ユーロは絶対に崩壊しない - 伴野文夫著 「ユーロは絶対に崩壊しない」 -
- 2016年 10月 27日
- カルチャー
- 「ユーロは絶対に崩壊しない」伊藤力司書評
伴野文夫著 「ユーロは絶対に崩壊しない」 幻冬社ルネッサンス新書
発行年月日 2016年9月13日 定価800円+税
今年6月23日、イギリスは国民投票でヨーロッパ連合(EU)から離脱するというショッキングな判断を下した。これを機にEUの結束が危なくなるのではとか、EUの共通通貨であるユーロが崩壊するのではないか、といった憶測がしきりに流された。本書は書名の通り、英国が抜けてもEUは大陸欧州の連合体として成長するし、ユーロが崩壊することはあり得ないことを具体的に論証する貴重な証言である。
著者の伴野文夫氏は、NHKの特派員としてブリュッセル、パリ、ボンに駐在、ヨーロッパが1968年のEC(欧州共同体)から1993年のEU(欧州連合)にまで統合を広げ、結束を固めてゆく現代史をつぶさに観察したジャーナリスト。45年前の1971年の同じ6月23日、2日続きの徹夜交渉の後の3日目の朝、ようやくイギリスのEC加盟が承認された最後の交渉をルクセンブルクで取材していた、という歴史の証人だ。
現在ヨーロッパの28カ国(イギリスが抜ければ27カ国に)、5億700万の人口を抱えるEUの歴史は、第2次世界大戦の惨禍2度と繰り返したくないとする独仏の平和への欲求からスタートする。1951年に独仏伊にベネルクス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)の6カ国で発足した欧州統合の萌芽であるECES(欧州石炭鉄鋼共同体)は、過去65年の間にEEC(欧州経済共同体)からEC(欧州共同体)を経て、ヨーロッパ全部をほぼ網羅するEUに発展した。イギリスはそこから抜けるという訳だ。
イギリスは19世紀に世界の7つの海を制覇した大英帝国の後身であり、独、仏、伊その他の小国から成るヨーロッパ大陸の国々とは訳が違うと考える「本心」がある。しかしわずか34キロしか離れていないドーバー海峡の東に広がる大陸が、ECの成功によって繁栄しているのを見て、イギリスもヨーロッパの一員として大陸の繁栄に参加したいと考えた。イギリスは1961年にECに加盟を申請するが、イギリスを「トロイの馬」と見なすドゴール仏大統領の拒否権で、イギリスのEC加盟は2度にわたって封じられた。
ドゴール大統領の下野(1969年)の後、イギリスは3度目の申請で1971年にようやくECに加盟が認められた。各国の条約批准などすべての手続きが終えてイギリスがECに加盟したのは1973年1月1日である。ECはこれを契機に拡大・統合の道を歩む。とりわけ東西冷戦の崩壊で、それまでソ連圏に引き留められていた東欧諸国が続々と加盟したことが大きい。
統合の面では1993年11月1日発効したマーストリヒト条約(欧州連合条約)でEUが発足。EUは加盟国の主権の一部を移譲し1.経済通貨統合2.共通外交・安全保障政策3.司法・内務協力-を柱とした。ここでEUは単一通貨ユーロの創設を盛り込んだが、イギリスはマーストリヒト条約を承認したものの、ユーロの採用は拒否してポンドを使い続けると宣言したのである。ここに今回のイギリスが今回のEU離脱に至った遠因がある。
著者によると、その背景には「居眠り寸前のイギリスをもう一度奮い立たせたのが八〇年代に登場したマーガレット・サッチャー首相です。新自由主義を標榜するサッチャーは同時に国家主権を大いに尊重する、強力なナショナリストでもありました。これに対する大陸側では八五年、フランスの蔵相をしていた連邦主義者、ジャック・ドロールがEC委員長に就任し、サッチャーと正面対決することになりました」という事情があった。
サッチャーは90年末首相の座から降りていたが、イギリスの新自由主義と大陸の連邦主義の対立は根が深く、この時点からイギリスと独仏をはじめとする大陸のユーロ採用諸国は全く逆方向の進路を取ることになった。大陸のユーロ採用諸国は様々な障害に苦しみながら1999年1月1日単一通貨ユーロの導入に漕ぎつけた。一方のイギリスはアメリカとともにアングロサクソン・マネー資本主義の道を進み、少なくとも2008年のリーマン・ショックまではマネー経済の繁栄を楽しんだのである。
著者が本書で展開しているアングロサクソンのマネー資本主義と、独仏を主体とする大陸欧州の「社会的市場経済」(Soziale Markwirtschaft:SMW)の対比は、日本経済の進路を考える上でも極めて興味深い。著者によると、SMWは戦後ドイツ経済の奇跡の復興を成し遂げたアデナウアー首相の保守政権のもとで議論が始まり、次のエアハルト政権の時に確立された。それは自由な資本主義が基本だが、アングロサクソンの新自由主義、レッセフェール(自由放任)とは明確な一線を引くものだという。
「社会的」というのは労働政策や社会保障、公共の利益を重視することを意味する。「市場経済」と敢えて言うのは自由な商品交換が基本だが、利潤率最優先の自由主義とは違うことを強調するものだ。著者によると、ドイツには戦前の1930年代にオルド自由主義という経済思想があった。オルドとは秩序を意味するが、経済の運営には一定の規制が必要で、労働者の保護を重く見る自由主義の考えで貫かれていたという。SMWの根底には、オルド自由主義やドイツで生まれたマルクスの思想の流れが反映しているという。
さて1999年に発足したユーロはドルに次ぐ国際通貨として順調に発展したが、2010年にユーロ加盟国ギリシャの財政破綻が明るみ出たことで一挙に危機に襲われた。ギリシャ政府が財政赤字を隠して多額の借金をしていることが暴露され、ユーロ建てギリシャ国債が暴落。ウォール街の投機の対象になっている最中に、イタリア、スペイン、ポルトガルなど南欧諸国がいずれも多額の財政赤字を抱えていることが暴露され、これらの国が発行しているユーロ建て国債が投機の対象になった。
この第1次ユーロ危機は、金融とともに国民経済のもう1本の柱となる、財政の統合がおろそかにされていたことだった。独仏両国は2010年10月ドービル宣言を発して、ユーロ加盟国に強力な財政協定を作ることを呼びかけた。新しい財政協定は2013年1月に発効した結果、危機は収まった。しかし再びギリシャで、この財政協定に基づく厳しい緊縮政策に反乱が起きたことで第2次ユーロ危機が2015年に発生する。
2015年1月のギリシャ総選挙で、EUから課せられた厳しい緊縮政策を拒否すべきだとするポピュリスト政党シリザ(急進左派連合)が政権を獲得、シリザを率いる若い社会主義者チプラス氏が首相に就任した。同首相はユーロを離脱して3000億ユーロ(約35兆円)もの借金を踏み倒すことも辞さないという、最強硬派のヴァルファキス氏を財務相に任命した。同財務省hEU側のドイツのショイブレ財務相を相手に6カ月にわたる厳しい交渉を重ねた末、同年7月チプラス首相はヴァルファキス財務相を解任、ギリシャが屈服した形で第2次ユーロ危機は解決した。
ギリシャは放漫財政の元凶である国営企業の民営化や公務員の年金カットなど、構造改革を中心とする緊縮政策を受け入れた。代わりに860億ユーロ(11兆円強)の融資を得て、ギリシャは最悪のデフォルト・ユーロ脱退という事態を免れた。公務員は50歳代で定年、最終給与の95%の年金というけた外れの放漫財政のタガがはめられた。ギリシャ国民はユーロ経済圏に留まることを優先したチプラス首相を信任した。
著者は危機解決の背景に「ユーロ圏経済が、国家の寄せ集め経済から脱皮して統一経済圏として動き始めていること、ドイツがその中核にいることを自覚し始めた結果である」と述べている。これが長期にわたる著者の綿密なヨーロッパ取材体験から導かれた結論であり、ここからイギリスのEU脱退というドラマの渦中にある「ユーロは絶対に崩壊しない」という書名のいわれでもある。
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