ガザの封鎖4年ぶりようやく解除・ムバラク後のエジプト、パレスチナ支援に本腰
- 2011年 5月 30日
- 評論・紹介・意見
- アメリカ・オバマの対応エジプトの対応変化パレスチナ問題伊藤力司
エジプト政府は5月28日からパレスチナ自治区ガザとエジプトの国境ラファ検問所を開放、パレスチナ住民の自由通過を認めた。これで2007年以来のガザ封鎖は4年ぶりに解除され、ガザ市民はようやく外部世界への渡航ができるようになった。これは先のエジプト革命で親米・親イスラエルのムバラク政権が崩壊した後をを引き継いだエジプト暫定政府が、パレスチナ紛争の解決に新しい姿勢を表明したものと解される。
その暫定政府は既に、パレスチナ自治政府内で分裂・抗争してきた、ヨルダン川西岸を支配するファタハとガザ地区を支配するハマスの両勢力を和解させる調停にも成功している。ムバラク追放後のエジプトはかつてナセル時代に輝いていたアラブ世界の盟主の役割を回復して、パレスチナ支援を通じて中東の和平実現に踏み出そうとしているようだ。
2011年の年初以来チュニジア、エジプトで長期の腐敗・独裁政権を追放したアラブ民衆の蜂起は、リビア、シリア、イエメンその他アラブ世界各地で複雑な様相を織り込みながら今も燃え続けている。その最終的帰趨がどうなるのかまだ見通せないが、この「アラブの春」によって60年以上くすぶり続けてきたパレスチナ紛争に転機が訪れたことは間違いない。オバマ米大統領が5月19日、1967年境界線を基礎にしたパレスチナ・イスラエル共存を目指す和平提案を打ち出したのも中東新時代を意識したものだろう。
ガザと言えば地中海とイスラエル領土に囲まれた、まさに帯のように細長い360平方キロの地帯で、ここに150万人のパレスチナ人がひしめいている。周囲を海とイスラエルに囲まれているので、出国するには唯一の出口であるラファ検問所からエジプト領に出る以外にない。2007年6月、イスラエル国家の法的存在を認めないとするハマスがガザを武力制圧してファタハ系を追放したことを契機に、ハマスを敵視するムバラク政権はラファ検問所を閉鎖してしまった。
なぜなら検問所が開いていると、エジプトからロケットや火薬類その他の兵器のガザへの密輸が増え、ガザに潜んでいるパレスチナ過激派のイスラエル攻撃がやり易くなるというイスラエル政府の言い分を、当時のエジプト政府が聞き入れた結果である。その結果は何と数十本のトンネルが掘られ、エジプトから武器類を含めた密輸商売が繁盛したという笑えない笑い話もある。また2008年12月から翌年1月にかけてイスラエル軍が空と地上からガザに大規模攻撃を掛け、パレスチナ人の死者だけで1800人、負傷者数千人を数えた惨劇があった時も、重傷者をエジプトに搬送することも、エジプトから医薬品を運ぶこともできなかった悲劇が記憶に新しい。
エジプト政府は今回ラファ検問所を、金曜日(イスラム教の安息日)を除く毎日午前9時から午後9時まで開放した。ただし①18歳から40歳までの男子はエジプトの入国ビザを持っている者だけに限る②武器と商品(とりわけセメント)の持ち込みは許さない―という2項目の規制は残された。男子のビザなし出入国の規制は、もちろんイスラエルが過激派ゲリラのガザ入りに神経質になっていることに配慮したものだ。セメントの規制は先のイスラエル軍の空爆撃で破壊されたガザの建築物の復旧に必需品だが、これもイスラエルが特に規制を強く望んでいる。
ラファ現地からの報道によると、検問所開放の初日28日だけで数百人のパレスチナ人がガザからエジプトに入国したとのことだ。実は2月のムバラク政権崩壊以後、ラファ検問所のエジプト入国管理当局のパレスチナ人入国志望者に対する対応がかなり甘くなり、エジプトでの治療を希望する病人や留学希望の学生、エジプトの親類訪問希望者などはほとんどフリーパスで入国が認められていたのだという。
入国管理に当たる末端の役人も含めてほとんどのエジプト人は、イスラエルに痛めつけられてきたパレスチナ人に同情的だったから、長期独裁のムバラク政権の重しが外れた途端、同宗・同胞意識でパレスチナ人への救済措置が取られたのだろう。それ以上に重要なのが、暫定エジプト政府によるハマスとファタハの和解調停の成功だ。ハマスのマシャル代表(シリア在住)とファタハのアッバス代表(西岸のラマラ在住)は5月3日、エジプトのアラビ外相の立ち会いの下、エジプトの首都カイロで和解合意書に調印した。
この合意書によると、07年以来ガザと西岸で別々の行政を続けてきたハマスとファタハは出来るだけ早急に統一政府を組閣し、延び延びになっていたパレスチナ民族評議会(議会に相当)とパレスチナ自治政府議長(大統領に相当)の選挙を出来るだけ早く実施することになった。
エジプトのムスリム同胞団のパレスチナ支部として誕生したハマスは、イスラム主義を奉じてパレスチナ住民に対する社会福祉活動を地道に続けてガザ市民から篤い信頼をかちえてきた。一方のファタハはパレスチナ民族の英雄ヤセル・アラファトの指導下、非宗教・世俗の立場からパレスチナの開放を目指して40余年の闘いを続けてきた。しかし2004年死亡したアラファトを継いだが、アラファトのようなカリスマのないアッバス議長は、米・イスラエル・ムバラク3角同盟の圧力を受けて、譲歩に次ぐ譲歩を余儀なくされてきた。
09年3月発足したイスラエルの極右連合ネタニヤフ政権は、アラブ世界との対話を通じて新しいアメリカの中東政策を模索するオバマ政権に抵抗して、パレスチナ自治政府のアッバス議長との和平交渉をサボり続けてきた。しかし「アラブ民衆革命」の波をバックに、オバマ米大統領が1967年ラインを基礎にした新たな和平交渉に乗り出した今、イスラエル政府としてもこれを無視し続けることはできない。
オバマ大統領は5月19日に、1967年ラインを基礎にパレスチナ・イスラエルの2国家が共存できる中東を目指す構想を発表した。ネタニヤフ首相は直ちにオバマ提案を拒絶、翌5月20日に行われたオバマ・ネタニヤフ会談でこの方針を通告した。実はオバマ大統領もこれを織り込み済みで、翌5月21に日ワシントンで開かれた全米第1の有力ユダヤ・ロビー「アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)」の大会で、平然と中東和平実現の必要性を説いて熱弁をふるった。この演説でオバマ大統領はユダヤ系市民の聴衆から拍手を浴び、全聴衆が立ち上がって拍手を贈るスタンディング・オベイション(standing ovation)を1回受けた。
翌日のAIPAC大会に招かれたネタニヤフ首相は、1967ラインを基礎とするオバマ提案の和平構想は受け入れられないとの演説を行い、10回以上のスタンディング・オベイションを受けた。アメリカのユダヤ系市民は中東和平の必要を認めながらも、イスラエル寄りの決着を望んでいることを如実に示す光景だった。しかしオバマ大統領は、そのことも織り込み済みだった。オバマ提案のミソは1967年ラインを基礎としながらも、交渉によって領土をスワップ(交換)することを含ませていることだ。
つまり交渉を通じてパレスチナ側が同意できる交換領地が見つかれば、違法な入植地からユダヤ人が全面撤退しなくても良いという含みがあるわけだ。ネタニヤフ首相はそれを承知しながらも、パレスチナ難民の郷土への帰還の権利とエルサレムの分割は絶対に認められないとしてオバマ提案を拒否した。1948年のイスラエル建国で郷土を追われたパレスチナ難民は現在各地で三百数十万人に増えている。旧ソ連・東欧圏などからのユダヤ人大量移民で人口急増のイスラエルは、パレスチナ難民の帰還を受け入れる余裕がないのだ。
ユダヤ教徒にとってもイスラム教徒にとっても聖地であるエルサレムは事実上東西に分かれ、パレスチナ人居住区である東エルサレムを将来のパレスチナ国家の首都とすべきだというのが、パレスチナ側の悲願である。これを認めないネタニヤフ政権はエルサレム全体をイスラエル国家の首都とすることを譲らず、そのためにユダヤ人人口の少ない東エルサレムへのユダヤ人入植を奨励している。
こうした基本的対立で和平交渉が断絶しているため、アッバス議長らのパレスチナ自治政府は今年9月に開かれる国連総会で、パレスチナの独立を宣言してパレスチナ国家を国連加盟の192カ国中圧倒的多数の国々に承認してもらうことを考えている。国際社会の圧倒的多数は、イスラエルの度重なるパレスチナ自治区弾圧を不愉快に感じており、国連総会でパレスチナ独立の承認を求められれば、圧倒的多数で議決されることは目に見えている。
パレスチナ国家の独立を国連総会の議決で勝ち取ろうとするアッバス議長らパレスチナ側の構想に、イスラエル政府はもとよりオバマ政権も反対である。アッバス議長も国連安保理で拒否権を持つアメリカの支持なしに、パレスチナ国家の独立を実現することは難しいと考えている。そこで議長は、オバマ提案に基づく和平交渉にネタニヤフ首相が応じれば良し、応じないなら国連総会決議で一挙にパレスチナ独立の承認を求めるという作戦に出ているわけだ。
来年11月の再選を期す大統領選挙を控えているオバマ大統領が、極めて有力な圧力団体であると同時に民主党への重要な政治資金源であるユダヤ系市民を敵に回せば、再選は難しくなる。そのことを百も承知の上で、ネタニヤフ首相の嫌う1967年ラインを基礎とする和平案を発表したオバマ大統領に成算がないはずはない。オバマ大統領としては「アラブの春」に立ち上がった民衆の動きと、ブッシュ前政権の対テロ戦争政策に懲りた米市民の中東解決への期待を背に、敢えて今回の和平提案を発表したはずだ。
今後中東の現場で展開される様々な動きと、それを反映するアメリカ国内世論の動向によって「オバマの賭け」の成否が試されることになる。ともあれ、中東和平は21世紀の世界平和のカギを握っている以上、エジプト革命で大きく動いた中東和平の今後は、世界中の注目に値するはずである。(5月29日記)
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