テント日誌3/13日経産省前テントひろば550日目…日を重ねることの速さに驚きながら
- 2013年 3月 15日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
3月9日・10日・11日と『3・11』の2周年を迎えての集会や行動が各地であった。東京では3月10日は日比谷野外音楽堂での集会から霞ヶ関一帯や国会に向けたでもが途中から寒さを増した中で行われていた。3月11日にはテント前ひろばのキャンドルナイト、東電前行動などがあった。久々に行動に参加した人も多かったと思われるが、東日本大震災から早二年となるわけだが、時間の速さには驚くばかりである。復興はなかなか進まず、まして原発事故は収束の見通しも立ってはいない。メディアは特集記事を組んでいた。それなりに胸に迫るものもあったが、復興のビジョンとか構想は遠のいていくだけのようにも思えた。多分、その一つに原発事故《原発震災》があることが考えられる。今度の東日本大震災がこれまでの震災や自然災害と大きく違うのはやはり原発事故がそこに介在していることである。そして、政府や官僚、あるいは電力業界が原発再稼働→原発保持にあることが復興作業の妨げになっているのではないか。これは機会あるごとに指摘してきたことだが、これが見えないところで復興作業を遅らせているのだと思う。既得権益にしがみつく面々との奥深いところでの闘いが続いているのである。
この間、テント前ひろばは「福島月間」を提起してきたが、あらためて思うことが私たちにも福島の現状がどうなっているのかあまり分かっていないのではいうことだ。被曝と闘う人たちのことが何よりも優先課題と誰もがいうけれど、それが具体的にどうあるのかこちらからは見えていないところがあるのではないか。それだけ福島の現状が困難なところにあるという事だと思うが、私はそこのところで自己に向けた問いを抱えたままである。テントの泊りながら朝まで話し込みながら実感したのもそのことだ。メディアの報道にはヒントになることもあるが、私たちは福島の現状に対して独自のアンテナを延す作業を続けるべきであろう。この間の「福島月間」の提起をこの期間後も継続すべきであろうと思う。3月23日(土)、24日(日)に福島で開かれる集会にテント前ひろばはバス出掛けるが、福島の現状を知り、学ぶということは強調し過ぎることのないことだ。
テントにはいろいろものが送られてくる。果物やお菓子と食べ物から暖房器具まであり感謝している。なかなかお礼を申し上げる機会もないのが残念だ。また、手紙類もテントには届いている。アメリカでのピース・ウォークに参加した女性からアメリカでの放射能汚染の現状についての報告が届いていた。アメリカの中部地方のウラン採掘場での放射能汚染の現状、それを全米に訴えている原住の活動など飛行機の待ち時間に書いた長い手紙である。アメリカでも政府筋や権力側はこうした情報を隠して表に出ることを防いでいるとあったがいずこも同じであると思った。中部地方の荒れ地に追い込められていた原住民の居住地がウラン採掘場の近くにあり、そこでの放射能汚染が放置されたままである。政府はその危険性を原住民に伝えてはいない。多くの国民も知らされていない。3月11日にアメリカ政府の原子力規制委員会(NRC)がメリーランドに建設予定の原発の建設許可申請を却下したというニュースをネットで知っていたので驚きだった。原発の被害や放射能汚染を隠したがるのは政府や権力に共通することなのだろうが、調査し知ることの大事さを実感する。テントも送られてくる情報などもなるべく伝えたいが情報を寄せてくれることをお願いしたい。(M/O)
追記: 裁判所が3月14日の早朝に経産省前テントの譲渡を禁ずる仮処分の通告にきたとある。今後の動きを注目していて欲しい。
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