米中「第1段階協定」に署名 ―「内弁慶」習近平の面目躍如 国内の反米感情をどう抑えるかが見もの
- 2020年 1月 17日
- 時代をみる
- 中国田畑光永米中習近平
何度も「合意近し」「署名近し」といううわさが流れて、その都度、世界の株式相場を揺らしてきた米中貿易摩擦についての「第1段階協定」が15日、ようやくワシントンで署名された。
国家間の約束事は通常、同格の代表どうしの間で行われるものだが、15日に協定に署名したのは、米側がトランプ大統領、対する中国側はこれまでの交渉代表、劉鶴副首相だった。なんともバランスが悪い。
こういう場合、格上が出たほうが立場が弱いと見られるのが一般的だろうが、今回は明らかに反対で、勝った米側からは総大将が威風堂々と出てきたのに対して、立場の弱い中国側の総大将は姿を見せず、代わりに前線の部隊長が相手の総大将の前に引き出されて降伏文書にハンコをつかされた、という光景だった。
なぜそう言えるのかはあとで説明することにして、まず交渉の経過をざっと振り返っておく。
―何が交渉のキモとなったか―
米トランプ大統領が自国の貿易赤字を減らすために、つまり米国の労働者や農業者の仕事や稼ぎを増やすために、米国相手に稼いでいる国々に有無を言わせず貿易黒字を減らせと難癖をつけ始めたのは、自分の任期の半分が過ぎた一昨2018年の春であった。鉄鋼やアルミなどをネタに中国ばかりでなく、日本、EU、カナダ、メキシコなどにも請求書を突きつけたが、結局、稼ぎ頭の中国との取り組みがなんども水が入るもっとも長い交渉となった。
それにしても、相手が自分にものを売りすぎるという非難はそもそも筋違いである。売り買いを最終的に決めるのは(希少商品など例外を除いて)一般的には買い手である。純粋に商売の話なら、買い手が買わなければ「売りすぎ」は発生しないはずだ。にもかかわらず、いろいろ難癖をつけて(守ってやっているのに物を買わないなど)、売り手に「売るな、もっと買え」と無理を通すのがトランプ流の手口である。
だから、米中交渉は難航した。2018年夏以降、米側が中国からの輸入品に7月に第1次、8月に第2次、9月には第3次、あわせて2500憶ドル分(中国からの輸入額の半分弱)に25%の超過関税をかけた。その都度、中国側も報復措置(といっても中国の対米輸入額は2000憶ドル未満だから、金額は少ないが)に出た。
米側はさらに大規模な第4次を発動しようとしたが、さすがにむやみな関税戦争には歯止めをかけようということになり、18年12月1日、G20首脳会議の後、アルゼンチンのブエノスアイレスでトランプ・習近平の首脳会談が開かれ、翌19年1月から仕切り直しの交渉が始まった。
そして約3か月、4月なかばころからようやく交渉妥結という空気が流れ始め、5月上旬にもワシントンで協定調印という運びが既定の事実として報道されるようになった。
ところがそこで形勢が逆転した。およそ150頁に上る協定案がまとまり、その署名のためにワシントンに現れたはずの中国側の劉鶴首席代表が、協定のおよそ50頁分の取り消しを求めたと伝えられた。
その経緯について中国側は明らかにしていないが、当の劉鶴はワシントンで、「交渉は最後までなにが起こっても不思議はないのだ」とのべて、最終段階で中国側が態度を変えたことを暗に認めた。
そして劉鶴はさらに中国人記者を相手に、「1、協定が署名されたら、米側は超過関税を撤回すること、2、農産品などの輸入額を増やすのは実需に基づくこと(政府が政治的に輸入増などを決めず、業者間の取引によること)、3、協定は互いの主権、名誉を傷つけないこと」の3項目を挙げ、これが米中交渉の基本原則であるとのべた。これがその後の交渉のキモとなったはずである。
つまり、署名寸前までいったと伝えられた協定はこの3項目に悖るものであったがために、結局、中国の国内事情で署名することが認められず、決裂に至ったものと考えられる。
こうして1月からの第2ラウンドも実らず、次は6月末の大阪での再度のトランプ・習近平首脳会談を経て第3ラウンドに持ち越された。これもまた途中、さまざまな小競り合い、中競り合いを重ねたが、その経過は煩雑になるから省略して、ようやく昨日、妙に不釣り合いな代表によるとはいえ、「第1段階協定」への署名が行われた
―結果をどう見るか―
さて署名された協定をどう評価するか、基準は先の3項目である。伝えられた要旨から判断してみる。
第1項目は関税撤回。伝えられる限りでは、米側はこれまで第1次から第3次までの総額2500憶ドル分に対する関税はそのまま残し、その後、第4次分の一部分として実施している約1200憶ドル分の関税率15%を半額の7.5%に引き下げるとしているだけである。明らかに不十分である。
トランプ流の交渉はたとえば北朝鮮の非核化にしても、相手に先に何かをやらせて(核施設の破壊など)、自分はそれを見てからやっと行動する(制裁を解除する)、というやり方である。相手と同時に自分も何かするとは言わない。だから金正恩は怒っているのだが、トランプにとっては大国中国もその点では北朝鮮と同じ扱いである。中国側ではこの点について、「エスカレートする一方だった関税戦争の流れが逆転した」などと無理に成果扱いする論調もあるが、苦しい言い訳である。
第2項目は、米からの輸入増は実需に基づくこと、である。中国は首脳の外国訪問などの折に、相手を喜ばせるために、特定の商品を大量に買い付ける約束をすることがよくある。米相手にそれをするな、というのが、この第2項目である。これが3項目の中に入った政治的背景は興味深いが、いまはそれには立ち入らない。とにかく、結果はどうか。
伝えられる協定内容によれば、米からのモノとサービスの輸入を向こう2年間で2000憶ドル増やすことを中国側は約束した。「つかみ金」ならぬ「つかみ輸入」であって、実需に基づいているとは言えない。その品目別金額は工業品777憶ドル、LNGなどエネルギーが524憶ドルに対して、農産品は320憶ドルである。
ただ事前の報道では、農産品の買い付け約束額は400憶ドルと推測されていたから、それよりは20%少ない。最後の交渉で減額させたのでろうか。いずれにしても、第2項目も守られなかった。
第3項目は、協定は双方の主権、名誉を傷つけないことである。こんな言うまでもないことがなぜ交渉原則に入ったか。どうやら昨年5月に決裂した協定文では、国営企業に対する中央・地方の政府からの補助金などの輸入促進支援策などが米側の攻撃対象となり、それをやめることといった項目があったらしい。
これが国内の各級政府から「内政干渉ではないか」といった反発を招いて、劉鶴らは身動きがとれなくなったらしい。真偽は私には確かめられないが、ありそうな話ではある。ただ今回はどうやらそういう難しい問題は回避して、とにかく合意を目指したらしい。「名誉だ」「主権だ」という危ないところには触らなかったようだから、これは評価の範囲外である。
結論として、3項目のうち2つは守られたとは言えない。しかし、たとえば地方政府が地元企業に補助金を出そうとしたら、それが米の要求で止められるといった権力層の神経を逆なでするような問題を避けた点で、風当たりは強くあるまいというのが、交渉当事者および習近平の判断ではなかろうか。
―米の反中攻勢をどうする?―
それにしても伝えられた限りではあるが、この内容で米との経済休戦に首を縦に振った習近平の内心はどういうものであったか、私には容易に推測できない。
習近平に自分を置き換えて昨年を振り返ってみると、トランプ率いる米は「なんの恨みがあってこちらのいやがることばかりするのだ」と殴りつけてやりたい衝動に駆られているはずと思う。
「香港の長い、激しいデモには本当に手を焼いたが、南の玄関口のことだから、手荒い真似もできずに困っていると、米はなにかとデモ隊を勇気づけた。香港人権・民主法案など、いったいあれはなんだ。他国を何だと思っているんだ。デモ隊が星条旗を振り回しているのを見た時の憤怒の感情は忘れられない」
「台湾にしたってそうだ。なるべく話し合いで取り込もうと苦労しているのに、戦闘機だ、ミサイルだ、戦車だと、子供に欲しがるものを与えるようにトランプが気前よく渡すものだから、あれほど人気のなかった蔡英文が800万票も集めて、総統に再選となってしまった。手の打ちようがなくなってしまったではないか。いったい台湾をどうしようというのか」
「そればかりではない。新疆ウイグルにまで去年はあれやこれやうるさかった。あんな遠いところの何百万かの人間に米がいったい何のかかわりがあるんだ。いい加減にしてもらいたい。香港につづいてこんどは『新疆ウイグル民主・人権法案』だと。オレたちが『アラスカ解放法案』だの、『フロリダ民主化法案』だのを全人代で立法したらお前さんはどんな顔をするんだい・・・・」
とまあ、習近平は思っているに違いない!。
しかし、問題はそれだけではない。同じことを国民の相当大きな部分が感じているだろうし、同じことを感じていなくても、習近平の無策をせせら笑っている人間もかなりいるだろう。その米の言いなりにものを買ったり、米の証券会社や銀行に儲けさせたりするのはどういう了見なんだとも。
習近平はしばらく(いつまでかは分からない)夜も眠れないだろう。それについての情報があったら、次の機会に報告する。(200116)
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〔eye4683:200117〕
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