「封城」(ロックダウン)下の武漢の暮らし - 方方女史の『武漢日記』(6)
- 2020年 5月 11日
- 時代をみる
- 中国新型コロナウィルス武漢田畑光永
3月12日
太陽は沈んだが、空は明るい。春の感覚はまだ濃厚に残っている。まず数人の友達が一冊の冊子を送ってきた一件を書く。タイトルは「ネットにおける方方へのこのような攻撃を貴方はどう見る?」
そこには200篇以上の私を攻撃する悪意の文章が集めてある。私には何とも言いようがない。こういう人たちは悪意満々、一筋の善意もない。少なくとも毀誉褒貶は半々にすべきではないのかしら。この冊子を出したのは「今日の湖北網」。発行元は湖北省新聞工作者協会。ということは、これはお役所のネット?私が責任追及の声を何回か上げたから、あるいは「引責辞職」を求めたから、そのお返しがこれ?
もう一件はもっと奇怪だ。突然、鳴り物入りで私が攻撃の的になったのだ。その中味は、私が特権を利用して交通警官に私の姪を武漢から送り出させ、シンガポールに行かせたというのである。いくつかの公共出版物がもっともらしい文章を載せている。しかし、見たところ、私を攻撃する人たちは全く何の材料も見つけられなかったようだ。
私の姪がシンガポールへ行ったのはじつはもう10数年も前のことだ。もともとシンガポールの華僑で、乗って行った飛行機は中国とシンガポール両国の話し合いでシンガポール側が華僑の迎えに出した便だった。やっぱり春節の時で、私の印象では午前1時離陸の予定だった(記憶が不確かなのだが、午前3時だったかもしれない。いずれにしろ深夜だった)。
兄嫁は70歳を越えていて、運転はできない。そしてその日にちょうど自家用車の走行禁止令が出た。私は規則は守るので、問い合わせに行った。率直に言って、私は武漢に60年以上も暮らしているので、警察には確かに知り合いも多い。団体の同僚の家族にも警察の人間はいる。警察署の文章教室に呼ばれて行ったこともある。昔、武漢市の警察で何かの会議があって、呼ばれて行ったこともある。警察の小説もいくつか書いた。彼らからたくさん材料をもらった。だからよく知っている人がいても当然だろう。
私は旧知の人に急な困りごとの助けを求めた。実際、別に道理に合わないというわけではないはずだ。警官の肖さんほか何人かは、その前年に我が家に来たことがある。問い合わせたところ、肖さんはお休みとのこと、ちょうどいい。彼に助けてもらおうとメールを打った。彼はすぐ引き受けてくれた。肖さんは輔警(警官の階級)であるが、私はずっと彼のことを肖警官と呼んでいる。警察系統には輔警の人はとても多い。私は礼儀として、彼らをみなそう呼んでいる。普通のことではないかしら。
その日は旧暦正月の5日だったと思う(本当に記憶がはっきりしない)。メールはまだ多分残っているはずだから、関係機関は調べたければ、チェックしたらいい。これを「特権を利用して」というのだろうか。
そうなら、特権とは何なの?
今日の昼間は、ブログでこの問題を片づけるのにあてた。警察のお偉方が事情も分からず、本気で肖警官を処分するのではないかと心配だったから、特に説明したのだ。ブログの舞台は裁判所ではない。貴方たちが質問して、それに私は答えなければならないというわけではない。作家は警察に友人がいてもいいはずだ。その警官は勤務時間外に友人を助けても、それは人情の常ではないか。テレビドラマにもこんな話はよくあるはずだ。こんなことで大騒ぎするのは全くお笑いだ。
ついでに常識に欠ける人たち(告発者を含む)に私の情況を説明しておこう。毎回、何か言うたびに間違えることのないように。
1、私は今年65歳。すでに引退。病気もいろいろ。去年の春節前後はずっと病院で椎間板ヘルニアの治療を続け、年末にようやく楽になった。私の病歴は私の所属単位の同僚が全部証明できる。去年の前半は歩くのも大変だったから、家を出て、当番の仕事をすることもまったくできなかった。それに年齢から言っても、当番の仕事をするのも無理。万一、転んで腰を打ったら、それこそ政府にご迷惑をかけることになる。
2、私は庁長級の幹部ではない!私は庁長級の幹部ではない!私は庁長級の幹部ではない!重要なことは3度言う。私は公務員でさえない。だから私には位階もない。だから口を開けば「庁長級幹部」と言ってくれる人たちを失望させることになる。退職後の私は普通の一市民である。当然、共産党員でもない。一貫して民衆の1人である。湖北省作家協会の主席になったが、体制を知っている人は分かっているが、私のような主席は実務を扱わない。省作家協会のあらゆる事務は党組織が決定する。しかし、いくつかの本職の活動については、私も協会のために世話を焼き、助けたつもりだ。
3、私の職称は「1992年正高」で資格「老」、多くの人と比べて、給料は高くもなく、といって低くもなく、生活には足りる。現在は社会保険の退職年金をもらっている。省作家協会は退職老作家の面倒をよく見てくれる。私の印象では徐遅(詩人1914-1996)、碧野(作家1916-2008)といった人たちあたりからこうなって、その伝統が現在に至っている。だから、引退後も作家協会はほかの人たちと同様に私の面倒も見てくれる。同業者もよくしてくれる。彼らの多くが成長するところを私は見てきた。会えばいつも和やかだ。私と一般の人とは確かに多少違う。私は今でも職業作家であり、100冊以上を出版している。多くの人たちが読んでくれて、とくに湖北人と武漢人は私を尊重してくれる。知名度のおかげで恩恵にあずかることも事実だ。レストランでは店長が料理を一品サービスしてくれたり、タクシーの運転手さんが降りるのを手伝ってくれたり、料金を受け取らなかったこともあった。私はいつも感動する。
4、極左分子はずっと私のアラを探し続け、私のブログはおおむね彼らにめちゃめちゃにされる。そして何度も私を告発したと思う。しかし、私自身は告発されるようなことをした覚えはない。実のところ、私はこれまで人に告発されることは恐れなかった。告発されないことのほうを恐れた。告発されないということは、人がデマを信じてしまう可能性があるからだ。いったん告発されれば、私に有利なことをすべて明らかにすることができる。正直なところ、規律検査委員会の人たちは私のような人間こそ規律検査委員会の仕事に向いていると感じているのではないか。廉潔で、規則を守り、恐れず事実に基づいて話をするのだから。
5、今日の私に対する攻撃は大変な勢いで、かつとても怪しげだった。突然、あんなに大勢が同じテーマ、同じ言葉で、同じポスターで、同時に私に攻撃を仕掛けてきた。あ、それから公開の告発も。皆で申し合わせていると感じる。昨夜、会議が開かれて時間を合わせて集団行動に出ると決めたようだ。
面白いではないか。誰が首謀者か?(自発的にこんな集団行動が起きるなどありえないことは馬鹿でも分かる!)。誰が火を点け、誰が煽って回ったのか、よく考えれば恐ろしいことだ。こういうオルガナイザーがある日、仲間を扇動して立ち上がり、破壊活動を始めれば、私の日記などより1万倍も危ないだろう。この組織とその仲間たちはこれほどの糾合力と行動力をもって、誰かを攻撃すると決めれば一斉に自分たちと考え方の違う個人に襲いかかる(聞くところでは、2人の教授が私を援護する話をしたそうだが、彼らのブログは朝までに炎上し、彼らは役所に告発されたそうだ。(この連中は言葉がちょっと食い違っただけで、号令一下、集団で個人を取り囲んで悪罵を浴びせる。テロ組織とどこが違うのか)。役所はあの連中こそ警戒すべきだと気が付きそうなものなのだ。彼らが役所を巻き込んだ回数も相当な数に上るだろうに。
6、ウイルス感染区に封じられた物書きが家にこもって感じたことを書いている。ほめる人はほめ、批判する人は批判する。自然なことだ。そう、じつは私はみんながなぜ私の日記を読もうとするのか分からなかった。ところが2日前、1人の読者が、方方の日記は悶々としている自分たちの呼吸弁だと書いているのを見た。私の胸は形容のしようがないほど感動した。私が自分を励まして呼吸しているのが、ほかの人の呼吸も助けているのだ。大勢の読者がいて、私を励ます文字をたくさん読ませてくれるので、私もこれを続けられる。こうした読者は私の封城生活における最大のぬくもりである。
7、しかし、私にはもっと分からないことがある。こんな過激でもない日記がなぜあれほど大勢に悪罵の包囲攻撃を受けるのか。いつごろ始まったのか?誰が悪罵をけしかけたのか?どんな連中が多いのか?目的は何なのだ?どんな価値観を持っているのか?さらに言えば、彼らの学歴、成長の背景は何なのか?仕事は何をしているのか?ネットには記憶があるから、誰か調べてくれれば真相がはっきりするかもしれない。研究に十分値する。私もすごく知りたい。
8、惜しむらくはあの大勢の若者たちだ。極左分子を人生の導き手とした時から、彼らは暗黒の深淵でもがき続けることになるのだ。
ウイルス感染のほうは引き続きいい方向だ。新しく確認された患者は2桁以下に下がった。多くの地区では0になった。この数字に皆喜んだ。今日は本来なら気分最悪の1日というところだが、病気についてはいいニュースだから、五分五分ということにしようか。
(続)
訳者注:この日、日記の筆者はさんざんな目に遭っている。直接の原因は前日に引責辞職についての規定をがっちり引用して、湖北省、武漢市の幹部に辞職を迫ったことにあるのは明白だが、まるで文化大革命の再来を思わせるような状況が再現されたらしいことに驚いた。と同時に、「中国では共産党の大方針に反対するより、幹部の個人名を挙げて批判するほうがはるかに危険なのだ。地位や出世に影響するようなことを言われた幹部は必死に発言者を追い詰めて、報復する」と、昔、中国人の友人から聞かされた警告を思い出した。
普通の市民はそうなったら、自分を守る手立てがないから、個人では言いたいことも言わないでいるわけで、作家、前湖北省作家協会主席の肩書を持つ筆者の日記が人気を呼んだのは、多くの市民の胸中を代弁しているからであろう。
それから今日の自己紹介の部分の3にある「私の職称は『1992正高』」というのを説明しておくと、中国の役所や団体の幹部職員には局長とか主任とかの「職務」と、専門技術の分野では「工程師」(技師)とか「農芸師」「教授」とかに与えられる「職称」の2種類の地位がある。筆者の「1992正高」という職称は、数字の1992が私の推測ではこの年から作家協会に参加したことを示し、「正高」は職称の階級の最上級にあたる「高級の正」を示している。その下に「副高」(高級の副)、「中級」、「初級」(これにも「員級」と「助理」の2種がある)の4つの区分がある。次の「資格は『老』」というのはすでに退職して老齢年金の受給者であることを示していると思われる。
なんでこれを説明したかというと、実はその前の2の「私のような主席は実務を扱わない。省作家協会のあらゆる事務は党組織が決定する」という部分に注目していただきたいからである。中国は中国共産党の独裁政権のもとにあることは知られているが、作家協会のような生産とか行政とかの分野でない、いわば「個人的才能の集まり」であっても、モノを決めるのは「党組織」なのだ。職称がいくら最高位であろうとも、実務上の決定権は党にあり、非党員の筆者は外向きの看板に過ぎなかったわけである。(200504)
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