の選挙の後、大きな内乱が起こり、死者千人以上、数十万人が国内難民となった。2008年に撮影が完了した「チョコラ!」は、この内乱のすぐ後に映されたものである。ストリートチルドレンと内乱との関係はあるのかという問題も、民族対立の問題も映画の中でまったく示されてはいないが、民族問題がケニアの大問題であることは忘れてはならないこの国の現実である。
こうした背景を持つケニアの首都ナイロビの郊外の町ティカはナイロビから北東に約42km離れた場所にある小都市で、人口は2019年で約28万人だが、映画撮影当時は10万人程であった。オルドイニョ・サブク国立公園に面し、主要産業は農業であったが、近年ではティカ高速道路が開通し、自動車工場やセメント工場なども立ち並ぶ工業都市となっている。アフリカの経済的発展が急激であるため、ティカの町やストリートチルドレンの状況が「チョコラ!」が撮られた10年前のままであるかどうかは不明である。
ドキュメンタリー映画の困難さ
10年前の日本と今の日本とを比べて大きく変化したものは僅かしかない。同じ首相、同じ政治的腐敗構造が維持され、経済的にも貧富の差が歴然として存在し、地方都市は衰退し、原発は今も運転している。文化的にも特別なことはなく、東京オリンピックというイベントだけにすがっている。だが、アフリカは違う。日々変化を続けている。特に経済発展は目覚ましい。ナイロビの郊外にあるティカにも経済発展の大波は押し寄せてきた。時間的なこうした変動を考えたとき、2009年に日本人監督が制作した映画の価値に疑問が沸いてくる。だが、この疑問は一面では正しく、一面では間違ったものだ。それゆえ、このセクションでは「チョコラ!」というドキュメンタリー映画が持つ問題点について考察してみようと思うのである。この問題点に対して検討すべき一つ目の課題は何故その対象を主題化したのかという視点であり、二つ目は選ばれた対象をこの映画がどのように映しているかという視点であり、三つ目は映された対象の時間的・社会的な変化という視点である。前の二つの点はバフチンの対話理論における二大分析概念としてのテーマとジャンルと深く関係する。最後の点は記録するとは何かという問題と密接に関係する。
第一の点である「チョコラ!」のテーマ性という事柄に関して、先ずはこの映画が何故制作されたのかという経緯について話す必要があるだろう。岩波ブックレットシリーズの一冊であり、小林茂編著の『チョコラ!:アフリカの路上に生きる子どもたち』の中で、小林は「監督の私(コバ)とカメラマンの吉田泰三(ゾウ)は五カ月の予定で、ドキュメンタリー映画撮影にやってきた。この町で子どもの世話をするNGO「モヨ・チルドレン・センター」(…) を主催する友人、松下照美(テルミ)から「アフリカの子どもたちの今を映像にしてほしい」と言われたのがきっかけだった」と書いている。その依頼通りにアフリカのストリートチルドレンに関するドキュメンタリー映画が制作された。しかし、ストリートチルドレンはフィリピンにも、タイにも、北朝鮮にも、ブラジルにも、世界中に存在する。何故アフリカの、それもケニアのこの場所なのか。松下からの依頼というだけでは強い動機とは言えないのではないか。テーマの選択の脆弱さは映画全体の弱さにもなっていないだろうか。この映画はアフリカを撮ってはいるが日本人の目から見たアフリカが映し出されている。そして映画全体のテーマ展開は曖昧で、アフリカ性を捉えきれていない印象を強く受けるものである。
この曖昧性は第二の映画手法という点にも反映されているように思われる。映画の冒頭、一人の少年が服を脱ぎチャニア川で水浴びするシーンがある。音楽も会話もなく水浴びする少年の姿が静かに映し出されていく。このシーンはこの映画の技法を圧縮している。音楽を可能な限り排除し、映像表現以外で提示される余計な抒情性を排除する。だが、映像内での抒情性はふんだんに用いる。特に空ショットの多用によって情景的な余韻が与えられている (このシーンの最後も木々の間から見られた空の空ショットが数分間映されていた)。説明的ナレーションもまた排除される。チョコラたちの日常生活は彼らを捉えるカメラと彼らの会話だけで示されている。だが、こうした映画製作方法は成功してはいないと思われる。それは何故か。映画プロダクションのシグロが編纂した『ドキュメンタリー映画の現場―土本典昭フィルムグラフィから―』(以後副題は略す) の中で、蓮實重彦はドキュメンタリーの編集という問題に関して亀井文夫のドキュメンタリー制作方法を土本典昭が「構成主義」と名付けているが、「その中心的アイデアというものは、絵は編集次第でどうにでもなるということです」と述べ、土本典昭がインタビューの中で語った彼の映画制作方針は「(…) あらかじめ出来上がっている構成に従ってというのではなく、自分が事態を知った順序でもなく、実際に、その対象に向けてカメラを回した、その順序で継いでいく、という考え方です」と述べている。蓮見はドキュメンタリーの二つの異なる典型的制作方法について語っているが、「チョコラ!」で示された小林の方法はどちらの方法にも行きかねて中途半端に二つの方法を行ったり来たりしているように感じられる。それは小林の映像の連続する一コマ一コマの内包する曖昧性の中にはっきりと表れているのではないだろうか。
第三の視点からの考察に移ろう。この映画が撮られてからすでに10年が経過している。前のセクションでも言及したように、アフリカの変化は激しい。ティカで暮らしていたチョコラたちも大人になり、新たなチョコラが町で捨てられた空き缶やプラスティックを拾い集めて生活しているだろうか。ティカの経済的激変を考えれば、多分そうはなっていないだろう。街を横断する高速道路、新たに出来た工場、石油開発基地も郊外に建てられ、町は人口を増やすだけではなく多くの労働力を必要とし、そうした状況は多くの富を生み出しているに違いない。産業が農業しかなかった時代とは異なり、多くの商品が溢れ、それを買うための経済力を持った労働者やプチブルも増えたはずである。そんな中で、チョコラたちはゴミ拾いよりも効率のよい経済活動を行っているのではないだろうか。新たな労働が沢山誕生し、その労働に対する求人も10年前の何十倍もあるだろうから。だがそうであるならば、10年前に撮られた「チョコラ!」というドキュメンタリー映画の意味とは何であろうか。かつてそこにこのような人間がいてこのように生きていたという過去の記録としての意味は間違いなく存在しているが、それだけの意味しかこの映画にはないものであろうか。私はこのドキュメンタリー映画の最大の功績はアフリカのケニアのある街に住むストリートチルドレンを対象としながら、結局は日本人としての眼差しを通してしか彼らを映せなかった映画監督の異文化をしっかりと捉えることができなかった敗北の記録にあると思われるのだ。それはテーマ的な問題、映画技法の問題とも関係しながら、異文化と如何に対峙し、記録するのかという問題の困難さを語っている。しかし、この問題はこのセクションではこれ以上は語らず、次のセクションで改めて詳しく探究する。
異文化を見つめる目
映画において映像を見つめることはカメラの視線で対象を見つめることであり、他者の眼差しから世界を覗くことである。私が選んだイマージュを見つめるのではなく、他者が選んだイマージュを長時間見つめることである。そこには見つめる快楽があるだけではなく、見させられるという強制も存在する。映画において、特にドキュメンタリーというジャンルの作品において、この強制力が強く反映する場合が多々ある。見つめたくない負の側面をこれが現実だとして無理に眼差しを向けさせる状況が存在するからである。佐藤忠男は『映画で世界を愛せるか』の中で「(…) 映画には他人の眼で自分を見るという機能がある (…)」と語っているが、他者の眼差しを自己の中に取り込むことによって、初めて自己の自己性が理解できる場合がある。それは私の眼差しと他者の眼差しとがキアズマ (chiasma) した特殊な内的対話性 (dialogism) として捉えられる問題である。
しかし、ドキュメンタリー映画の眼差しが常に正しいものである訳でも、唯一のものである訳でも、共感できるものである訳でもない。『チョコラ!』の眼差しにはこうした反発や居心地の悪さを感じさせる何かがある。それは何か。私は映画の始まりから感じたこの違和感について映画を見終わった後もずっと考えた。『ドキュメンタリー映画の現場』の中で、羽仁進はイギリスの映画監督ポール・ロサが提唱した「創造的劇化 (dramatization)」の重要性を示し、創造的劇化においては「(…) カメラがそこで写したというように時間性が問題なのではなく、その写されたものがみんなに与えるインパクト、それが広がっていく意味、そこから逆に引き出してくる意味というふうに、記号性が非常に強調される。そして、その記号性がどのくらい象徴として重い意味を持つかということ」という問題提起を行っている。こうした側面から見たとき、『チョコラ!』の眼差しは記号化作用の脆弱性を否応なく提示するものであり、われわれにインパクトを与えるようなものではない。私は強くそう思ったのである。
この作品の監督小林茂は映画撮影前にアフリカに来たことがなかっただけでなく、アフリカに関する多くの知識や情報を持っている訳でもなかった。ドキュメンタリー監督として、ケニアに住みNGO活動をしている日本人の友人に頼まれてこの映画を撮るためにティカに来たのである。チョコラとは何かも知らず、スワヒリ語もキクユ語も知らない異国から来た映画監督が見つめたチョコラたち。その視線はぎこちなく、不器用であるだけでなく、何処かじめじめと湿った、センチメンタルな感情を隠そうとしても心情的に余韻を求め、粘着的ですっきりとしたところがないもののように私には思われた。アフリカの人々の楽観的で、躍動的な強さに日本人の眼差しのフィルターかけられて、映された像が曇っているように感じたのは私だけだろうか。
何故私がこのような印象を持ったのか説明することは簡単である。小林は前のセクションで指摘したように、極度に音楽を排除し、映像の力によってチョコラたちのドキュメンタリーを撮ろうとした。だが、彼らの生活習慣も言葉も判らない小林の撮影チームには如何に客観的に対象を捉えようとしても限界があった。それに付け加えて、音の効果に制限を設けた結果、映像で多くを語る必要が生じた。この過剰さは記録映画としてマイナスに働いた。空ショットの多用、映像的展開として撮られた主要登場人物たちの動きも統一性がなく、この映画のテーマを発展させているというよりもテーマを散漫な方向に導いているのだ。そして何よりもこの映画の最大の弱点はアフリカのケニアのティカという小都市に生きているチョコラたちの生活の力強さとナイーブさ、その二面性を鋭い映像的眼差しで捉え損なっている点にある。創造的劇化が後退し、記録することだけが前面に押し出されているのだ。映画の終り間際、空き缶を叩いてリズムを取り、リズムに合わせて踊り、歌うチョコラたち。その場面には彼らの生の輝きが確かに示されていた。だが、彼らの歌が何を語っているのかはカメラマンにも監督にもまったく判ってはいなかった。字幕が付けられた時に初めて彼らはチョコラの歌の意味を理解したのだ。彼らは音的記号を謎のままにし、眼だけで映像を記録していたのだ。私が違和感を抱いた大きな要因はそこにあった。
英文学・映画学の研究家であるリチャード・バーサムは『ノンフィクション映画史』の中で「ドキュメンタリー映画は、その社会政治目的のために、ファクチュアル映画 (…) から区分けされる。それはメッセージを伴った映画であり、メッセージは必ずしも一貫性のあるものではなく、私たちが芸術と一般に呼んでいるものと比較されることから、ドキュメンタリー映画は実に特殊な芸術の形式であることがわかる」(山谷哲夫、中野達司訳:ファクチュアル映画はニュース映画など情報提示を主眼として作られる映画である) と述べている。バーサムの言葉の中にも、ロサが主張した創造的劇化の重視と共通する問題提起があるが、最後にこの点から小林の「チョコラ!」とリランガの「広島シェターニ」と名付けられた一連の作品群との比較検討を行いたい。確かに、小林の作品は映画という記号体系に基づき作られたものであり、リランガの作品は美術という記号体系に基づき作られたものであるという厳然たる差異が存在している。しかしながら、異なる記号体系を横断することによって異文化を見つめる視線という問題がより明確に捉えられると私には思われるのである。それゆえ、最後に二人の作品を比較してみたいが、問題となる分析視点は作品がフォーカスを当てた対象を如何に提示するかという表現方法に関するものである。
リランガの作品は前述したように«ヒロシマ―被爆地―それを見つめるアフリカ的眼差し» という関係性を全面に押し出すことによって、見手に強いインパクトを与えている。だが、小林の作品はこのインパクトを与えることに失敗している。それは何故か。小林が「チョコラ!」の中で示している監督としての視線には、多くの不安と臆病さが見られる。それに対して、リランガが作品を通して語っている彼の視線は強く逞しい。無知を無知として認め、自らが表現できるものの土壌の上に立って、堂々と彼独自の作品を築き上げている。小林の視線。それは遠慮がちに、恐る恐るチョコラたちに向けられていた。この躊躇した、自信のない眼差しによってチョコラたちの日々の生活の活力はぼやけてしまい、どこか取って付けたようで、不自然に映されているのではないだろうか。小林自身も『チョコラ!:アフリカの路上に生きる子どもたち』の中で、「帰国近くになっても、映画になるかどうかの感触もなかった。ただ、「なぜ、おせっかいにも、こんな遠くアフリカまで来てカメラを回すのか」という問いが頭をもたげてきた。そして、それに答えられるものは何もないと気づいた」と書いている。小林は確固とした表現者としての基盤を持つことなく、曖昧さの中でカメラを回し続けていたのだ。
佐藤忠男は『映画で世界を愛せるか』で、「夜行列車」や「尼僧ヨアンナ」などを制作したイエジー・カワレロウィッチ監督が日本を訪れたときに、ポーランド映画は何故あんなにも暗いのかという質問に対して、カワレロウィッチが「芸術というものは問いかけだけをだすものなんだ、人間はなぜ死ぬか、生きることはなぜ苦しいか、答えなんかないのだ」と答えたという逸話を語っている。前の段落で引用した小林の言葉もカワレロウィッチの言葉も、映画制作において何故ならばという答えは出せないという点では同じであるが、二人の姿勢はまったく異なっている。小林の姿勢には諦観があるのに対し、カワレロウィッチの姿勢にはそれでも問おうとする強い決意が存在している。カワレロウィッチの姿勢の中にはポーランドという枠を超えて問い続けようとする生の力が感じられるが、小林の姿勢の中には異なる世界からすぐにでも離れ、日本という柔らかな母体の中に逃げ去ろうとする内面的な脆さや弱さが感じられる。このように考えていくと、小林が「チョコラ!」の中で多用した空ショットの理由も理解できる。小林はドキュメンタリー映画制作から離れ、一刻も早く日本に帰りたかったのである。空ショットによる余韻は日本への回帰であり、いくらアフリカを映してもそこにはアフリカはなく、帰りたい日本があるだけなのである。
自らとは異なる世界をどのように見つめ、その見つめた対象をどのように表現していくか。方法は様々である。だが、国際化やグローバリゼーションといったプラスチックワードが並ぶだけで実質が伴わないアプローチが無数に存在する日本。その日本という国の日本人性を拭い難く持つ一人の監督がアフリカという異国でカメラを回さなければならなくなった。確固とした信念や決意がある訳でもなく、時代的・社会的なモードに流され、異文化世界を見つめざるを得なくなった彼。そこには他者と面と向かって対峙することができないわれわれ日本人が持つ小心さ、脆さ、偏狭性、惰弱さ、怯懦といったものが表出した眼差しがあった。それが小林の撮った映画の中に典型的に表されているように私は思うのである。逃げ帰る場所、安らぎの場所を用意しながら、自らとは異なる世界に向かい、そこで自らとはまったく違った言語、社会、文化の中にいる他者と真摯な姿勢で対峙し、語り合うためには、いつでも帰られる暖かで、優しい祖国なるものに寄り掛かったままの姿勢を取り続けることはできないのではないだろうか。目の前にいる他者が、ここから逃げ出すことを考えている人間と偽りなく、本心で対話することはない。それゆえ、小林はこの映画の中でアフリカのケニアのティカのチョコラたちをチョコラとして映し出すことができなかったのだ。
小林の「チョコラ!」はドキュメンタリー映画としては失敗であった。創造的劇化という視点で、テーマとなった対象の姿を衝撃的に、印象深いタッチで描くことができなかったゆえに。だが、この映画は別なレベルからの貴重な探求側面をわれわれに教えている。ドキュメンタリー映画としての失敗によって、日本的な視線とは何かを明確に示しているのである。つまり、われわれ自身を見つめる鏡としての役割を持っているのである。それは「(…) 映画には他人の眼で自分を見るという機能がある (…)」という佐藤忠男の言葉の正しさを証明している。
夜の9時近く。大学のキャンパスは閑散としていた。モノレールの駅に向かいながら私は私自身の卑小さについて考えた。私の眼差しは広い世界を見つめるためにはあまりにも小さく、あまりにも狭い。だが、この小さな眼差しによってしか私は世界を見つめることができない。私も「チョコラ!」を撮影した時の小林同様に憶病であり、優柔不断である。だが、この小さな眼差しでも、しっかりと対象を見つめ続けたならば世界の欠片は掴めるかもしれない。アフリカのリズムの向こうで、「チョコラ!」という映画は確かにそのことを語っていた。
初出:宇波彰現代哲学研究所のブログから許可を得て転載