日本人の中国への印象は「良くない」(「どちらかと言えば」を含む)がことしも9割を超えた。「言論NPO」が毎年実施している日中共同世論調査結果(図表は「言論NPO」のHPから)について、週刊誌「AERA」(10月3日号)に
本文を読むナショナリズムの執筆一覧
毎週金曜日 国会前に立ち続ける武藤先生(91才)
著者: 小原 紘韓国通信N0497 小学校時代の恩師の年賀状が欠けていることに気づき電話をした。「年賀状を出したはずなのに」という元気な声が聞こえ、ホッとした。今年の正月のことである 「武藤先生ですか」と声をかけると耳に手をあてて「
本文を読む「朝鮮・台湾植民地の歴史と記憶」〜ポストコロニアルの視点から〜 蠢く新植民地主義 —甘え生む親日幻想—
著者: 岡田 充◆◆ <はじめに> 李登輝元台湾総統が2015月7月末に来日した。台湾では「過去の人」という評価が定着しているが、日本では「アジアの哲人政治家」と持ち上げる声が絶えない。来日中に議員会館で国会議員ら300名を前に演説し、
本文を読む2/28 第287回 現代史研究会―「ナ ショナリズムについて考える」(塩川伸明)レジュメ
著者: 塩川伸明第287回 現代史研究会 日時:2月28日 (土)1:00~5:00 場所: 明治大学・研究棟第9会議室 (2階) (JR「御茶 ノ水」駅から徒歩4分、リ バティタワー裏) テー マ:「ナ ショナリズムについて考える」
本文を読むやっぱり犀だ!
著者: 宮里政充私がこの「リベラル21」に『あれは何の足音だ?』を書いたのは昨年4月30日のことである。私はその文章でイヨネスコの『犀』という芝居について触れたが、ここでもう一度この作品に触れておきたい。なぜなら、日本はいまこの作品の世
本文を読む3年目の3・11 を前に、脱原発の力の再結集を!
著者: 加藤哲郎2014.3.1 戦争の時代が近づいている。そんな実感を持っているのは、いまでは日本の総人口の5分の1になった戦前生まれの世代だけでしょうか。元号は好きではありませんが、かつて「大正生れの歌 」を追いかけた時に先達に
本文を読む社会理論学会第103回月例研究会
著者: 岡田一郎日 時 : 2013年4月20日(土) 14:00~17:00 場 所 : 大東文化会館404号室 【会場案内】 大東文化会館 〒175-0083 東京都板橋区徳丸2丁目4番21号 電話:03-5399-7038 案内図
本文を読むフランス革命後のドイツ社会思想――フォルスター・ヘルダー・フィヒテ・カント・ノヴァーリス(10)
著者: 二本柳隆著(石塚正英編)6.結語 ヘルダーの「ナショナリズム」の展望 「ヘルダーが始めは18世紀啓蒙思潮の諸理想を擁護する典型的な、ほとんど型にはまった一人、つまり人道主義者、四海同胞主義者、平和主義者であったことは、誰もが認めているようだ。
本文を読むフランス革命後のドイツ社会思想――フォルスター・ヘルダー・フィヒテ・カント・ノヴァーリス(9)
著者: 二本柳隆著(石塚正英編)5.ヘルダーとフランス革命――ヘルダーの「ナショナリズム」論の確立 「国家は革命を避けるべきではなくて、それをわがものとせねばならない」(1)といった文章が、現在遺されている。この革命が、ヘルダーにおいてフランス革
本文を読む昭和16年12月8日 ―ユーフォリアへ飛翔する危うさ―
著者: 半澤健市《伊藤整・三好達治・高村光太郎》 詩人として出発し作家・評論家として名を残した伊藤整に『若い詩人の肖像』という作品がある。伊藤は昭和3年に小樽から上京し文学を志していた。『若い詩人の肖像』は、その頃の在京詩人たちとの
本文を読む受験科目としてのナショナリズム ―民主党議員の勉強会で何かが変わるだろうか―
著者: 半澤健市《ナショナリズム勉強会 それがどうした》 松本健一著『日本のナショナリズム』(ちくま新書・10年5月刊)を読んで次のことを知った。松本が自著をテキストにして講師を務めた民主党議員の勉強会のことである。期間は07年から民
本文を読む争点明確化がこれからの課題―参院選開票当夜の感想―
著者: 半澤健市《対立軸の不在は続く》 第22回参院選の開票結果は自民党とみんなの党が健闘し、公社共3党と簇生新党が不振であった。戦前予想から少しだけハミ出たという感じである。 新聞社・通信社予想では共同通信が一番近かった。共同は民
本文を読む古い書評から―連載書評84回
著者: 三上 治これは何年か前に書いた橋川文三さんの『ナショナリズム』についての書評です。古いファイルを整理していたら出てきたのでお送りします。「アジサイの季節になって―長めの論評」の中でナショナリズムに触れたところがあったことを思い
本文を読むアジサイの季節になって―長めの論評(十七)
著者: 三上 治僕は最初の方で安保改定のころには日米同盟という言葉はなかったと述べた。 安保条約は1951年の旧条約も新条約も国際的に、また日米関係的に明瞭な根拠のないものであり、政治情勢的判断でアメリカ軍の駐留を認めてものに過ぎない
本文を読むアジサイの季節になって―長めの論評(十六)
著者: 三上 治沖縄の地域住民の意思が本土復帰という戦後処理に終わらないで、戦争について共同の意思の表出と表現であるためには日本(ヤマト)からの自立がなければならない、それが独立論や南島論の根底にあったものだ。確かに、僕はその時は独立
本文を読むアジサイの季節になって―長めの論評(十二)
著者: 三上 治1968年ころに出た本に橋川文三『ナショナリズム 神話と論理』がある。僕はこの本を興味深く読んだことがあるし、ナショナリズムについては考え続けてきたことであるからそれを披歴してみたい気もする。だが、ここでは安保闘争に限
本文を読むアジサイの季節になって―長めの論評(九)
著者: 三上 治「岸を倒せ、岸を倒せ」土砂降りの雨の中で、気分を高揚させながら僕らはデモをしていた。異様なまでの岸首相に対する憎悪は僕らの心的に支えとなっていた。この感情の高まりとは何であったのだろうか、と後年になって想起することがあ
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