Ⅹ Kさんとの暮らしと「共同生活の場=カゾク」への悟り (1)5人目の子どもの妊娠 Aさんと別れ、「Kさんと暮らす」と決めたものの、しばらくは、私と二人の子どもの家とKさんの家と・・・行ったり来たりの暮らしが続いた。
本文を読む戸籍の執筆一覧
わたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その13)
著者: 池田祥子Ⅸ また新しい暮らしへ (1) Aさんとの別れの伏線 Aさんとの暮らしは、家事や子育てを、身体的に「共同」できる快適さと楽しさを味合わせてくれた。また、大人二人、あるいは子ども含めた一つの「家族」だけの世界に閉じこもる
本文を読むわたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その12)
著者: 池田祥子Ⅷ Aさんとの暮らし-「夢の実現」と思いがけない齟齬 (1)「子どもの居る暮らし」を二人で楽しむ-「裁判?」の危機も超えて 「家」(家父長制)という制度的な枠組みゆえに、「その子の父は誰か?」が必ず問われる社会の中で、
本文を読むわたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その11)
著者: 池田祥子Ⅶ Aさんとの暮らしと離婚後のゴタゴタ (1)Aさんとの暮らし-生活能力と生活の中の美意識 私の離婚と離婚後の暮らしに、Aさんが関わって来るとは・・・当初はまったく考えてもいないことだった。 もともとAさんは、前回で
本文を読むわたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その10)
著者: 池田祥子Ⅵ 「生き直したい!」という思いと離婚への二転三転 (1) Aさんという人 夫より5歳年長、私とは9歳違いのAさんは、夫が労働組合の専従になる前に勤めていた文京区の私立高校の非常勤講師であり、夫がとりわけ一目置く、気の
本文を読むわたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その9)
著者: 池田祥子Ⅴ 「悩ましい妊娠」と傲慢な企み (1)いつしか空洞化した結婚生活 前回、「私はどこで間違ったのだろうか・・・」と書いた。しかし、正確には「間違い」という言葉は正確ではないのかもしれない。 私たち(夫と私)は、社会の
本文を読むわたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その7)
著者: 池田祥子Ⅲ二番目の子どもと登園拒否 (1)1972年、第2子出産 第2子の出産を4カ月後に控えていた1972年2月末、いわゆる「あさま山荘」事件がテレビで延々と放映された。私もまた、膨らんで来たお腹を抱えながら釘付けになった。
本文を読むわたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その6)
著者: 池田祥子Ⅱ子どもの居る暮らし (1) 手探りの「(無認可)0歳児保育園」 新井薬師のお寺さんのお婆さん・・・今から思えば、本当に昔風の「子ども預かり寺」だった。預かってもらうのに「審査(書類提出)」もなかったし、託児を頼みに行っ
本文を読むわたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その5)
著者: 池田祥子子どもの居る暮らし (1)緊急課題としての私の「働き口」 指導教官のいきなりの「堕ろせ!」という恫喝に、私は反射的に抵抗した。ただの天邪鬼だっただけかもしれないが、その時、胎内でしっかり生きている生命は、何としても守り
本文を読むわたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その4)
著者: 池田祥子「結婚」後の暮らし (1)「暮らし」の中で見えて来たこと 大学院での奨学金取得のために慌てて「婚姻届」を出した私たち。しかも、不動産業で急に豊かになった私の父親に、「おんぶにだっこ」で結婚式まで挙げてもらった私たちだが
本文を読むわたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その3)
著者: 池田祥子「競争相手は女子だけ!入りやすいばい!」 大学は「お茶の水女子大」の「文教育学部」だった。 小学校4年から6年の、短大卒の青年教師の下での3年間、時代は1952(昭和27)年から1955(昭和30)年のことである。す
本文を読むわたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その2)
著者: 池田祥子私の父母のこと 私が「戸籍謄本」というものを直に手にしたのは、大学受験の時である。なぜか?と問う意識もなく、提出書類に入っていたから、生まれて初めて市役所で手に入れた。 戸籍謄本を眺めて驚いたのは、私が満州の奉天生ま
本文を読むわたしと戸籍 ― 「戸籍」私史(その1)
著者: 池田祥子いきなり個人的なことで失礼します。 実は、2022年2月の初め、いきなり新しい家主(会社)の社員が訪ねて来て、33年間住み続けてきた今の「テラスハウス風借家」(3棟)を出て行ってくれ、と言われてしまった。もちろん、引越し
本文を読む選択的夫婦別姓を阻んでいるのは戸籍制度 最高裁2度目の「夫婦同姓」合憲判断について
著者: 米田佐代子6月23日、最高裁は「夫婦別姓」の法的結婚を認めよという請求に対して「ノー」の決定を下しました。2015年に続き、2度目です。曰く、「法的には夫婦同姓は合憲。これは裁判所が判断することではなく、国が議論すべき」だと。だ
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