コロナウイルス―社会活動再開の明確な戦略が必要
- 2020年 4月 27日
- 時代をみる
- 新型コロナウィルス盛田常夫
「戦時大権」行使への誘惑
ハンガリーでは4月初めに、専門を問わず、すべての公立病院の病床を6割空ける政府指令が発せられた。ハンガリー政府は重篤者の爆発的急増を懸念し、先手を打って病床を確保したいのだろうが、他方で問答無用の強権発動に批判が高まっている。4月15日までに6割の病床確保を達成できなかった病院長を次々に交代させる強権に、現場の不満が高まっている。まるで病院長は軍の命令に反した下士官のようだ。専門病院によって、入院患者の状況は大きく異なる。家族が引き取れない患者も多くいる。それぞれの患者に退院先を見つけずに、病院から追い出す手法はあまりに無責任だ。何もコロナだけが疾病なのではない。
ハンガリーのコロナ感染者数(4月20日現在)は2,000人で、これまでの死者は200名だから、爆発している状況ではない。しかも、現在、外出規制がかかっており、ほとんどの商店は営業を停止している。開いているのは、食料品店、薬局、郵便局、銀行だけである。外出禁止令ではないので、公道での警察検問はないが、街の中心部や多くの人が集まりそうな公園では厳重な取締りが行われている。
政府はこの措置によって39,000床を確保したが、政府の指令は非現実的な想定にもとづいていると批判されている。ハンガリーの人口はイタリア・ロバルディア州とほぼ同じの1,000万人である。感染が爆発したロンバルディ州の現在の感染者はおよそ33,000名、病院治療を要する患者がおよそ11,400名、人工呼吸器を要する重篤者がおよそ1,000名である。
現在、ハンガリーには2,000台の人工呼吸器の余剰があるが、政府の推計では感染最高時には7,000-8,000台が必要になるという。それにしたがって、政府は15,000台の人工呼吸器の発注を行った。すべて中国への発注である。マスク・防御服・人工呼吸器のすべてを中国に依存している。西欧各国から批判されている現政権の東方外交路線でもある。もっとも、医療関連商品の中国依存はハンガリーだけの問題ではないが。
国民に危機感を煽っている一方で、5月5日から始まる高校卒業国家試験の前日の5月4日には、感染者数の増大は天井を打つという政府予想が報道されている。政府に都合が良い予測を行って、国民管理を強めようという魂胆が見え隠れする。
感染予測数理モデルの問題
日本では西浦教授の数理予測が注目を浴びている。数理計量モデルを使った予測はあくまで量的な単純予測の域を超えない。数理モデルは依って立つ前提、基礎データ、推論ロジックから構成されている。前提やデータの取り方によって、結論は大きく異なる。だから、研究者によって推定値は異なる。だからどういう前提で、どのようなデータにもとづいているのか、推論のロジックが正しいのかを検証しないと、モデルの真偽は確定できない。
西浦教授は「なにもしなかった場合」と説明しているが、いったいそれが意味すること何なのか。同質的な社会で医療・保険制度がないたんなる人口密集地を想定したモデルなのだろうか。これではモデルを評価することはできない。たんに死者の数が一人歩きするだけである。
はっきり言えることは、このようなモデルではニューヨーク、ロンドン、パリ、ロンバルディアと東京、あるいは日本の比較は不可能である。なぜなら、それぞれの社会制度や社会習慣という社会の質の差異が考慮されないからである。日本の検査数が少ないから死者の数が少ないのではない。ニューヨークですら、実際の感染者は50倍と想定される。日本のそれは100倍かもしれない。実際の感染者数はどこでも不明である。他方、死者の数は隠蔽がなければ、事実の数字である。
だとすれば、ここで問題になるのは「どうして死者(重篤者)の数にこれほどの違いがあるのか」である。これはたんに数量的な話ではない。免疫学的にBCG接種の効果が議論されているが、それ以上に社会の民族構成、社会の人口(老齢者)構成、基礎疾患の蔓延状況、社会保険制度、医療サーヴィスの質やアクセスの容易さ、日常的な衛生管理、社会的衛生観念などに起因しているとしか考えられない。こういう問題を抜きにして、たんに患者の数や死者の数を比較するのはとても科学的とは言えない。各都市の感染状況比較にはそれぞれの社会状況に詳しい社会研究者の参加が不可欠である。医師や数理統計家だけではこのような分析に思いが及ばない。
アメリカのケースはかなりはっきりしている。死者の過半を占めるのは、ヒスパニック系とアフリカ系だと報告されている。基礎疾患を抱える社会層や医療へのアクセスが制約されている社会層の存在が死者の数に反映されている。明らかにこれはアメリカの社会保険制度、医療体制の問題である。そういう議論を抜きにして、「2週間後に東京は今のニューヨークやパリになる」と主張するのは間違いである。
ロンバルディア州の場合、老齢化した人口構成は指摘されるが、40万人とも言われる中国からの移民や出稼ぎ労働者の存在がどう関わっているのかについての報告がない。死者や感染者のなかで、中国系住民の占める割合がどの程度なのか、感染拡大の主要なルートはどこにあったのかについて、明瞭な事実報告が欠如している。そのような事実を公表することが、ロンバルディア州の経済政策に望ましくないということなのか。
ロンドンやパリの場合でも、それなりの社会的要因があるはずだ。それを分析して、事実を明らかにする必要がある。たんなる感染者拡大を指数関数で示すだけでは、感染究明にはならない。
それぞれの専門家がそれぞれの狭い専門領域の中でさまざまな結論を下すのではなく、広く社会研究者の参加を得て、全体的な構図を得ることが必要である。
戦略論の必要性
治療薬やワクチンがない状況だから、感染克服に時間がかかることは仕方がないが、実際のコロナ・ウィルスの致死率がきわめて低いのだから、国民全体に一律に自主隔離を求める方策は早急に解除すべきである。一律隔離ではなく、重篤者になる可能性のある人々に、徹底した自主隔離を求めるべきである。既往症がある人々、基礎疾患を抱える人々、とくに老齢者の徹底した自主隔離が必要である。他方で、社会活動の制約を徐々に解き、社会活動を活性化するべきである。
感染が確認されても無症状である場合は、原則として自宅での自主隔離にすべきである。軽症者も悪化の兆候がなければ自宅自主隔離とし、中等症や重症患者に医療資源を集中すべきである。
ウィルスを根絶することが不可能なのだから、一定程度の感染を許容しなければならない。実際の感染者が100倍あったとしても、死者の数が極めて限られている状況なのだから、感染防止だけに全力を注ぐやり方は間違っている。急激な感染増加は防がなければならないが、漸次的な増加を恐れる必要はない。人類はそうやって集団免疫を獲得してきたはずである。いたずらに恐怖を煽るのではなく、冷静に問題解決の方策を示すことが重要である。
したがって、無症状の人々にPCR検査をする必要はなく、他方で抗体検査を増やして、集団免疫の獲得状況をチェックすることが必要である。無差別抽出の抗体検査のほか、陽性から陰性になった患者の追跡的な抗体検査態勢を確立することが急務である。
感染者数の拡大に歯止めがかかったところで、徐々に社会活動の規制を緩め、重篤者の集中医療と抗体検査を進めながら、状況に応じた措置を講じるという戦略が必要である。
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