「封城」(ロックダウン)下の武漢の暮らし - 方方女史の『武漢日記』(15)
- 2020年 6月 9日
- 時代をみる
- 中国新型コロナウィルス武漢田畑光永
3月24日
封城62日目。私のこの記録も第60回、最終回としていいだろう。
全く偶然だが、今日、通告を見た。武漢以外の地区はすべて封鎖が解かれ、緑の健康カードで自由に行動できることになった。そして武漢市は4月8日に封鎖解除される。間もなく武漢も溌剌たる生気を取り戻すのだ。私は開城まで記録して終わりにする、と言ったが、その後、分かったことは、開城は封城のような緊急行動とちがって、ゆっくりとした過程なのだ。一部分、一区域と解徐されてゆく。私は肺炎の蔓延が ゆっくりとなれば、みんな仕事に戻り、その時が終わりだと思っていた。友人たちもこの考え方で正しいと言っていた。
ところが結果は第54回を過ぎ、60回まで延ばして、ようやく開城の通告に接した。それで予想外ではあるが、これを最後の回としよう。開城通告も記念としては十分価値があるはずだ。私の記録は元旦(春節)に始まり、開城通告下達の日で終わる。完璧だ。私の長兄は3月14日に感染確認人数と毎日の減少数から計算して、4月8日に武漢は開封されるという回答を出した。思いもかけず、ご名答だった。長兄は自作の粗末な計算式で武漢の開放日をあてたと大喜びである。
今日、昼の空は明るかったのに、午後、突然暗くなり、雨も降りだした。お手伝いさんが、明日には武漢に戻れると言ってきた。胸が軽くなった。彼女は料理上手で、以前はよく同僚たちが我が家へやって来て食べていったものだ。市内が自由に歩けるようになったら、彼らはまた食事時をねらって我が家へ来ることだろう。私の苦難の日もまもなく終わる。
広西(チワン族自治区)の梁看護士について、私は今日、はっきり説明しておきたい。昨夜、日記を書いている時、医師の友人から知らせが届いた。この知らせは医師の間を回っているそうだが、1枚の紙の上の部分に段落を分けてこう書かれていた。「広西のあの昏倒した看護士は、今夜、わが病院で亡くなった。彼女はまだ28歳、母親がいる。もはや帰ってこない。彼女は掛け値なしに武漢に命を捧げた」。医師の友人も無念の気持にとらわれているが、私もつらい。この前、女性看護士が救急患者になったことは多くのメディアが報道した。この知らせが、間違いないかどうか、紙片を協和病院の医師に回して確認してもらった。
彼からの返事は「脳死による。きわめて不幸」だった。
私の医学知識は乏しい。けれど、これは私の質問に対する確定した回答だ。すぐに感じたのは梁看護士をこのまま無言のうちに見送ってはいけないということだ。このことは記録されなければならない。人々に永遠に記憶されなければならない。そこで私は昨日の日記に書いた。
そして今日はこのことについて多くの人から質問が来た。ネットではデマではないかと言う声もあった。午後、私はもう一度、2人の医師に確認した。2人からはそれぞれ専門的な説明があった。そして事後の態度もほぼ同じ、申し訳ない、というに尽きる。私もそうだ。だからここですべての読者、そして梁看護士のご家族に心からのお詫びを言いたい。梁看護士の生命はわれわれ全員の気がかりであったし、彼女はまさしく「武漢に命を捧げた」人となった。
昨日、友人が1篇の文章を送ってきた。誰かが私に「武漢、市民聯合署名(訳注)に参加して、アメリカの手先でないことを証明しろ」とわめいているのだった。一目で幼稚かつ低俗、笑ってしまう程度の物だ。筆者の名前は言わないことにしよう。博士だそうだ。なぜ私の文章を読んだのかは全く分からない。ちょっとばかり好奇心が刺激されるのは、この人物が北京大学卒業であるかどうか、あるいは本科で学んだか否か、である。本科の卒業生ならここまで品位が低くはないだろうと思うのだ。ところで、その聯署する文章とやらをまだ見ていないので、聞いたところ、役所は署名者と話をして、その行動はやめさせられたということだ。友人は「証明するチャンスを失ったね」と笑っていた。結局、今に至るも何のことやら分からずじまいだ。
非常に興味深いのは中米両国の政治家が互いに相手を非難、攻撃している時に、両国の医師たちはどのように病人を救うか、どの薬物が確実に死亡率を下げるのに有効か、どの治療法がより良いかを、一緒に話し合っていたことだ。さらにどのように防護するか、どのように隔離するか、といったことを。武漢での蔓延がひどかった当時、在米華人は商店の棚にあるマスクを買い占め、祖国に送ってくれた。そしてこの時、アメリカの医師たちはマスクその他の防疫物資の欠乏に悩まされた。ある友人の華人が言うには、当時は本当に彼らに申し訳ないと思ったそうだ。しかし、医師たちはこの問題もどう解決すべきか討論の場で話し合ったという。
こういう医師たちは政治的偏見を持たず、国対国という意識もなく、互いに経験を学び合い、手がかりを提供し合った。これこそ医師の仁心大愛、人類に対する愛、人に対する愛だ。職業が異なれば、ものを見る角度、何かをする仕方は全く異なる。私は医師たちの職業精神と心の持ち方が本当にうれしい。
今日が最後の一篇ではあるが、べつに今後はなにも書かないというわけではない。私のウエイボー(ショートメール)はそのまま私のサイトであり、以前と同じように私はそこに私の考えを書く。責任を追及することを、私は放棄しない。多くの人がお役所の責任は追及できない。できる望みはない、と言ってきた。役所の責任を最後まで追求できるかどうか、それは私にも分からない。しかし、役所がどう思おうと、2か月余りも家に閉じ込められた武漢市民として、自分の目で武漢の悲惨な日々を見続けた証人として、罪もなく死んでいった人たちに公平正義の光をあてることはわれわれの責任である。誰の過ちであり、誰の責任であるか、誰がそれを自ら引き受けるべきか。もしもわれわれがこの一連の日々を忘れ去り、もしもある日、われわれがいつもそれに負けるあの絶望さえも忘れてしまったとなったら、そうなったら、私は言いたい。武漢人よ、お前たちが背負ったのは災難だけではない。お前たちは、その上に恥辱を背負わなければならないのだ。忘却という恥辱を!もしも誰かがこの一言を軽く消してしまおうと思っても、それは絶対に不可能だ。私は一字ずつ書いた。歴史の恥辱の柱に書きつけるために。
ここで特別に感謝したい、連日、私を包囲攻撃してくれた極左分子たちに。彼らの激励がなかったら、私のような怠け者はとっくに書くのをやめてしまったか、3日漁をして2日網を干すか(休み休み働く)で、これほどの量は書けなかったろう。そして筆任せに書いたこの記録をなんと多くの人が読んでくれたことか?さらに私を喜ばせてくれたのは、彼らが私を攻撃するにあたって、手の内をさらけ出してくれたことだ。彼らの陣営が全員集合でそれぞれが文章を書いた。そして読者が見たものは何だったか?混乱した論理、畸形な思想、ねじ曲がった視点、低劣な文字および下劣な人品。要するに彼らは天下に自らの短所をさらけ出し、毎日、自らの変態的価値観を展示した。人々はこれで悟った、え?極左のネット名士といってもこんな程度だったのだ!と。
その通り。それが彼らの本当の顔なのだ。私に手紙を書いたあの高校生の文章と思想のレベルがおおよそ彼らの最高水準だ。だいぶ以前に誰かが極左について非常に綿密にまとめてくれたことがあり、まだネットで探せるかもしれないが、ここ数年、極左のレベルの低劣なことといったら、新コロナ・ウイルス同様だ。そして少しずつわれわれの社会に蔓延し、とくに彼らは役人たちの周りで活動するのを好み、最高速度で多くの役人を感染させた。このウイルスに感染した人間は、今度はウイルスの庇護者となり、日々にウイルスがのさばるのを助けるようになる。そののさばりかたは尋常でなく、やくざ社会の構造のようにすべての網の目は風を呼び雨を降らせ、意見の合わない人間を意のままに凌辱する。
であればこそ私は毎回、毎回、極左こそ国と民とに災いをもたらす存在だ!と言ってきた。彼らは改革開放の最大の邪魔者だ!この極左勢力の横行を許し、このウイルスが全社会を感染させるのを放っておけば、改革は必ず失敗し、中国に未来はない。
最後の一篇なので、やはりいくらか感謝の言葉を述べたい。たくさんの読者の支持と激励に感謝する。無数のコメントや文章は、多くの人が私と同じように考えていることを感じさせてくれた。私の背後は空空漠々ではなくて、山また山が支えてくれていた。それから二湘さんに感謝したい。私のブログが封鎖された時、彼女は私に最大限の援助を提供してくれた。彼女がいなければ、私の日記は続けられなかった。そのほか『財新』、『今日のトップ』にも感謝したい。彼らは私が文章を発表する場所がなくなった時に、それを提供してくれた。これらの援助はもう一つ別の角度から私の胸に大きな慰めをもたらしてくれた。これらの日々の中で私は孤独を感じたことがなかったのだ。
あの美しい戦いを私は戦いきった。
走るべき道を私は走りきった。
信じた道を私は守りきった。(完)
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訳注「市民聯合署名」:市民が連名で署名して、政治的立場や要望事項をしかるべき部門に提出すること。この場合、武漢でも反米の署名運動があったようである。
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抄訳者の蛇足:以上で方方女史の『武漢日記』の私が入手した部分は訳し終えた。お読みいただいた方はお分かりのように、この日記のハイライトはコロナ肺炎の蔓延初期における武漢市当局の対応についての方方女史の辛辣な批判であろうと思われるが、訳したのは最終部分なので、彼女の舌鋒の鋭さに直接触れることはできなかった。それでも随所にそれをうかがわせる表現はあるので、そこから全体を推し量っていただきたい。
本書はすでに英国では英訳本が出版され、米国でも刊行が近いと思われる。日本語版が出るのか出ないのか、判然としないが、ともかく習近平礼賛、共産党礼賛一色の中国で、勇気ある作家の気骨ある文章が大きな話題になったことは確かなので、その一部に触れていただけたことで、今回の私の任務は一応完了ということにしたい。ご愛読多謝。
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