ニッポンは大丈夫か? <ウィルスとたたかい共に生きる社会>
- 2020年 5月 13日
- 評論・紹介・意見
- 小原 紘憲法新型コロナウィルス
韓国通信NO637
ベランダの窓から見えるいつも見慣れた景色、薫る若葉の向こうに見える太陽と青空が眩しい。
微かに木の葉が揺れる。
不思議な静けさ。子どもたちの姿はない。
緊急事態宣言が延長される。常磐線にカラの電車が走る。街から人が消えた。
遠くに救急車の音が聞こえる。その先にある病院の医者と看護師たちの姿。職を失った人たちの悲鳴。在宅勤務を命じられ、失業に怯える人たちのため息も聞こえそうだ。
すべてはオリンピックから始まった。醜い打算と政治利用の塊りがコロナによって砕かれた。どの国もコロナに怯えるが、日本の政治指導者たちの混迷ぶりはどうだ。PCR検査をさぼった理由がいまだにわからない。ドンドンお札を印刷してばらまくという安易さ。医療崩壊をひとのせいにする。コロナ以前に医療は崩壊していた。それに気づいた人たちは怒り、政治不信を募らせる。
平和を享受し生活の利便さと消費を追い続けてきた私たち。反省するチャンスだった福島原発事故から何を学んだ。相変わらず命より金儲けが優先され、コロナウイルスの追い打ちにオロオロするばかり。奢れる人類への警告を無視してきた。
権力者とそれに群がる人たちこそ悪性のコロナウイルスではないのか。私たちが育てたウイルスの悪口を言っても解決しない。悪性ウイルスと決別することが大切だ。彼らの周囲には「ああだこうだ」と忖度する連中は多いが、難しいことではない。育てなければいい。育てることをやめて有害悪性なウイルスを追い出すには自粛(がまん)しないことだ。
自粛はストレスを生み、人の免疫力を下げる。大きな声で悪性ウイルスにサヨウナラを告げよう。
<言いたいことが多すぎる>
コロナ対策の遅れと杜撰さはオリンピックに浮かれた精神的な後遺症から生まれた。信用に値しない政府が集めた専門家会議に対する不信感。官邸主導が混乱を生んだ。国際協力が必要と言いながら中国や韓国の教訓を無視した。アジア蔑視の政権体質がこんなところにも見えてくる。突然の学校閉鎖、緊急事態宣言から今日まで、言うべき言葉があり過ぎて言葉もない。ベッドが、マスクが、医療器具が、スタッフが足りない。どれも長期政権が生んだ負の遺産である。
<私の憲法記念日>
5月3日は74年目の憲法記念日。駅頭デモンストレーション用にオリジナル看板を作った(写真)。
タイトルは憲法記念日にふさわしく「憲法アピール」とした。コロナという文字こそないが、トランプ大統領から購入を求められている不急不要のステルス戦闘機F35のカネを国民の生活に使えという主張である。憲法の平和主義と第25条の健康で文化的な最低限度の生活を政府に求めた。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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〔opinion9743:200513〕
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