「井戸端会議」的コロナ談義
- 2020年 4月 1日
- 評論・紹介・意見
- 「ロック・ダウン」「非常事態宣言」上昌広倉持仁医師山川 哲
八百屋もスーパーマーケットも長蛇の列。どうしてこうなんだろうとは思いながら、それほど気にもかけずに過ごしてきた。
ところが先日(3月29日)、コメディアンの志村けんが亡くなったというニュースが飛び込んできた。それまで、「コロナ」はまだまだ遠い存在だったのが、急に身近に感じるようになった。不思議なものだ。特に志村のファンでもないのだが。
そうはいっても、飲み屋に通う習慣はなかなか改まらないし、やめようという気も起きない。おそらく「馬鹿は死ななきゃ…」なのかもしれない。
昔、故塩川喜信さんがつくづくおっしゃっていたが、「どんなに二日酔いが酷くても、夕暮れになり、赤ちょうちんがちらほらする時間になれば、やはり恋しくなるもんだよ」と、同感である。
ところで当今、街を歩いていると、もちろん飲み屋で聞こえて来る話題でもだが、やはり「コロナ」関連のものが圧倒的に多くなっている。
先日、近くのパチンコ屋の前を歩いていたら、小母さんたちが大きな声で、「どうしてパチンコ屋はこんな時期に開けて居れるのかしら」「あら、あんた知らないの。パチンコ屋の業界は相当な献金をして、閉店を免れているのよ」・・・。なるほど、と納得した。どうりで、「密集、密接、密閉」の最悪空間(?)のはずなのに普段通り店を開けておられるのだ。
それにしても、強制的な「命令」ではなく暗示(suggestion)的な「指示」にしても、効き目は絶大である。しかし、飲み屋はチェーン店以外は零細(個人)経営がほとんどである。何日も、いや何週間、何カ月も閉店するとなれば、たちまち経営が行き詰る。そのまま倒産になるケースが続出するのではないだろうか。出版業界と同じで、良心的で魅力的な店ほど中小零細なところが多い。この先どうなるのかを考えると、悲しい限りだ。
飲み屋で知り合ったマッサージ師のご夫婦(お二人とも、目が不自由である)は、商売柄「密接、密閉」の現場で働いている。「コロナ」のパンデミックは、もろに彼らの仕事に跳ね返ってくる。当分の間休職だと言う。短期間はもつであろうが、長期間になればどうなるのだろうか?
「災害が差別(格差)を連れて来る」とは以前から言われ続けてきた。最近の報道によれば、真っ先に外国人労働者が、それから非正規労働者が「雇い止」(お払い箱)になっている。健康保険証をもたない人の多いホームレスは、ほとんど野垂れ死にの状態に置かれている。
政府や都府県知事は、一部の例外はあるものの、対策といえば「非常事態宣言」の発令とか「ロック・ダウン」とかしか思いつかないようだ。しかし、「コロナ流行」の最初から上昌広さんなどは、すぐに収容設備を整えて、出来る限り多くの人たちに受診させること、その結果、患者を重病、軽微などに区分けし、隔離避難させたうえで、重点的に治療にあたらせれば、それほど拡大せずに済むと証言していた。
つい先ごろでも、倉持仁医師が、同様の発言を「現場の医者」の意見として述べておられた。
「まず、救える命を救助することが先決である」と言われる。まことにもっともである。
倉持さんのご意見では、上昌広さんが指摘されるような対策をとるなら、酸素吸入器などの必要機器も、医療従事者の数も「不足」を嘆くほどではないし、ましてや「非常事態宣言」の発令とか「ロック・ダウン」などは全く必要ではないと言う。
ここに来て、政府も都知事もやっと収容設備として、公共施設を使う必要があるとの考えに傾いてきたようだ。オリンピック村の宿泊施設を使うべきだという声は、少なくとも延期直後からあがっていたはずだが、…。
ドイツの現状にも大いに見習うべきことがある。患者数は日本に比べてかなり多い。というのは、かの国では無料で検診をやっているからだ。その結果発見された患者は、重・軽症に分けられて、しかるべき病院で治療を受ける仕組みになっている。その結果は、患者数に比べて死亡者数が極端に少ない数値に表れている。
アベや小池が、オリンピックをどうしても日本でやるために、「安全、安心」な日本を演出していたのではないかと言われている。延期が決まった途端に増え始めたことがその証拠だと言う声がある。
更には、「非常事態宣言」発令から「憲法改悪」まで持っていこうとするのがアベの魂胆だと言う意見もある。
その前に、日米経済破綻、中国の一人勝ちという意見が瀬戸内海の小島に住む方から聞こえてきた。
2020.4,1記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9599:200401〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。