新型コロナウイルス禍は、政府と国民を映す鏡
- 2020年 3月 22日
- 評論・紹介・意見
- 野上俊明
新型コロナウイスルスは欧米にも拡大して、世界の感染者は3月中旬で16万人を超えているといいます。多くの著名人がそれで亡くなったこともあり、1918年のインフルエンザ・パンデミックは歴史教科書的事実としては知っておりましたが、まさか我々自身がパンデミックを経験することになるとは正直思ってみませんでした。そういう折柄、筆者に新型コロナウイルス禍について何ほどかの知見があるわけではないですが、この一週間海外の新聞を目にして日本人として注意すべき論点を提示してくれているものがありましたので、そのいくつかを簡単にご紹介しましょう。
この数十年の間、世界で間歇的に新種のepidemic地方的流行病やpandemic世界的流行病がまん延する事態になっていますが、この状況証拠的原因について解説している記事を見かけました。
バンコク発のロイター電(3/12)によれば、公衆衛生や環境問題の専門家は、コロナウイルスを含む感染症のアジアにおける広がりの主な要因は、マレーシアやインドネシアなどにみられる急速な熱帯雨林の伐採、都市化、道路建設といった開発事業にあると指摘しているそうです。国連環境計画(UNEP)の責任者も、人間の活動が野生動物の生息地を破壊しているため、動物から人への感染症(人獣共通感染症zoonotic diseases)が増えているのだとし、「人間と自然は1つの接続系の一部であり、物事を過度に押し進めてネガティブな結果に直面しないように、その仕組みを理解する必要がある」と警告しています。つまり生態学的な均衡を無視する開発の危険性を指摘しているのです。したがってこれからの感染症対策としては、保健機関や食糧農業機関などの諸機関が指摘するように、気候、植物、野生生物の影響を考慮した「生態系の健康」ecosystem healthを含むようにグローバルな健康へのアプローチが必要だというわけです。
同じくUNEPによると、人口の増加と気候変動の影響の悪化は土地への大きな圧力となっており、病原体が動物から人に伝染する機会が増えることになっている。人間の感染症の約60パーセントは人獣共通感染症であり、新興感染症の75パーセントは土地利用の変化と農業の転換(濃密栽培)が主な要因である。さらにアジアでは貧弱な都市計画のもと、急激な人口密度の高まりや貧富の差の拡大が、病気の発生とその対処への脆弱性を高めているとしています。死者数5000万人を超えたという1918年のインフルエンザの被害も、第一次世界大戦の戦場における不衛生や銃後の疲弊―栄養失調、医療保健衛生体制の崩壊、医薬品の不足―が悪化の原因だといわれています。そういう意味では、いったん流行が広がれば、東南アジアといわず各地域の貧困層にあたえる影響は甚大なものになるでしょう。
もうひとつは、コロナウイルス禍に対する各国政府の対処の仕方に、その国の統治の在り方の特徴の一端が図らずも見て取れるというお話です。
ドイツの新聞(Tageszeitung 3/18)は、「コロナの抑え込みービッグデータと公衆監視が役立つ」と題して、中国の保健相の談話の内容を伝えています。曰く、「ウイルスの発生との闘いにおける技術開発は、私たちの側にある。高度な顔認識ソフトウェアと政府が発行したコモンネームシステムは、潜在的な感染者を特定し、病原体の拡散を阻止するのに役立っている。この疫学的成功において、ビッグデータと公衆監視が大きな役割を果たしていることは否定できない」と。14億人分のビッグデータ!生活上のあらゆる機会―携帯電話、アプリ登録、乗り物等の各種予約―に、取引ごとに政府発行のIDカードが必要とされ、全国に2億台以上のセキュリティカメラがあり、その多くに顔認証ソフトウェアが搭載されているといいます。
欧米的感覚からすればおぞましき、「1984年」的ディストピア=全体主義国家に対して機能・反発する市民社会や無料メディアがないため、総監視状態は野放しなのです。デジタル技術を使った総監視という点では台湾でも事態は似ているといいます。「ウイルスとの闘いにおける台湾の成功の一部は、最新の技術の使用によるもの。ビッグデータを活用して、スマートフォンアプリはどの薬局がマスクを購入できるかを通知する。・・・病院や薬局でさえ、台湾人の健康カードをスキャンしながら過去2週間の旅行滞在にアクセスできた。リスクのある患者はすぐに特定された。隔離された居住者は携帯電話の信号によって彼らが秘密に家を出ていないかどうかチェックされ、規則やぶりは重罰金を科される」
いずれにせよ、人権や市民的諸権利を軽視して高度経済成長を達成した中国、こうしたこの国のかたちは対ウイルス戦争において有利に働いたという点は、歴史のアイロニーといえるでしょう。
これに対して、韓国の対ウイルス戦争の闘い方は違うようです。韓国の在ミャンマー大使が誇らしげに解説しています(イラワジ紙3/19)。
大使によれば、「追跡、テスト、治療」は感染症のマントラである。ウイルスのさらなる拡散を防ぎ、死亡率を下げるには、正確なテストと患者の早期発見それに続く早期隔離が最善のアプローチだといいます。韓国のこのシステムは、WHOのテドルス事務総長も大いに評価し、国際的な医療専門家やメディアからロールモデルと見なされ、各国で導入され始めているとのこと。
「テドロス博士は、3月11日の記者会見で、すべての症例と接触を特定する韓国の努力に注目した。韓国では毎日18,000人近くがコロナウイルスの検査を受けており、1人あたりの人口は世界のどの国よりもはるかに多くなっている。3月15日現在、韓国で実施された診断テストの累積数は268,212に達しているー193人につき1名。H1N1やMERSなどの以前の大流行の余波で学んだ最も重要な教訓を踏まえている」
「韓国の試験能力をより印象的なものにしているのは、試験を実施する革新的で効率的な方法―テストに対する高まる需要に対応するために、医学界では、ドライブスルーのサンプル収集ステーションを多数設置した(500か所以上)。これにより、運転手は車から降りる必要なく、登録とサンプル採取の手続きを10分以内に行うことができる。これにより、潜在的な患者を病院の待合室から遠ざけることで病院への圧力と感染リスクの両方を最小限に抑え、病院の壁内でのサンプル採取に必要な表面消毒やその他の感染制御対策の必要性を排除して時間を短縮している・・・ドライバーは車から降りる必要がない。 サンプルは、医療スタッフが待機している近くの研究所に迅速に出荷される」
「このような攻撃的でいわゆる『追跡し突き止めるpursue and track-down』テスト」と相まって、韓国政府は、ウイルスに関する情報をリアルタイムで明らかにする際に、完全な透明性とオープン性を採用しているそうです。その成果でしょう、3月16日現在、韓国のコロナウイルスの死亡率は0.9%程度と低かったといいます。そして政府の全面的な取り組みに対し、市民社会もこれに自発的に協力しているとのことが特徴です。「主要なイベントはキャンセルされ、教会の礼拝はオンラインに移行され、企業は従業員が自宅で仕事をするよう奨励している。 社会的距離を保つための市民キャンペーンが整然と行われている」
しかも当局は透明性確保のために、次のような手を打っているそうです。
「政府の説明会は1日に2回オンラインで配信されるだけでなく、当局はすべての感染者の動きを公開している。多くの感染症があるホットスポットの近くに住んでいる人は誰でも、アラームSMSを介して政府から積極的に連絡を受ける。リスクの高い地域からの入国者は、空港で政府のアプリをダウンロードし、次の14日間、1日2回体温を入力しなければならない」
多少の誇張はあるかもしれませんが、やはり国民運動で勝ち取った民主体制の精神は息づいているのでしょう。
これに対して、コロナウイルス交戦国のうちで闘いに失敗しているイタリアの事情。3/19現在で中国を越して3,405人の死者を出しています。新自由主義化政策によって医療や保健衛生などの公共サービスが縮小され機能しなくなっているのでしょう。施設の老朽化や医療機器の不足、わけても人材の流失が決定的ダメージになっているといいます。くわえてインバウンド(海外からの旅行者)への過度の依存のため、ウイルスの侵入への脆弱性が露呈したというわけです。個人主義的な国民性とともに、政府機関が国民からの信頼を失って市民社会の協力を得られないことも指摘されています。かつては「赤いボローニア」を筆頭に左翼の牙城であったイタリア北部ですが、見るも無残な有様です。
日本政府については、早期発見、早期隔離がカギとされているのに、PCR検査の遅れ―韓国の1/10程度―に警鐘が乱打されています。検査活動を支える保健所をはじめとする保健衛生管理システムの脆弱化がいわれています。政府のブレーントラストを強化して専門家の見地から緊急対策を練り上げる必要があり、その意味でアメリカのCDC(疾病対策センター)のような常設機関の設置がどうしても急がれるのですが、安倍政権はオリンピックをなにがなんでも開催したいという政治的思惑優先で、場当たり的思い付き的な対処に終始しています。もちろん緊急事態法などパンデミックを政治利用しての監視体制づくりには警戒を怠るわけにはいきません。ただそれ以前も以前、政府と官僚組織の劣化で問題への対処能力のなさが露呈する現状では、患者が爆発的に増加する「オーバーシュート」に万一見舞われたら、手の施しようがなくなるかもしれません。しかしそれにしても野党側のイニシアチブ―緊急提言などの政策や運動提起など―の欠如にも腹立たしい思いも禁じえません。こちらも政治的思惑や打算が優先して、喫緊の課題におよび腰のように映ります。ここへきて国民的政治指導者の不足が、最大の政治危機なのかもしれません。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9568:200322〕
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