「伊方の家」通信 No.5
- 2014年 2月 1日
- 評論・紹介・意見
- 「伊方の家」
東京での4日間は意義深いものであった。全国討論会では鹿児島のMさんが南大隅町にオルグとしてはりついていた時の経験をもとに語ってくれたことがおおいに参考になり、勇気づけられ、心に残った。何度も足を運び、顔なじみとなり、語りかけていくことによって、住民のつながりの触媒としての役割を果たせるのだと。規制庁交渉においては、たとえ規制基準審査に合格しても事故は起こりうると規制庁自身が認めたこと、そして規制委は住民の命と安全の確保には責任を持たないと言い、再稼働は住民の命と安全の確保とは全く関係なくおこなうものであると言い放ったことに改めて怒りを感じることとなった。伊方では、事故が起きたとき100%被曝なしに避難できる方法は見当たらないと町当局も認めている状態の中でこの強弁は、再稼働のためには地域の人々の命や安全など知ったことではない、と傲岸不遜なものであった。
21日、「伊方の家」に帰る途中で、松山での伊方原発止める会の拡大幹事会にオブザーバー出席し、「伊方の家」の紹介と2/15・16の井戸川さん講演会のアピールをさせていただいた。Hさんが刷って用意した井戸川さん講演会チラシを抱え、松山から八幡浜への帰路をはじめて海沿いを走る普通列車で帰ったが、中ほどの長浜からは車両の中は1人になってしまった。夜遅く帰り着いたら大阪からQさんがいよいよ本格的に常駐の用意をして先に着いていて、帰りを待ってくれていた。
22日はQさんと2人で八幡浜の中心地域のチラシ入れをし、23日は西予のHさんを含めて3人で半島の、伊方役場のある地域よりもう少し先の比較的大きな集落へチラシ入れに行った。平地で容易であったが、終り頃海辺の道で年配の小父さんと長く話し込んだ。この小父さんは放射能は目に見えない恐怖だけに怖いと強調し、みんな不安を抱えており、大半が原発はいらないと思っている、と言う。早速規制庁交渉時の話もする。ただ伊方は原発によって町が発展してきたから…ということをめぐって幾つかの事実を提示しながらの議論となった。小父さんは親密な態度で、頑張ってと言って去って行った。その前にQさんが話した元区長だという年配者は、推進派は3割くらいで、後はみんな反対だと言ったそうである。こういう話ができたことに気分を良くしてもう1か所、半島の付け根の方でチラシ入れをする。こちらは傾斜地に家が建ち並び、石段や坂の上り下りで苦労が多い。
24日は八幡浜・原発から子供を守る女の会の女性たち3名とQさん、私の5名で半島の最大の集落である九町と湊浦にチラシ入れに行く。九町は伊方原発発端の地であり、反対運動が激しく闘われた地域である。体育館をはじめ原発マネーで建てられた幾つもの施設が建ち並んでいる。消防署には核燃料サイクル交付金によって建てられたという碑まであると、Qさんがカメラに収める。 チラシ入れをしていると4人の年配男性がひなたぼっこをしながら談笑しているところに出くわした。チラシを渡しながら話をする。4人とも事故は起こりうるし、事故が起きれば原発直近のこのエリアはおしまいになる、こんな危険なものはなくさねば…と口々に言う。今度の町長選に誰かそういう人が出ればいいのに、と言うと、今出ているのは推進派ばかりだから、結局利権の取り合いだという意見が返ってきた。女性たちはマイクでの街宣もやったようだ。
九町のあと町役場のある湊浦でチラシ入れ。ここにはテニスコート付きの四電の社員アパートも建ち並んでいる。大きな町営住宅もありチラシ入れは順調に推移した。
このところ愛媛新聞は連日、東京都知事選を大きく取り扱っている。もちろんその関心の焦点は原発問題である。東京都知事選で脱原発候補が勝利することを望む熱い眼差しがにじみ出ている。細川立候補効果が全国的な渦を作りつつあるように思える。あとは脱原発候補の勝利のために東京の人たちに頑張ってもらいたい。(ちなみに、愛媛新聞では宇都宮健児さんには必ず西予市出身と書かれている)
25日は松山のコムズまで行って、井戸川さん講演会の案内チラシを7500枚印刷し、26日その一部を宇和島、鬼北町に発送。27日はQさんが大阪に戻ったこともあって久しぶりに1人でのんびりした時間を過ごした。
28日、早朝大阪から戻ってきたQさんの運転で、西予市の宇和海沿い南端の明浜の無茶々園を訪れる。幾重にも折り重なったヘアピンカーヴの道を降りて行くと、宇和海の絶景が目に入り、Qさんが一瞬ハンドルを切り忘れるほど。たくさんの若いスタッフが働いている事務所で代表の大津さんや創設者で前代表の片山さんとお会いし、パルシステム関係の人たちやベトナムの原発問題の話などひとしきり。昼食をご馳走になったあと大津さんの案内で無茶々園発祥の地や有名な狩浜の棚田、そして研修センターを見学した。
40年前に2~3人でみかん畑の一角の小さな農地ではじめられた有機農業が、今では狩浜の全農家に広がり網羅した農事組合に発展し、柑橘有機栽培、しらす漁、真珠の養殖で町おこしをしている。狩浜の棚田は本当に壮大で美しく、圧巻であった。文字通り、耕して天に至る、という趣だ。この棚田は岩場の岩をうがち、石を積んで石垣を作り、一つ一つ棚を段のように積み上げてように築かれたもので、400~500年前から築かれていったものだという。今は各所にモノレールが張られている。
しかし、この棚田は伊方原発から30kmの地点。過酷事故が起これば、この棚田にも放射能は降り注ぎ、500年にわたる人々の営為は一瞬にして吹っ飛んでしまうのだ。伊方原発の再稼働をなんとしても止めねば…と、意を新たにさせられた。研修センターでは、農家のミカン栽培の手伝いをするということで、無料で宿泊と食事ができるそうである。1泊からでも可能とか。今もたくさんの研修生で埋まっているそうだ。外国からも訪れる人は多いという。 (Y・T)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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