本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(259)
- 2020年 6月 3日
- 評論・紹介・意見
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最後の古代オリンピック
現在では、「東京オリンピックが忘れられつつある状況」となっているようだが、この点に関して参考になるのが、「最後の古代オリンピック」だと考えている。つまり、「紀元前776年」から始まったといわれる「古代オリンピック」については、「末期の段階」に「腐敗」や「不正」が横行し、「西暦393年に、最後の大会が開催された」とも言われているのである。しかも、その後、「西暦1896年」に開催された「近代オリンピック」まで、「約1500年間の空白期が存在した」という状況だったのである。
そのために、私自身は、長い間、「なぜ、このような展開となったのか?」、あるいは、「オリンピックやスポ-ツには、どのような意味や効果があるのか?」などを考え続けてきたが、現在では、「文明法則史学」と「時空の歪み」で説明がつくものと考えている。つまり、「800年ごとに繰り返す東洋と西洋の時代」において、最も重要なポイントは、「唯心論」と「唯物論」の「違い」であり、「唯物論を基本的な価値観とする西洋の時代」においては、基本的に、「物質面での奪い合い」が多発する状況も想定されるのである。
そのために、「闘争的遊戯」と訳される「スポーツ」が盛んにおこなわれることにより、本当の「戦争」が回避されることを望んだものと思われるが、この点に関する問題は、やはり、「最後の段階で『マネーの大膨張』が発生し、競技者の目的が『お金儲け』に変化した可能性」とも考えられるのである。また、一方では、「西ローマ帝国が、財政赤字とインフレで消滅したために、古代オリンピックの開催が不可能になった可能性」も考えられるようだが、今回の注目点は、「なぜ、文明史学のサイクルよりも、20年以上の遅れが発生したのか?」ということである。
つまり、私自身としては、「西暦2000年前後」に「オリンピックの開催が難しくなるのではないか?」と考えていたが、実際には、「デリバティブ」が産み出した「金融界のブラックホール」により「20年以上もの時空の歪み」が発生した状況だったようにも感じられるのである。
別の言葉では、「マネーの大膨張」が「心の闇」を生み出し、その結果として、「心」が明るくなる「パンとサーカスの生活」を望む人が増えた可能性でもあるが、興味深い点は、このことが、その後、「東洋の唯心論的な価値観」に繋がり、結果として、人々が、全く違った社会生活を送った事実とも言えるのである。(2020.5.4)
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未完の聖書
最近、大きな共感を覚えたことに、「聖書は未完の書である」という「キリスト学者の内村鑑三氏の言葉」がある。つまり、「聖書は、過去における生けるキリストの行動記録である」、また、「我らはキリストの霊を受けて、新たな聖書を作らなければいけない」というものである。そして、この言葉は、仏教の「即身成仏」にも繋がるものと感じられたが、実際には、「目の前の出来事に対して、一心不乱に対応することにより、誰でも仏の境地に到達が可能である」という認識のことである。
別の言葉では、「99%の努力と1%の霊感」という「エジソンの言葉」のとおりに、「全ての人が、日々の仕事に熱中した時に気付きが得られる状況」のことであり、人類の歴史を辿ると、このことが、「絶えざる進化と創造」の要因のようにも感じられるのである。つまり、「天の蔵」には、無限の「神の智慧」が存在し、この智慧にたどり着く方法が、「般若心経」が教えるとおりに、「心を込めて、目の前の仕事に熱中すること」とも言えるのである。
しかし、現代人は、「各人の仕事の総和」とも言える「実体経済」よりも、「欲望の結果」として生み出された「お金」や「マネー経済」の方に、より大きな興味と関心とを抱いたものと思われるのである。つまり、「古い聖書を読んで、新たな自分の聖書を作る」という行為を忘れて、「お金があれば、どのようなことでも可能である」というような「誤った考え」に染まった状況のことである。
そして、この状態が極まったのが、「過去20年ほどの金融のブラックホール」だったものと考えているが、実際には、「日本人の半分以上が、日々の生活を送るために、大都会で、こま鼠のように働かざるを得ない状態」となっているのである。つまり、「お金が神様となり、自分の仕事を軽視しがちになる状況」のことでもあるが、このような状況下で発生したのが、今回の「コロナ・ショック」だったのである。
しかも、今後は、「わずかな金利上昇で、金融システムが、世界的に崩壊する状況」、すなわち、「国民の年金」や「公務員の給料」などが支払い不能になる展開も予想されるわけだが、現在では、この可能性を無視して、目先の「お金」だけに、世界全体が注目している状況とも言えるのである。つまり、「第二次世界大戦末期の神風特攻隊」のような状況のことだが、不思議な点は、「このことを指摘する人が、ほとんど存在しない事実」であり、将来的には、「新たな聖書」の材料になる可能性も考えられるようである。(2020.5.4)
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コロナ・ショックの教訓
今回の「コロナ・ショック」については、「短期間のうちに、さまざまな教訓を我々に与えてくれたのではないか?」と考えているが、その一つが、「嘘や誤魔化しは、国民に対して、甚大な被害を与える結果となることが多い」という「厳然たる事実」である。また、「自分の失敗を反省し、他者の成功から、素直に、かつ、謙虚に学ぶ態度の必要性」でもあるが、人間には、「松下幸之助氏」が指摘するように、「成功例が三度続くと、失敗を忘れる傾向、あるいは、思い上がってしまいがちな傾向」が存在するのである。
つまり、「明治維新以降の日本人」は、「日清、日露、そして、第一次世界大戦の勝利」により、「日本は神の国であるから、決して、戦争に負けることがない」という「誤った神話」に支配され、敗戦に繋がったのである。そして、現在では、「戦後の経済成長」、そして、「数多くの世界的なインフレや混乱を切り抜けてきた事実」により、「戦後の大インフレが、日本で再燃することがない」というような誤解が存在する状況のようにも感じている。
より具体的には、「過去20年余りの超低金利状態」を経験したことにより、「金利やインフレ率の上昇は、決して、有り得ないことである」というような神話が出来上がった状況のようにも思われるのである。別の言葉では、「お金を使えば、コロナ・ショックだけではなく、すべての問題が解決可能である」というような「誤った思想」が出来上がった可能性のことである。
つまり、今までは、「大量のコンピューターマネーを使い、金利を筆頭にして、さまざまな市場価格が操作されてきた時代」だったが、今回の「コロナ・ショック」により、「すべての真実が、白日の下にさらされる時代」が始まったものと感じている。あるいは、「抽象論や観念論が通用しない時代」であり、「具体論や現場の理論を重要視しないときには、自分の命さえもが脅かされる時代」のようにも思われるのである。
しかも、今回の「コロナ・ショック」については、これから想定される「世界的な金融大混乱」、すなわち、「未曽有の規模での大インフレ」に対して、「予行演習的な役割」を果たしたものと考えているが、実際のところ、「金融システムが破たんした場合には、年金や公務員の給料などが支払い不能となる状況」も想定されるのである。つまり、「金融界の白血病」により「現代の神様が紙切れに変化する事態」のことだが、この点については、すでに、「時間切れの状態」となっており、いつ、どのような大事件が発生しても不思議ではない段階に差し掛かったものと感じている。(2020.5.5)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9769:200521〕
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