「封城」(ロックダウン)下の武漢の暮らし - 方方女史の『武漢日記』(5)
- 2020年 5月 8日
- 時代をみる
- 中国新型コロナウィルス武漢田畑光永
3月10日
天気は依然申し分なし。気持ちのいい早春の陽光。この季節に、がらんと人気のない東湖を想像する。梅はこの2,3日来の風雨で花が落ちてしまったろう。千本、万本の樹木はただ自らの楽しみのためだけに花を咲かせてこの季節を過ごしている。詩ならなんと詠おうか?花はみずから舞い落ち、水はみずから流れる。我が家の老犬は日がな閉じこもって、外へ出たがらず、どう追い立てても、庭にも出ようとせずに腹ばいのまま。私も同じ思い、出たくない。家でじっとしている。何人かの友と約束した。この病気がいなくなったら、きっとここで一休みして、春の光を眺めよう、と。でもこれまでと違って、自然はさっさと去っていった。今は外へ出たいという感覚もなくなった。何かの後遺症かもしれない。
医師の友人は引き続き感染の情況は好転したというニュースを言ってくる。新規の感染確認は20人以下に減った。0になる日も近い。死亡者数も医師たちの努力によって、大きく減った。どうか死亡0というニュースが早く届くように。
今日、湖北省疫情防控指揮部が通達を出した。全省は県ごとに地区を分け、時を分けて、秩序よく企業の業務を再開し、生産を再開するように、と。ということは、われわれはもうすぐ正常な生活に戻れるということか?
1人の友人(友達にはみんな姓も名もあるけれど、それを言わないのは「噴霧器」=色いろ言い立てる人間=連中が霧を吹いて良民に害を及ぼすのを防ぐためだ)が朝、1枚の写真を送ってきた。それは武漢中心病院甲乳外科の数十人のウイチャットの写真集で、亡くなった江学慶医師がいたグループである。江医師が亡くなったあの日、写真では全員が自分の顔を黒い蝋燭に置き換え、江医師1人だけ本人の顔が写っている。私は大変感動した。同僚の皆さんがここまで情けがあり、義があることを泉下の江医師が知ったなら、ずいぶんと慰めになることだろう。
昨日から今日にかけて中心病院の艾芬医師の名前もネット上にずいぶん流れた。ネット封鎖は人々の怒りを巻き起こしている。人々はリレーのバトンのように1つ消されれば、1つ増やす。バトンを手渡すようにいろいろな文字、各種の方式で、ネット管理当局が消しきれないようにしている。消されれば発信し、それをまた消すという過程の中で文章を残すことは、人々の心中で一種の神聖な職務と化した。この神聖という感覚は一種の潜在意識における覚悟、これを守ることが、すなわち自分を守ること、という覚悟から生まれたものだ。事ここに至っても、ネット管理者よ、まだ消そうとするか?
ネット管理部門のこういうやり方は私には理解できない。彼らが私の文章を消す。一回、また一回。推測するに、極左の見張り役が告げ口をすると、彼らは「安定維持のため」せっせと消して、任務完了だ。こういう心理は私にもある。つまらない人間が騒いでいても、見なかったことにして終わりにしてしまう。しかし、『人物』という雑誌が艾芬医師について書いた文章を、彼らが消したのはなぜなのか?何か事の真相を暴かれたからか?なら、その真相とはなんなのか?文章が言う武漢中心病院のことは、まさにわれわれも聞きたいことだ。いったい誰が、どこで、なにが原因で、病気のことを20日間もほっておいたのか?ネット管理の人間は知りたくないのか?疫病の初発から蔓延までの間の事情を明らかににしなければ、武漢ばかりか全国の人々はこの苦しい道を乗り越えることはできない。
ネット管理の人たちはなにがなんだかわからずに文章を削除しているわけではないと思う。必ずどこからか「消せ」という指示が来たはずだ。だから、誰が削除を要求したのか?武漢の役所?あるいは湖北省の役所?あるいは・・・。私には分からない。想像もできない。
去年の12月に病気が出現した後、これまでの過程で多くの道理に悖ること、多くの規則違反、多くの答えようもないことが起きた。これらについては最近になって、いろんな記者たちの調査から、1つづつ見えてきた。細かいことは多すぎて何とも言いようがないほどだ。役人にしろ、専門家にしろ、誤魔化し、汚職、うっかりミス、責任逃れとさまざまだが、事ここに至れば皆同じく犯罪だ。厳罰に処して戒めとしなければならない。だから私は役所が責任者を簡単に放免したり、微罪で済ますとは思わない。責任を追及しなければ、その結果、もっとも損害を受けるのはつまるところ国家自身だからだ。失なわれるのは政府の信用であり、民心が傷つくのは言うまでもない。
今後も様々な災難が続くだろう。何かをしなかった、あるいはやり方が悪かったなどは、まったく関係ない。誰もが自分には責任がない、となれば、国がそれをかぶることになる。だれもが知っている一句を引こうーこれより永く国は国たらず。
今日、わざわざ出かけて、関係条令を調べた。その中の1つは「党政指導幹部の辞職暫定条令」。何年に制定され、その後、修正されたかどうかも知らないのだが、まずここに少し引用してみる。
規定の第4章は「引責辞職」。その第14条はこうである。「党政指導幹部に職務上重大な失策、失当行為があり、重大な結果あるいは悪影響を生んだ場合、あるいは重大事故に重要な責任があるものは、再度、現職を担当することは不適当であるので、本人は引責辞職して現任の指導職務から去るべきである。
第15条はさらに具体的である。1、業務の失当によって重大な大衆的事件を引き起こし、あるいは大衆的、突発的事件の処置が不適当で、重大な影響あるいは悪影響をもたらしたことに主要な指導責任を負うものは引責辞職すべきである。2、政策決定に重要な失策があり、大きな経済損失あるいは悪影響をもたらし、主要な指導責任を負うものは引責辞職すべきである。3、災害に抵抗する、災害から救う、感染病を予防する面で重大な損失と悪影響を残し、主要な指導責任を負うものは引責辞職すべきである。4、安全面で重大な失策があり、連続して、あるいは多数回にわたって、重大な責任事故を起こし、主要な指導責任を負うものは引責辞職すべきである。5、市場監督、環境保護、社会管理などの面での管理、監督に重大な失策があり、連続あるいは多数回にわたって重大な事故、重大案件を起こし、大きな損失あるいは悪影響を発生させた主要な責任を負うものは引責辞職すべきである。6、「党政指導幹部選抜任用工作条令」の執行に力をつくさず、人の使い方に重大な失策、誤りがあって、悪影響を生み、主要な指導責任を負うものは引責辞職すべきである。7、管理監督に手落ちがあり、同僚あるいは部下に連続して、あるいはしばしば、重大な規律違反、法律違反が発生して悪影響を生み、その主要な指導責任を負うものは引責辞職すべきである。8、配偶者、子女、身辺工作人員に重大な規律違反、法律違反があって、その主要な指導責任を負うものは引責辞職すべきである。9、その他引責辞職すべき事情のあるもの。 上記の規定をここに記録する。
非常に明らかなように、引責辞職は正常な社会の運営に必須なものである。上の9条に照らしてみて、湖北省と武漢市において、誰が引責辞職すべきなのか?関係者それぞれが自分と照合することを提案する。各条項は自分と関係ないか否か。もし役人にその自覚がなければ、みんなで催促状を出そう。そこまで行っても、たいして意味はないかもしれない。しかし、以後、お役人は上の席に着いた時に、まず引責について知り、つぎに辞職を勉強するだろう。それでも恐れることを知らず、面の皮を突っ張って悪事を働くなら、人民はそんな奴に遠慮することはないのだ。
ここまで書いた時に、友人が「南方週末」記者の調査報道を送ってくれた。タイトルは「四人殉死、四人瀕死―武漢中心病院の『もっとも暗黒な時刻』」。冒頭にこうあるー中心病院では今現在、四人の医師が瀕死の状態にある。第一線の楊帆医師が言うには、この四人は呼吸器不全ほか多器官関不全。加えて各種のよくない症状を併発している。「ある人は完全に外部の医療手段に支えられて生命を維持している」。その人たちは副院長の王萍、倫理委員会の劉励、胸部外科副主任医師の易凡、泌尿器外科副主任の胡衛峰の各氏。嗚呼、悲哀を深く感じる。この状況において、中心病院の書記と院長は心安らかに彼らの地位に座っていられるのか?本気で叫びたい、どうか先頭を切って引責辞職してほしい?!(続)
訳者注:今回は筆者が武漢の病院の首脳に大きな怒りを感じ、引責辞職を求める気持ちがテーマである。筆者は「党政指導幹部の辞職暫定条令」を長く引用している。この文章は私も初めて目にしたのだが、引用の目的はおそらくこの条例が現実にはさっぱり守られていないことを読者に確認させるためであろう。
同時に現在の中国のきびしい言論情況では、行政に対するささいなクレームまでが「国家政権転覆陰謀罪」といったおどろおどろしい罪名に問われる危険があるので、みずからの主張の正当性、すくなくとも合法性の証しとする意図もあったのではないかと推測する。こういう書き方を見ると、日記といえども筆者は強い緊張感をもって細心の注意を払いながら書いていることがうかがわれる。
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