日本は本当に第一波を抑え込んだのか?[パンデミックの政治 7]
- 2020年 5月 16日
- 時代をみる
- アベパンデミック加藤哲郎新型コロナウィルス
2020.5.15 ようやく先進国のパンデミック「第一波」は、ピークを越えたようです。しかし、インド、ロシア、イランなど中近東、ブラジル等中南米で、急速な感染爆発が続いています。アフリカでも広がっていますが、十分な検査さえできず、感染状況は不確かです。早期に第一波を抑え込んだ中国や韓国では、外出規制を緩めた途端に、第二波の兆しです。世界的には5月14日現在で、188ヵ国(215国・地域という統計もあります、要するに、南極を除く全地球です)、感染確認者440万人、死者30万人です。アメリカ、イギリス、イタリア、ドイツなどでも、ロックダウンで感染の勢いが弱まったとして、徐々にですが外出禁止を緩め、経済の再建に動き始めました。「コロナ前(BC)」でも、「コロナ後(AC)」でもなく、コロナとの共生=「with corona」(WC?)の模索の始まりです。 死者は、あくまでPCR検査による感染確認者中の認定死者数で、今後、例年同期に比べて異常な「超過死亡」数が、各国統計に加わるでしょう。
感染確認者が500万人近くとなり、このCOVID-19パンデミックが、国際的には経済力が弱く医療体制も貧困な途上国や後進地域、社会的には国内の貧困層や社会的弱者に、しわよせがゆくことが見えてきました。例えばシンガポールは、当初は台湾や韓国と同じ「東アジア型」の抑えこみができたと見られていましたが、4月下旬から100万人の外国人労働者、特に建設労働者30万人の中で感染爆発がおきました。建設現場の集団生活の中での感染ですから、一日4万人のPCR検査で食い止めようとしていますが困難をかかえ、たちまち「東南アジアで最悪」になりました。世界一の感染国のそのまた中心、ニューヨーク市では、「人口(860万人)は白人が32%と一番多く、次にヒスパニック系29%、黒人22%、アジア系14%だが、死者はヒスパニック系が34%と一番多く、次に黒人28%、白人が27%、アジア系7%という統計結果」でした。明らかに感染被害の人種的偏りがあります。日本の第一波は、入り口のPCR検査数が少なく、まだ感染度について国際比較可能な段階にありませんが、中途半端な緊急事態宣言とその自粛要請・緩和のなかで、在宅勤務・テレワークが可能で仕事も確保できる大企業正社員労働者と、仕事やアルバイトを失い、明日の食事や家賃で困窮する不安定労働者・学生・シングルマザー、補償もほとんどなく倒産寸前の中小零細企業・個人事業者などの苦境に、経済格差がクリアーに表れています。 一斉休校からの授業再開では、自宅自粛中のこどもたちのIT環境の違いが、学力や学習進度の違いにつながらないか、危惧されます。
世界各国で、第一波の大波がややおだやかになった段階で、今年1月から5月までの、より正確には、中国・武漢でヒト−ヒト感染が現れた昨年末から半年間の、中間的総括が出てきています。学術的には、米中のホットな情報戦の論点である発生源の問題、特に武漢ウィルス研究所からの流出説の問題があります。ウィルスの遺伝子配列も、初期の中国での蔓延と、欧米での感染爆発ではやや異なり、欧米の方が感染力が強まっているといわれます。外出禁止と感染抑制に有意の相関はなく、休校措置に比べて都市封鎖=ロックダウンの効果は限定的だったという研究も現れています。当初日本で一部の「専門家」の唱えていた「普通のインフルエンザ程度」「子供は大丈夫」などというのは、誤りでした。感染経路・感染力や症状についてもケースが増えて、多数の臨床データ・論文が出ています。これが、これからの治療薬・ワクチン製造の競争につながります。ここでも日本は、クラスター対策にせいいっぱいで、まともな感染状況のデータを出せず、PCR検査もまともにできない、感染医療後進国であることを世界に示してしまいました。緊急事態宣言の発動と解除の基準さえあいまいで、ひたすら国民に苦難を強いながら、医療体制の再構築さえ十分にできませんでした。PCR検査の不足と、検査を受けられる「目安」の変更を、国民や現場医療従事者の「誤解」のせいにした厚生労働大臣の厚顔無恥な発言が、今後の見通しにも暗雲を投げかけます。究極の「自己責任論」です。
パンデミックの中で、危機における政治のリーダーシップも問われました。ほとんどの国で、感染症に対して国民の結束をよびかけ、リーダーの政治的評価はあがっているのに、感染確認者数・死者数とも相対的に少ない日本が、なぜか最大感染国アメリカと共に、最下位です。経営者向けの雑誌『プレシデント』オンライン4月17日に「日本の安倍政権だけが「コロナ危機で支持率低下」という残念さーーそんな先進国はほかにない」という記事が出ましたが、世論調査ににもとづくその基調は、その後の国際比較でも追認され、「日本の指導者、国民評価で最下位」と確認されています。あわてて外務省系の国際政治学者が「世界が評価を変え始めた~日本は新型コロナ感染抑止に成功している」などと反論を始めましたが、それは、この3か月以上政府と「専門家会議」が言い続けて国民から見放された「PCR検査を増やせば感染者数が減るわけではない」とか「マスク文化の伝統」を論拠にしたもので、全く説得力がありません。安倍内閣の初発の危機感のなさ、習近平来日予定や東京オリンピック開催の政治日程が優先された初動の遅れと後手後手の対策、国民の心に届かない官僚作文の棒読みメッセージ・記者会見、そして、緊急事態政策にさえ忍び込ませた経済成長優先と私利私欲の思惑が、世界からも国民からも、見透かされているのです。
5月14日の緊急事態宣言39県解除の記者会見で、安倍首相は「日本はG7の中で最小の感染者数・死者数にとどめることができた」と「日本の成功」を誇り、首相につきそった「専門家会議」「諮問委員会」の尾身茂博士は、その「成功」要因を、①日本の医療体制、②クラスター対策、③国民の「健康意識」、と挙げました。本当でしょうか? 発熱を4日間がまんし、保健所に電話してもつながらず、それでもPCR検査を断られ、重症の肺炎で担ぎ込まれてようやく陽性とわかり、手遅れのまま亡くなっていった多くの人々の無念への謝罪と慰霊、反省の言葉はありませんでした。それは、第一波での初発の対応、隣国中国での発症なのに交通を遮断せずに春節観光客を迎えた新型コロナの過小評価・インバウンド第一主義、クルーズ船対応の混乱と失敗、PCR検査の「4日間37度5分」しばりなど重症者のみに絞っての治療と「クラスター」つぶしによって、救えたはずの何人もの感染者を見逃した事実を否定する、自己弁護です。私利私欲の安倍首相ならいつものことですが、「専門家のトップの良心」を疑わせるものです。初動対応の遅れと医療従事者・一般患者を巻き込んだ院内感染の広がりについても、「中国武漢からの感染はおさえこんだ」という名目で、なかったことにしようとしています。
こうした医学・医療体制上の専門的問題、PCR検査の遅れと厚労省医系技官ら「専門家」の問題性は、上昌広さんが『フォーサイト』誌に「医系技官」が狂わせた日本の「新型コロナ」対策」という刺激的な論文で中間総括し、児玉龍彦さんも「致死ウイルスに向き合う~恐怖の出口にしないために」で論じていますから、毎日更新される山中伸弥教授のホームページと共に、参照を求めるにとどめます。「補償なき自粛要請」のような政策全般も評価・点検しなければなりませんが、私の「パンデミックの政治学」では、敢えて「マスク」の問題、かの「アベノマスク」に、焦点をあててみようと思います。「マスク」は、すでに手洗いと共にだれでもできる感染対策として定着し、国際的にも米国が、ウィルス発生源の問題、初期の情報隠蔽の問題と共に、「中国はWHOに圧力をかけて世界中のマスクや防護服を買い漁った?」と問題にしています。中国の欧州・途上国向け「マスク外交」も論じられているテーマで、第一波の日本の感染症対策の「失敗の教訓」を、象徴的に示していると思われるからです。マスクが医療現場で入手困難になり、ドラッグストアの店先から消えた時期に、厚生労働省医政局経済課 に「マスク等物資対策班 」がつくられ、佐伯首相秘書官に耳打ちされた安倍首相のエイプリル・フール発言「布マスク2枚の全戸配付」の気まぐれに、総額466億円の予算が付いて翻弄され、あわてて怪しげなメーカー・ブローカーからも布マスクをかき集めたら不良品だらけ、全品8億円かけて再点検で遅れに遅れ、ようやく東京23区以外にも配付する目処が立った頃には、品薄だった不織布マスクが巷にあふれ、1枚11円まで値崩れがおきていた、という愚かな悲喜劇の顛末です。その不良品仕分けに保健所が動員され、日本郵便の配達遅れにも影響した、というおまけつきです。
ただし、この「アベノマスクの政治経済学」は、新型コロナウィルス感染前の2009年パンデミックス時からのマスク備蓄・感染症対策、経済産業省担当の世界マスク市場分析と日本マスク産業育成策、首相官邸「健康・医療戦略」中での感染症の位置づけ、病院再編成・ベッド数削減・保健所つぶし、武漢感染発覚後の世界マスク市場の動きと経産省主導の国産マスク企業補助金付急募、厚労省と経産省の連携不足、厚労省内で感染政策全般を主導する健康局結核感染症課と「マスク対策」を押しつけられた医政局経済課の関係、安倍首相側近内での加藤厚労相と西村経済再生相の功名争い、それらのまわりで「マスク利権」と「治療薬・ワクチン利権」をオーバーラップさせ蠢く政治家・経済人・医療事業者たち、旧陸軍防疫給水部=731部隊を含む感染症対策の歴史的背景、等々、本格的分析が必要です。いまのところ、HP連載とは別立ての論文として執筆中です。ヴェネツィア・カーニバルの仮面祭のマスクがペスト流行時の医師たちの感染予防に由来すること、100年前の「スペイン風邪」時にも日本ではマスク不足で騒ぎになったが、たとえばサンフランシスコでも「マスク着用条例」が作られ、別に「日本文化」ではなかったことなど、自宅自粛中の研究に格好のテーマです。書物では、カミュの『ペスト』ばかりではなく、永らく絶版で入手困難だった山本太郎さんの『感染症と文明ーー共生への道』(岩波新書)、速水融さんの『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ―人類とウイルスの第一次世界戦争』(藤原書店)、 村上陽一郎さんの『ペスト大流行: ヨーロッパ中世の崩壊』 (岩波新書)などの名著が、次々と復刊されています。 「コロナ休暇」の読書用に、ぜひオンデマンドで、ご入手ください。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
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〔eye4727:200516〕
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