テント日誌7月4日…未来から現在に向かう視線が必要だ
- 2014年 7月 6日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1028日 商業用原発停止289日
未来から現在に向かう視線が必要だ
急いで閣議決定した「憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認」だが、国会周辺では連日何らかの抗議行動が続いている。深夜の散歩でも、テント前の椅子に座って瞑想にふけっていても、このことが浮かんでくる。やまり、今、なぜ、こういうことを急ぐのか、がどうも明瞭ではない。安倍がこれをやる必然性というか、不可避性ということがわからないのだ。もっとも、安倍にとっての政治的行為は僕らの常識が通用しないところで根拠づけられていて、どうしても常軌では測れないところがあるのかもしれない。だから、ここは、僕らの想像力で補って測るほかないのかもしれない。
僕はこの集団的自衛権行使容認の閣議決定と武器輸出緩和三原則とが深く関連した両輪の如きものであるように思えてならない。かつて小泉―安倍内閣時に彼らが高度成長の頓挫の後の「失われた10年」からの脱却のために模倣しようとしたのが、ポスト経済成長後(1972年第以降)のアメリカの模倣だった。産業経済での高度成長を失った後のアメリカは金融経済と軍事経済を中心にした経済で体制を保持してきた。戦後の日本の高度成長は産業経済の高度成長であったが、バブル経済の破綻は現在までその後のありかたを課題としてかしてきた。これは現在も続くことである。日本は金融経済や軍事経済ではなく、その後を模索することを強いられているが、結局のところアベノミクスはアメリカ経済の模索でしかすぎないのであり、第一次安倍政権時との違いはこの軍事経済の面での模倣ではないか。高度成長経済の行き詰まり(経済の構造的停滞)を打破するために経済の軍事化(軍需生産の拡大)に踏み込んだのではないか。アベノミクスの三本目の矢の本命は軍需生産ではないのか。武器輸出三原則緩和と武器輸出の拡大、その背後での軍需生産の増大がその実質をなすが、その市場獲得には集団的自衛権の拡大による戦争への参加を必要づけるのではないか。その宣言というか、第1歩が今回の「集団的自衛権行使容認」ではないのか。これはなりふりかまわない原発輸出と同じなのだ。産業経済の高度成長後の重要な軸に軍需生産を設定したということであり、そのためには「集団的自衛権行使」による戦争参加が不可避なのだ。日本資本主義が戦前型の重い軍需生産から免れてきたことは。戦後の産業経済の高度成長の大きな契機になった。軽武装経済重視戦略が有効に機能した。しかし、この戦略は産業経済の高度成長後の課題では有効に機能しなかった。その矛盾を解決する為にアメリカ型の軍需生産を拡大する道をえらんだのである。中国との対抗意識の増大による国民的な国家意識の一定の浸透はその政治的理由づけに使っているにすぎない。彼らにとって戦争できる国家にすることは政治的な目的であり、軍需生産に軍事の社会化とは矛盾しない。しかし、アメリカの体制を模倣することは日本経済の停滞だけではなく、国民にとっておもぐるしい経済的な貧困と格差を増すだけだ。
ドイツはエネルギ―問題での転換を軸にかつての産業経済的な高度成長後を模索しているし、金融と軍事というアメリカ経済とは別の道を歩んでいる。日本もその道はあるのだ。産業経済の転換による脱高度成長後の経済的道はある。原発から撤退できないことと軍需生産の社会化とは同じであり、そこを理解すれば、安倍の今回の狙いの隠されている面もみえてくる。
今度の「集団的自衛権行使容認」で正直言っておどろいたのはその根拠とした新三要件なるものだった。「我が国民の安全や生命を守る」ためということと海外での軍事行動の必然性が何の脈略もないのである。想定門答なるものもあるが、これは言葉の遊びというか、山登りおけるマニュアルの方がまだ有効で、戦争を知らない官僚が机上で書いた作文にすぎない。海外での軍事行動がなぜ不可避で必然かがこの規定の何処からも読みとれない。何で、地域の紛争に人殺しと自己死を覚悟して出掛けて行かねばならないのか。こんな規定で戦争が出来ると思っている政治家や官僚に驚くのだが…
こんなことを考えていると馬鹿馬鹿しくなってくる。でも、そういうことでも戦争は起こってしまうかことがあるから怖いのだが、戦争を持て遊ぶ面々が政権にいることが問題である。戦争は本質的には国民の合意がなければやれないものだが、現代の戦争では政府の行為としてある程度まで出来てしまうことが恐ろしい。現在の政府に戦争担当能力はない。これは歴然としたことである。しかし、政府は戦争担当能力の形成のために逆に戦争からはじめるという道をはじめようとしているともみえる。ここらはよく見て考えるべきところだろう。僕らは戦争を覚悟した国家の動きを明確にし、それをあらゆる国家との闘いの中心に据えて、永続的な闘いを開始するしかない。戦後の平和運動や反戦運動を反省して、それらを超えた非戦の運動を未来から現在に向かってくるか形で組んでいくしかない。
確かに戦後史は大国間の戦争はなかった。この事態はかなり続くとみなしてもよい。しかし、世界では地域紛争を含めて様々の戦争が存在しており、それはまた続くものと見なすしかない。日本国家は日本が戦争を持ってそれらに関係することを宣言したのであり、その意味で戦後という枠を破ろうとしている。僕らもこの枠を超えて抵抗を開始するしかない。戦後の防衛ではなく、戦後の発展的展開として、非戦をより明確な国家の理念(共同の意志)にする闘いをやるしかない。憲法9条を条文として守るだけではなく、それを現実化する闘いとしてやることだ。地域・職場・学校・家などあらゆう領域で、戦争の国民的合意形成の動きに抗い、それを阻止する運動をやるしかない。政治的動きだけでなく、それに対応する社会の動きに注目し、そちらに非戦の根を創りだす動きが必要だ。非戦を主体的なものたらしめるには社会の場での、日常の場での闘いが重要になる。その裾野が大事だ。だから裾野の拡大をめぐる権力との攻防というか戦場が広がって行く。その意味では地域的な社会的な権力の動き(例えば、メディア、教育機関など)に注目し、そこでの抵抗を創りだそう。
7月3日はテントの周辺では二つの大きな動きがあった。一つは「原発いらない福島の女たち」の環境省に対する抗議行動である。大型バスで福島から女性たちは「金目でしよう」と放言した石原大臣に放射能汚染土のつと(苞)を持ってやってきたのだ。白い防禦服をきたメンバーも交え20人が環境省に入り要請をした。それは「1.除染に偏らない被曝低減措置を早急に策定・実施すること。1.原発事故子ども被災者支援法の理念に則り、環境省の被災地/者支援政策、放射性物質対策を抜本的に見直すこと。1.今後の政策、立案には被災者の声を反映させること。1.石原伸晃環境大臣は辞任すること。」であつた。
環境省前では200人を超える人たちが支援に集まり、抗議のスピーチをした。同時進行で3時からは外国特派員教会での記者会見も開かれた。彼女らは官邸前で集団的自衛権行使の閣議決定に抗議した。
もう一つは15時から東京地裁の103号法廷で「函館市大間原発差し止め訴訟 第1回口頭弁論」が行われた。傍聴には多くの人が参加した。裁判の後、報告会が参議院議員会館 で開かられた。澤井正子さん(原子力情報資料室)と野村保子さん(函館在住・大間原発訴訟の会)の話、河合弁護士等による裁判の報告があった。この裁判はテント裁判とともに今後も続いていくものであり、参加を訴えておきたい。(三上治)
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テントからのお知らせ
◆7月16日(月)テント裁判「第7回口頭弁論」14時~地裁103号法廷(13時東京地裁前集合) 16時報告集会(衆院第一議員会館 地下1階大会議室)
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