私有財産制下の大コロナ禍―岩田トリアーデ体系論の視点から―
- 2020年 5月 15日
- スタディルーム
- 岩田昌征新型コロナウィルス
かつて30年前までは、資本主義的市場経済と並んで、ソ連型の社会主義経済とユーゴスラヴィア型の社会主義経済が対抗的に存在していた。今日、ソ連もユーゴスラヴィアも国家として解体されて、もはや存在していない。
ソ連型は、国有財産制、計画経済、集権集責であり、社会心理面では満・不満の絡み合いを特性とする。ユーゴスラヴィア型は、共有財産制(社会有)、協議経済、共権共責であり、社会心理面では信(和)・不信(不和)の絡み合いを特性とする。そこに、今日の大コロナ禍と同じような疫病が襲来したならば、夫々の社会主義はどのように対応したであろうか。
今日の資本主義諸国家と同じように、外出禁止と経済活動の休止が命令されたであろう。当然、社会構成員の実質的な福祉は大幅に低下し、社会心理面で不満や不信(不和)の局面が強く出るであろう。要するに、全社会的不幸の問題である。
資本主義的市場経済の場合、大コロナ禍は、全社会的不幸の問題に終わらない複雑な次元を有する。資本主義経済は、私有財産制、市場経済、営業の自由=私権私責=自己責任であり、社会心理面では安・不安の絡み合いを特性とする。そして資本主義的市場経済とは実物的財・サーヴィスの売買の網状であるだけでなく、債権債務のネットワークである。そこに突然、大コロナ禍対策として公権力によって、外出禁止や営業禁止が命令されるか、要請される。これは、具体的には実物的財・サーヴィスの取引や債権債務の新形成を阻害する。要するに、新しい収入・所得が形成されない。しかしながら、禁止令や禁止要請以前に締結されていた債権債務の効力は生き続ける。
別の表現をすれば、フローの経済活動は死んでいるのに、ストックの経済関係=債権債務は有効なのである。
資本主義的公権力は、国民の生命を大コロナ疫病から守るために、外出禁止と営業活動を命令ないし要望せざるを得ない。同時に、国民の私有財産、すなわち私有ストックを保護する使命を有する資本主義的公権力は、現存在する債権債務の効力を休止させることが出来ない。かくして、フロー収入の消えた中小零細営業者と賃金ストップの労働者大衆に、店舗家賃、地代、部屋代、住宅ローン返済の重圧だけは有効のまま残される。市場メカニズムの潜在的不安が顕在化する。
もちろん、資本主義的公権力は、一律10万円の支給とか、休業事業者への休業協力金100万円の補助とか一時的手当ては行う。しかしながら、見落としてならぬことがある。かかる支給金や協力金のかなりの部分が私有財産ストック由来の債務支払いにあてられ、最終的に大資産所有者の金庫に流れ込むことになることだ。かくして、資産格差は、大コロナ禍以前よりも拡大するであろう。ここに、大コロナ禍に起因する社会問題は、資本主義にあっては、単純に全社会的不幸の問題であると言えぬ理由がある。より幸福になる社会層があるかも知れないからだ。
令和2年5月10日(日) 岩田昌征
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study1121:200515〕
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