中国前外相秦剛はどこへいったか --八ヶ岳山麓から(486)--
- 2024年 9月 19日
- 時代をみる
- 「リベラル21」中国前外相秦剛阿部治平
この9月8日、「ワシントン・ポスト(WP)」は、去年6月公式の場から突如姿を消した中国の前外交部長(外相)秦剛氏が中国外交部(外務省)傘下の世界知識出版社に配属されたと報じた。WPはアメリカ合衆国の元高官による証言として、秦剛氏は「出版社では名目上、下級の仕事を割り当てられている」「外交官としてのキャリアは終わった」と伝えている。
ところが、2日後の10日、香港「明報」紙は、WPの報道を否定して、世界知識出版社に務めているのは同姓同名の別人であり、WPの報道は誤報であるという北京消息筋の話を報じた。だが現在の「明報」は、なかば中国共産党中央の御用紙だから、これをまるごと信じるわけにはいかない。むしろ、これは北京の公式筋の意向による報道と見たほうがよいと思う。
秦剛氏は、2023年6月25日北京で行われたロシアやベトナム、スリランカの高官らとの会談以降、突然姿を消した。後任には前外交部長で、秦剛氏の上司である中共政治局委員・党中央外事工作委員会弁公室主任の王毅氏が再任された。外交部毛寧報道官は、はじめ定例記者会見に秦剛外相が出席しない理由を「身体的理由」としていたが、当時から失脚は間違いないとみられていた。
ご存じの通り、秦剛氏は西側諸国に対してきわめて挑発的な「戦狼外交」を展開し、駐米大使から中国外交部長にいきなり就任したヘリコプター式人物である。氏は、本来は王毅氏の部下だが、習近平主席の意向を直接反映した「戦狼外交」の急先鋒の外交官であった。その秦剛氏が、外相就任半年で突然消えたことについては、中国内外でさまざまなうわさが飛び交った。庶民の間でも、あるものは収賄問題で投獄されているといい、他のものはとっくに殺害されたなどといいあった。
ところが、昨年7月に台湾メディアが香港の「フェニックステレビ(鳳凰衛視)」の女性ジャーナリストとの関係が原因で動静が途絶えたと報じた。つづいて「ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)」、英紙「フィナンシャル・タイムズ(FT)」などは、秦剛氏が駐米大使時代にこの女性傅暁田氏(41)との間にアメリカ生まれの子供がいること、これが対米交渉・国家安全保障への影響を与えた可能性について、中国当局の調査が行われていると伝えた(NHK 2023・09・19)。
毛寧報道官は会見で、この報道について問われると、「外相の任免についてはすでに情報を発表している。そのほかの状況については承知していない」と明言を避けた。
今年7月18日、中共第20期中央委員会第3回全体会議(3中全会)のコミュニケは、人事について「秦剛同志の辞任届を受理し、秦剛同志の中央委員会委員の辞任を認めた」と発表した。これに対して、失脚した李尚福前国防相、ロケット軍の李玉超前司令官、孫金明参謀長に関しては、「李尚福、李玉超、孫金明の重大規律違反・違法問題に関する中共中央軍事委員会の審査報告を審議・採択し、中央政治局が行った李尚福、李玉超、孫金明の除籍処分を追認した」としている。
「秦剛同志」という呼び方は、除名とか死者に対する言葉ではない。これは死亡説を否定すると同時に、秦剛氏の身分が「党内処分」にとどめられ、裁判投獄などの措置を免れたことを示している。少なくともこの日までは秦剛氏は生きていたのだ。もちろん、軍の首脳部3人は、党から追放され一般犯罪者として裁かれる。
わたしは、 WPやWSJの秦剛氏身辺に関する報道内容を単なる憶測とすることはできない。というのは、中国で10年余り生活する間に、中国におけるアメリカの情報機関やメディアの情報収集は、資金と人脈が豊富で高度なことを知ったからである。
しかし、失脚の理由は不倫問題ではないだろう。愛人問題はどこの国の高官にもありがちなことだ。わたしは、もっと重大な理由があるはずだと思う。そうでなければ、習近平氏が異例の抜擢をした人物を半年で首を切るなど、自らの体面を傷つけるような人事をやるはずはないからである。
いま、中国の外交姿勢が揺れているのを、わたしのような情報社会の外にいるようなものでもそれとなく感じることがある。だが、それはおもに人民日報傘下の国際紙「環球時報」などの細い糸からもたらされるものだから漠然としている。
これについて、元産経新聞記者で北京特派員10年の台湾在住ジャーナリスト矢板明夫氏は、自分の推測としながら秦剛氏をめぐる中国外交部内の路線抗争を指摘する(YouTube)。秦剛氏は駐米大使時代の体験から、外相になるとわずかの間に対米外交を重視しもっと融和的な路線に変えようとした。これに対して中国外交部を牛耳る王毅氏を首とする勢力は、迅速なアメリカとの関係改善の必要を認めなかった。矢板氏は、秦剛氏はこの路線争いに敗れたという。
付け加えるならば、わたしは秦剛氏が対米強硬路線つまり「戦狼外交」の維持を主張し、反対派は米中関係の再構築をもってこれに対抗した可能性もあると思う。外交部内の路線争いの過程で不倫問題も秦剛氏に不利に働いたであろうが、肝心なのは習近平主席の考えが変わり、秦剛氏がその支持を失ったことではなかろうか。
そうだとすれば、当然秦剛失脚から3中全会までの1年間に、秦剛事件をどう処理するかについても中共中央に意見の相違があったといわなければならない。3中全会の秦剛氏の身分に関する文言は、打倒秦剛の勢力と擁護派の妥協の産物であろう。
この9月13日、中国の全人代常務委員会は重大な規律違反などで取り調べを受けていた唐仁健農業農村相の解任を決めた。習近平指導部が3期目に入ってから現職の閣僚が解任されるのは、秦剛前外相と李尚福前国防相に続いて3人目で、異例の事態となっている(NHK 2024・09・14)。政権の安定を図るために「国家安全」を強調する習近平政権にとっては、不都合なことおびただしい。
唐農業農村相については、重大な規律違反や違法行為、李前国防相をめぐっては巨額の収賄というだけで、これ以上詳しいことはわからない。秦剛氏に至っては、失脚の理由がまったく公表されていない。こうしたあいまいで、当局の意図がどこにあるかわからないやり方は、関係者を緊張と恐怖に陥れるから、権力の永遠を追求する習近平氏にとっては有力な手段となる。
いま、習政権内部の権力争いとか、習氏自身の健康問題とか、最高権力者の住む北京・中南海をめぐる根拠のない噂話はいっぱいある。これが何を意味するかはもう少し時間が経たないとわからない。(2024・09・16)
初出:「リベラル21」2024.09.19より許可を得て転載
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