テント日誌5月8日
- 2020年 5月 11日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
憲法記念日でいつも考えること 5月3日(祝)
いつも思うのだけれど、憲法記念日って変な扱いだと。政府は呪われた日のように、この日には憲法改正のための集会を開く。憲法記念日を祝う部分もいるわけだけど、もう一つ熱がない。一般的には多くの休日に挟まれた休日の一日位しか思われていない。5月5日の子供の日と比べてみるとそれはよく分かる。憲法よ!お前が憲法らしく祝されるにはあと百歩だと言ってみたくなる。あと一歩であればいいのにね、という溜息交じりでだが。そんな憲法記念日だが、今年は本集会が中止され、国会正門前でのネット配信を主とするものに切り替えられた。僕も顔を出したが、迫力の感じられないものだった。
僕は憲法については長年にわたって考えてきたけれど、いつも念頭を去らないのは「憲法」がどうして身体感覚とフットしないのか、別の言葉で言えば、実存的なものとならないのだろうか、ということだった。どくか余所行きの着物という感覚がついてまわるのである。確かに憲法は和装ではなく洋装である。近代において移入されたものである。けれども、僕らは洋装を余所行きの着物ではなく、身についたものとしている、憲法は条文(成文)ではなく、憲法精神であると言われる。この憲法精神、つまりは魂が欠落と言わなければ、薄いのではないか。憲法精神とは自由であり、主権、また、国民主権ンと呼ばれるものであり、突き詰めていえば「私を生きる」というような主体的な意識である。この意識は行動様式になるエトスとよばれるものでもある。これは言葉としては理解しゃいすいのだが、もう一つピンとこない。そこでこれをわかりやすくする対極的な言葉はないかと考えてきた。それは「自発的隷属」ではないか、と思う。「わたしを生きる」というのは、権威などに隷属しないで自分で考え、判断し、行動するということである。この主権は自己決定ということになるが、それが日本人の民族的心性(伝統)には対極にあり、それと抗ってナショナルなものにしなければならないものである。それは敗北する側にあり続けるほかなかったものではないのか。この主権といのが当たり前の身についてものにならない。僕は憲法という言葉が余所行きの着物ごとく感じられる理由をそんなところに考えてきた。
この問題は歴史的なものであり、天皇や天皇制のことを考えことに重なって行く。天皇,天皇制についてのとらえ方はいろいろとあるが、僕はここで国体ということを提示してみたい。国体というのは今では死語にちかいのであるが、かつては天皇統治、天皇主権ということであり、明治以降、敗戦までを貫いた国家原理だった。この場合の天皇統治、天皇主権とは何だったのか。これは難しい問題だったが、天皇という権威が統治の根拠をなすということである。そこに臣民(大衆)が自発的隷属するという構造だったように思う。天皇の権威に隷属するという関係において、統治が成り立つという構造である。実際は天皇のなによる官僚(代弁者が)が、隷属させる、隷属しないものを暴力的に服従させるということを含むものである。共同の意志、つまりは国家意志を天皇の意志とし、それに人々の意志を隷属させるというものだった。これに対して、国民(地域住民・市民)の、つまりは諸個人の意志が自立的にあり、その集合が共同意志をなす、国家意志をなすというのが、国民主権である。この主権ということは戦前の国体下では登場しようがなかった。形態としては天皇機関説(憲政)とファシズム(農本ファシズム)が擬制的な形で主権ということに近づいた。天鳳主権に対する制約としてだが、これらはいずれも主権(国民主権)という考えは持っていなくて、精々のところ国家主権論(国家を構成する機関、支配共同体に主権があるという考え)だった。美濃部達吉や北一輝は代表的な思想家だった。主権、国民主権といのが現れるのは戦後である。
敗戦を契機に日本の国体は変った。こういう議論が出始めたのも戦後だった。
少なくとも名目的には、憲法に記されたように国民主権国家になったからである。だが、実際はどうか。官僚の存在をみてみると、それは天皇統治(国体)下の官僚(実質的な権力)は変らぬままではないか。権威と自発的隷属という関係は続いているのではないか。天皇(統治主体)と臣民という関係は、象徴と国民という関係は変ったが、権威と隷属という関係は変らずあるのではないか。この構造にある官僚(統治代行機関)と国民は変らないのではないか。そういう疑問を抱かされる。そうは言っても天皇主権は天皇の統治主体から象徴への移行で変わったのではないかという疑問もある。そこは僕も随分考えてきたが、その場合は天皇主権から国家主権論に変わったと考えるのが妥当かと思う。主権。国民主権が不在であり、擬制的にしか存在してないのではないのか。そこはかわらないというべきである。
官僚は国民の自発的隷属の上の機構としてある。危機下では直接に政府などが出てくるが、国民の自発的の判断に基づく意思が登場し、それが政治を決めていくようにはなっていない。主権、あるいは主権に基づく行動が政治を決めて行くというようにはなっていない。憲法上では国民主権は明記されたが、主権や主権に基づく行動はナショナルのものになっていないのではないか。憲法が余所行きの着物というのは憲法精神である主権が身体についたものとしてないことを示しているのではないか。新型コロナウイルスの流行とそれによる非常事態宣言の中で、僕らがどう考え、どう行動するかにも、ここでいう主権の問題は出てくる。自分の主体的な判断とそれに基づく行動ということはどうなっているか。ことは明瞭ではないのだろうか。僕は憲法記念日にはいつもこういうことを考えるのだが、新型コロナ騒ぎの今年もまた、同じことを思った。(三上治)
連休の中日なのに賑やか 5月4日(月)
きょうは朝から雨模様で心配していたが11時頃には雨も上がり、経産省前に出掛ける時には晴れていて太陽が燦々と輝いていた。きょうの経産省前は連休中の中日ということもあり通りかかる人は何時もにも増して少なかった。殆んど我々だけなので何時ものように反原発CDをボリューム全開にして掛け続けました。
きょうは私が私用で早くに経産省前を離れなければならなかったので相棒のSさんと川柳のRさんにお任せした。私が帰るまでに多くの人が来てくれ総計10人ほど。何時もなら5~6人なのに。来る人が少ないだろうと考えて皆さん来てくれたものと思います。皆さんに感謝です。
何時もなら3時に終わるのですが毎月第一(月)だけ相棒のSさんとの話し合いを楽しみにしている元大学教授さんが4時に来るので、天気は良くて明るいし暖かくて座り込みには最適なので彼が来るのを待つことにした。レジェンド・Sさん御一行とすれ違うように4時少し前に元大学教授さんが来られたので待っていて良かったと思いました。最後に。練馬のTaさんが色々の小冊子を持ってきてくれました。断捨離中ということらしいですが沖縄・福島関係の物など興味あるものがあるのであとでゆっくり読んで見たいと思います。 (保)
予報に反して好天だったのはよかった 5月5日(火)
朝の天気予報では、15時頃に雨が降るとの予報が出でいたので、一応雨の準備はして行きましたがこれがまた、安倍政権のようなデタラメで、撤収するまで夏のような暑さ何と温度は27℃であった。
座り込みは5人でスタートしましたが徐々に増えてピーク時には9人、のべ11人が座り込みました。通行人は、昨日の日誌にもありましたが、本当にパラパラでしたが、それでも若い男性がカンパをしてくれました(感謝)
目の前のケヤキの木の枝にも、葉が出できて一週間前とはかなり様相が変わって来ました。(Y・R)
久しぶりに電車の席は埋まっていた 5月7日(木)
座り込みに行くため10時頃に乗った電車(都営三田線)は、何十日ぶりだろうか座席が全て埋まり、立っている人もチラホラいましたが、それも内幸町駅で降りる時には、座席の半分位は空席になってしまいました。
セッテングが始まると直ぐに二人ずれの青年が通りがかり、元気な声で頑張ってくださいと言いながらカンパをしてくれました。
13時30分頃に衆議院第二議員会館前で行われた、共謀罪廃案を求める集会に参加された2名が立ち寄って下さり座り込みに参加されました、前半は5名位でしたが後半は入れ替わり立ち代わり来て下さり12名になりました。その中には座り込みの準レギュラーOさんも久しぶりに見えられ、テントの様子が心配で来ましたが、いつもと変わった様子もなく安心しましたと言っておりました。撤収間際には、自転車でたまたま通りがかった中年の男性が降りて来てカンパをして下さり、一頻り新型コロナウイルスに対する、安倍政権の失政と安倍による人災を糾弾する話で盛り上がり、撤収時間がかなりオーバーしました。(Y・R)
原発推進政策も新型コロナ愚策も終わらせよう! 5月8日(金)
暖かい日差しを浴びながら15時から経産省抗議行動に約30名。厳しいアピール毎にWさんが感染防止アルコール消毒。
◆ 経産省が関電原子力マネー還流問題について、全電力会社から「関西電力株式会社以外の電力各社から追加的な報告徴収命令に対する回答を受領」、何もなかったと茶番発表。
◆ 資源エネルギー庁がトリチウム等放射能汚染水のパブコメ中。皆で一言でも意見を出そう
パブコメ:多核種除去設備等処理水の取扱いに関する書面での意見募集。提出用紙を配付
https://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=620220008&Mode=0
◆ 新型コロナ緊急経済対策、アホノマスク、アホノウィルス、…批判。
◆ 被曝労働者を守れ、忘れるな。「被ばく労働を考えるネットワーク」から裁判報告、書籍紹介「ふくしま原発作業員日誌イチエフの真実、9年間の記録」(片山夏子著、朝日新聞出版)。
◆ 安倍政権の愚策をすぐに止めよう。官憲の弾圧被害があまりにひどい。
◆ 経産省はいつまで私たちに訴えさせるのか? もういい加減に脱原発に舵を切れ。
◆ 内閣府発表:津波29m、この日本列島で原発稼働はナンセンス
◆ 5.11「桜を見る会」糾弾行動は首相官邸に抗議文送付で。
片付け時も安倍新型コロナ対策批判が続いた。 (K.M)
偶然、マスクを買えた。これにひきかえアベノマスクは… 5月9日(土)
地元の駅に今年も燕がやってきた。しばし愛くるしい姿に見とれてしまった。座り込みに行く前なのでゆっくりできなかったが。
七日には池袋駅のお気に入りのカフェ&バーがひと月ぶりに店を再開した。久々に「蛸とドライトマトのマリネ」を賞味できた。以前より客はかなり少ないが若い店員さんの表情は明るかった。
事務所から経産省にいく途中に猫がいる。大きな茶虎の飼い猫でえらく貫禄がある。そこを通るときKさんとUさんは今日はいないかと探す。会えたときは二人とも満足そうにみえた。
今日は曇り。暑くも寒くもなく風も穏やか。カフェラテのような雲の下でケヤキの新緑が輝いていた。
〇本当に遅い、しかもやる意味がもともとない。
偶然マスクを買えた。それも並ばずにである。一箱50枚で2500円のサージカルマスクだった。相変わらす一人一点だったがそのスーパーマーケットには大量に置いてあった。
466億かけてまだ4%しか配布していないアベノマスク。莫大な国税を使った一発ギャグは全世界を笑わせたが、アベノマスクの時代は終わった。 (O・O)
山村貴輝さんの事(訃報)
皆様へ ご存じの方もあるかもしれませんが、 フェイスブックで以下の書き込みを見つけました。 びっくりでした。 乾喜美子
山村貴輝の弟 雅康です。
兄・山村貴輝が去る4月25日(土)に急逝いたしました。 死因は虚血性心疾患と診断され、前日までの本人の行動や様子などから、新型コロナウイルス感染症によるものではない、という医師の見立てでした。
…
あまりに突然のことでいまだに信じられません。 時節柄、親族だけで直葬にて送りました。 誠に勝手ながら諸々のお心遣いはご辞退させて頂きます。
長年に渡る皆さま方のご厚情に心よりお礼申し上げます。
この投稿にコメントを頂戴してもお返事できないことをどうかお許しください。 また、このFBページは2020年5月31日をもって閉鎖いたします。
山村雅康
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5月13日(水)「第80回東電本店抗議」18時30分~
場所:東電本店前 18時30分~ たんぽぽ舎など137団体呼びかけ
15日(金)経産省前抗議集会
時間:15時~16時 主催:テントひろば(時間変更に注意を)
5月19日(火)安倍改憲NO!5・19議員会館前行動
18時30分 衆院第二議院会館前 総がかり行動
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