フランスの社会学者メラニー・ウルスさんの見つめる日本の「貧困」
- 2019年 12月 18日
- 評論・紹介・意見
- 村上良太
厳寒の師走の夕べ、日本の貧困問題を研究する社会学者、メラニー・ウルスさんの話を聞く機会がありました。講演の中心的なテーマは高度経済成長を過ぎて、豊かになったはずの日本で「貧困」という言葉がいつ、どのように浮上してきたか、ということです。タイトルは「日本における貧困問題の認識とその変遷」。これはなかなか面白い視点。というのも、僕も記憶をたどれば日本は豊かな国だったはずだから。講演は貧困の実態の調査報告ではなく、「貧困」という語がどのように日本で認知されてきたか、ということにあります。
少なくとも僕が生まれた1960年代半ば以降は特殊な理由を持つ人々を除くと、「貧困」と言うほどのものはほとんど存在しなかったはず。貧困と言えばアジアや中南米、アフリカ、第三世界など、外国の事象でした。講演の中でウルスさんは、朝日新聞の記事を1990年から2002年まで調べて、そこで「貧困」という言葉が記事の中でどういう文脈で使われているかを分析したと言います。すると、使われていたのは基本的に国際面の記事で、つまりは新聞記事においては貧困と言うのは外国の事象だということがわかったそうです。いや、実際には日本にも実態としての貧困はあったけれど、それらは不可視だったのです。
日本で貧困と言う言葉が再浮上してきたのは2008年のリーマンショックとその後に連鎖して起きた雇止め、そして、その年の12月31日から翌年の1月5日までの年越し派遣村の創設でした。それ以来、貧困問題はブームになり、時代のテーマとなり、2009年には民主党政権を生むに至ります。鳩山政権に至って初めて日本政府は日本国内に貧困が社会問題として存在することを認めたと言うのです。しかし、「貧困」をめぐる社会政策は日本とフランスで大きく異なり、日本の相対的貧困率は2015年にはフランスの2倍にも達しているそうです(フランスは8%、日本は15.7%)。1995年の段階ではさして変わらなかったのですが、20年間の間に日本とフランスで大きな差がついたわけです。これはフランスでは様々な社会保障制度が機能しており、再分配が行われる結果、その政策による底上げで貧困のラインから抜け出せる人々が多いそう。今日の講演で最も心に突き刺さったのが、この貧困率の日仏間の比較データでした。貧しい人々への政策が日本とフランスで大きく異なる、ということです。近年の日本の政治は富裕層に優しく、貧者に厳しい。これを見ても、フランスからまだまだ学べることはあると思いました。
ウルスさんによれば、そもそも日本では「貧困」が何を意味するか、という貧困の定義を国民的に保有していないことが日本における貧困対策のネックになっているとのこと。だから、生活保護を受けている家庭の子女が携帯電話を持っていた、などと言ってはバッシングされたりします。戦前の旧憲法時代の倫理観が今も尾を引きずっているらしいのです。誰でも生きる権利がある、というのと違って、勤勉で、立派な日本国民でないと支援を受ける資格がない、という道徳観です。さらに自己責任という言葉で貧しい人には怠惰という罪がある、というような見方が強まってしまったことも大きい要素です。
敗戦後、日本は悲惨な状態からスタートしました。その当時はまさに貧困そのもの。しかし、復興を遂げ、高度経済成長を遂げた日本から貧困は消えたはずでした。ここで僕自身の記憶をたどると、1989年のあのバブル経済のピーク時に、僕は新聞奨学生として横浜で朝日新聞を配達していたのでしたが、配達店には貧しい家族がたくさんいたものです。町を走っている車はベンツやBMWやSAABなどの高級な外国車ばかり。富裕層の町でしたが、新聞配達店には夜逃げしてきた多重債務者とか、倒産した社長とかが肩を寄せ合いながら暮らしていたのです。ある家族には幼い子供が4人いましたが、当初、小学校にも通わせていませんでした。通わせると、借金取りに見つかってしまうと恐れたのでしょう。TVで1989年と言うと、ジュリアナ東京などディスコのお立ち台とか、バブル景気ばかり映し出されますが、実際には貧しい人々もいたのです。しかし、彼らは不可視の存在でした。町を走るベンツやBMWばかりが目に付くように。4人の子供たちは後に通報されて小学校に通わされることになったのですが、しばらくは誰もいない公園で日中過ごしていたのでした。あれから30年が経って、あの子供たち、どうしているのでしょうか。
社会学者のメラニー・ウルスさんが日本の貧困問題に関心を持つようになったのは1999年に遡ります。当時、京都に研究者として来日していた時、友人が大阪の釜ヶ崎に連れて行ってくれたと言います。釜ヶ崎で貧困な暮らしをしている人々をたくさん目にして、大きな衝撃を受けたそうです。というのも、ウルスさんは日本は世界で唯一、貧困を撲滅した国だと信じていたからでした。もともとアフリカのブルキナファソやブラジルで反貧困のボランティア活動をしていたことがあった彼女は、それまでまったく無知だった日本の貧困について研究するようになったと言います。非常に刺激的なスピーチでした。これからもますますの活躍が期待される研究者だと思います。
社会学者、メラニー・ウルス氏(トゥールーズ・ジャン・ジョレス大学) Mélanie HOURS (univ. Toulouse Jean Jaurès)
左端は司会のソフィー・ビュニク氏(日仏会館・フランス国立日本研究所)Modératrice : Sophie BUHNIK (IFRJ-MFJ)
左は翻訳のKono Nahoko氏 非常にわかりやすい優れた訳をする方です
「日本における貧困問題の認識とその変遷」会場は日仏会館(東京)
パワーポイントで示されているのが、フランスの社会保障制度でいかに多くの貧困者が貧困ラインを抜け出せたかという実証データ。これは極めてインパクトが大きいデータ。最低賃金と言い、貧困者対策と言い、フランスに遠く及ばないようです。
村上良太
初出:「日刊べリタ」2019.12.17から許可を得て転載
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