また車が新しくなる―はみ出し駐在記(39)
- 2015年 8月 14日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
月曜日、いつものように出社したら、E先輩がM先輩と車が盗まれたと話していた。そういえば事務所の前の駐車場にE先輩の車がなかった。E先輩の車はマーキュリーの最高級車で、その大きさと、いかにも高そうな外観で人目を引いた。車を盗まれたのに、E先輩の口ぶりに焦ったようなところがない。どことなく明るい響きさえある話しぶりに、いったいどうなっているのか不思議でならなかった。
住まいは市内 (クイーンズ区)だが、治安に不安のあるような地域ではなかった。郊外のような広々としたところはないが、落ち着いた住宅街で住民にはユダヤ系(中流層の代名詞?)が多いと言われていた。アパートは、外観はちょっと時代を感じさせるが、十階以上あるしっかりした建物で、地下駐車場へのシャッターは、無線端末でIDを入力しなければ開かない。セキュリティもしっかりしていて、住民でなければ簡単にはアパートにも駐車場にも入れない。何度か夕食に招かれて地下駐車場にも入ったことがある。痛んだ車もなく、並んでいた車が中流家庭を表していた。特別高級なアパートではないが立地もいいし、中流のサラリーマン家庭には十分なアパートだった。
自動車の盗難には大きく二種類ある。ひとつは自分で乗るための素人による盗難。もう一つは部品販売を目的としたビジネスとしての盗難。素人による盗難の件数は知れている。ニューヨークでは圧倒的にプロによる盗難だった。プロによる盗難では、盗んだ車をそのまま車として売ることはない。組織化していて、車を盗む人たちは盗んだ車を解体工場に持ち込む。解体工場では車の主要部品を取り外して、中古保守部品とし販売ルートに流す。最下流には、卸屋とリテールに分かれた中古保守部品の流通網がある。
自分で乗るためであれば盗み易く乗り易い、あるいは乗りたい車が対象になるが、中古部品の販売が目的となると、対象は高級乗用車に限られる。安い車の部品では保守部品の価格も安いが、高級乗用車のものは中古でも高く売れる。売れる部品という部品を全て取り外したボディは廃棄物。廃棄物を廃棄物として処理するには金がかかる。もともと違法な自動車泥棒。そんな面倒で金のかかることはしない。裸のボディは適当な路上に放棄する。
路上放棄されれば、大した時間もかからないうちに警察が見つける。車のシャーシについているIDか車検のステッカーから持ち主が分かる。分かれば警察から持ち主に引き取りに来るよう連絡が入る。ボディだけになってしまった車を引き取ったところでどうしようもないと思っていたが、E先輩の口ぶりからはそうは感じない。
E先輩、ちょっと前、多分二年くらい前だろうが車を盗まれていた。同じ車が同じ駐車場からまた盗まれた。盗まれてから何日もしないうちにボディだけになった車が出てきた。ボディを修理工場に持ち込んで外された部品と同じ新しい部品を取り付けて、中味が新しくなって車が返ってきた。
その経験があるから、E先輩何も焦っていなかった。何日もしないうちに裸のボディがでてくるだろうと予想していた。予想していた通りにボディが出てきて、前回と同じように新しくなった車が返ってくるまでに何日もかからなかった。費用は保険でカバーできるから、大した出費にはならない。保険料がまた高くなるが、車が新しくなったことを思えば安いものなのだろう。
部品外しの解体屋もそれを専門としたプロ。手際よく部品を外すだけで、素人のように余計なところに手はつけない。部品外しでボディに痛んだところは、二回とも、少なくともE先輩の目にはなかったらしい。
E先輩の話を聞いて、お調子者の気のあるM先輩がオレのも盗んでくれないかなー。盗んでくれれば新しくなるのにーっと言っていた。盗まれたいというのも変な話なのだが、大衆車の、それも何年も経っているプリマスや、帰国した駐在員から譲り受けたキャマロでは素人には盗まれるかもしれないが、プロは見向きもしない。
キャマロが痛んで長年の夢だったクーガーに乗り換えた。M先輩のアパートは低層でいいところだったが、アパートには駐車場がなく路上駐車だった。クーガーの路上駐車、盗んで下さいと言っているようなもので、一年ほどでしっかり盗まれた。E先輩と同じように中味が新しくなって帰ってきたが、新しさは高々一年ちょっと。路上放棄されていたボディの引取りやらその後の手間、保険料のアップを考えると一年ちょっとの若返り、大した得にはならなかっただろう。
車を盗まれても大して困りもしないし慌てもしない。嬉しいわけでもないのだろうが、なんかちょっと喜んでいるような感じがある。何か変というかおかしい、でもそのおかしいのがアメリカかもしれない。
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
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