本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(254)
- 2020年 4月 10日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
相場から学んだこと
今年で、金融界に従事して「44年目」になるが、現在、最も思い出されることは、やはり、「実践の相場」から「数多くの学び」が得られたことだった。具体的には、「相場は常に正しい」ということであり、このことは、「全体像の一部が、常に示されている状態」のようにも感じられるのである。つまり、「答えの一部」が提示されることにより、「学校の勉強」とは違い、「なぜ、自分自身の予想や考えが間違えたのか?」などを、毎日、真剣に考えさせられた状況だったのである。
このように、「相場」においては、「答え」が「日々刻々と出る状況」となっているが、このことは、「一部分が提示されながら、全体像を推理する状況」とも思われるのである。より具体的に申し上げると、「学校の勉強」は、基本的に、「1+1は、いくつか?」というように、あらかじめ設定された問題に対して、「どれだけ早く、また、どれだけ正確に答えられるのか?」が重要なポイントともいえるのである。
しかし、一方で、「社会の勉強」については、最初に、「現実社会」という「答え」、あるいは、「全体像の一部分」を見せられ、その後に、「なぜ、このような状態となったのか?」、あるいは、「自分は、いったい、何が理解できないのか?」を考え続けなければいけないのである。しかも、現在のような「唯物論を価値観とした西洋の時代」においては、「必要は発明の母」という言葉のとおりに、「人々の役に立つ商品を作った人々」などが「お金儲けに成功した立派な人々である」という評価を受けることになるのである。
別の言葉では、「究極的な物的商品」である「マネー(お金)」が重要視される「西洋の時代」においては、「目に見える商品」に対して、人々の需要が発生したわけだが、現在の問題点は、すでに、「マネーそのものが、目に見えないデジタル通貨に変化した状況」とも言えるのである。つまり、現代人は、すでに、「目に見えないもの」、そして、「他人」に対して「心が指し始めた状況」、すなわち、「興味や関心の対象が、すでに、唯心論に向かい始めた状況」とも思われるのである。
そのために、今後の「東洋の時代」においては、尊敬の対象となるのが、「お金儲けに成功した人々」ではなく、「多くの悩みや苦しみの結果として、『神の真理』や『天の智慧』に近づくことができた人々」だと考えている。つまり、「ニュートン」や「エジソン」が「自然科学の分野」で得られたように、いろいろな「閃き」や「悟り」が、「社会科学の分野」で得られる人々のことである。(2020.3.15)
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信用創造と信用収縮、そして、信用崩壊
21世紀を迎えた現在でも、「お金の謎を解いた人は存在しない」といわれている。そのために、私自身は、30年以上も前から、この問題に取り組んできたが、基本的には、「お金」と「信用」、そして、「実体経済」と「マネー経済」との関係性で、すべての説明が可能なようにも感じている。つまり、私自身にとって、この問題は、すでに解決済みだと考えていたが、今回の「コロナ・ショック」がもたらした大混乱を見ると、現在、「信用創造」や「信用収縮」の意味が誤って使われているようにも感じられたのである。
そのために、今回は、「お金の謎」について、基本的なポイントを整理させていただくが、実際には、「お金(マネー)は、信用の裏返し」であり、「目に見えない信用」が「目に見えるマネー」に転換されることが、本当の「マネーの創造」、あるいは、「お金が膨張するメカニズム」とも言えるのである。しかし、一方で、この時には、水面下で、「信用の量」が減少していることも理解できるわけだが、この点に関して、私自身が、最も注目していた点は、「1971年のニクソンショック」以降、「通貨と実物資産が切り離される」という「人類史上、初めての出来事」だった。
つまり、その後の「約50年間の信用本位制」において、人類史上、最大規模の「マネー大膨張」が発生したわけだが、この時の注目点は、「古いマネーが、新しいマネーに取って代わられた事実」とも思われるのである。別の言葉では、従来の「信用創造」という言葉自体に、基本的な「誤り」が存在した可能性のことだが、実際には、「根底に存在する信用が減少している状況」を表しているために、本来は、「マネーの創造、あるいは、膨張」とでも表現すべき状況だったようにも感じられるのである。
このように、現在の「信用創造」と「信用収縮」という言葉については、本来、「マネーの創造」、そして、「マネーの減少」というような言葉に変更される必要性を感じているが、この時に、大きな問題となるのが、「マネーの形態変化」とも言えるのである。具体的には、「金貨本位制」の時代に発生した「中央銀行マネー」、そして、「信用本位制」に移行するまでの時代に発生した「民間銀行マネー」、また、「現在」までの「市場マネー」のことである。
別の言葉では、「金融システム」を維持するためには、常に、「新たな商品」、そして、「新たなマネー」を発明し続ける必要性が存在するわけだが、現在の混迷は、この方法が、完全に行き詰ったことに、本当の原因が存在するものと感じている。(2020.3.20)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9631:200410〕
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