「女帝 小池百合子」の感想一遍
- 2020年 6月 15日
- 評論・紹介・意見
- 熊王信之
過去二度にわたり、「女帝 小池百合子」の中で要所に出没される小池家の遠縁の男性なる人物が話される関西弁の異質性を指摘した処ですが、この書物中には時の経過と共に、人物像の何かしらの変化を納得させる環境も記述せずに、謂わば、異なる人物像を読む者に示される強引な記述があり、「収支決算」を示されないままに読了してしまうような恨みがあります。 率直に言って、著者が説く人物像の時間経過に納得出来得ないのです。
その一例を以下に示します。 小池氏が十代にある時期を記述された部分です。
①
「『お嬢さん学校』私立甲南女子中学校・高等学校在学中に「小池が『これからの女性は仕事を持って働くべきだ』と言うのを聞いて驚いたと語る同級生の証言もある。」(40頁)
②
「『甲南にはめずらしい、積極性のある、努力型の生徒でした』と、ある男性教師は小池を振り返る。」(42頁)
③
加えて、小池氏は、特に語学専門学校等に通学された、との記述も無いがまま、「英語に上達し、「英語の授業、ESSの英語劇や英語の弁論大会で、百合子は皆を驚かせた。」(42、3頁)
④
「百合子は一九七一年、関西学院大学社会学部を受験し合格する、同級生のひとりは、こう語った。
『関西学院大学を受けたことも知らなかった。 合格した日に『私、関学に行くんだ』って聞かされてびっくり。 何も相談はなかったし、がり勉している様子もなかったから。』」(50頁)
時代は、1970年代。 大学受験は、現在よりも競争が激しく、関西で「関関同立」の中の「関西学院大学」に入るには相当な勉学が必要で、浪人も多く、予備校も満員の状況であったのでした。 小池氏は、相当な覚悟を持って勉学に励んでおられたようです。
処が、エジプト留学時代の「同居女性」の語られる小池氏像は、一変し、一読してとても納得出来得ないものであり、著者が御自分で調査された関学合格までの小池氏像との整合性を如何に考えておられるのか、と問いたいものです。
兎にも角にも、この著書には、要所に「小池家の遠縁の男性」や「同居女性」等が登場されて、強引に道筋を変えられるので閉口します。 これ等の方々の言われる筋に導かれるまま右往左往するのが読者であり、その度に小池氏の人物像が揺れ動きます。 しかも匿名の方々なので、事実かどうかも分かりません。
小説と思えば楽しいのですが、それにしても読む者に確たる人物像が見えて来ません。 あえて言えば、サイコパスでしょう。 読む者を強引に其処へ引導しようとの思惑が見え見えで呆れます。
まあ、出版時期が時期なので、版元にとっては、季節性の特販のようなものなのでしょうか。 小池氏にとっても、選挙戦の上で特段に不利に作用するものではないのでしょう。 今に始まったことでもないので放置しておけば勝手に身内で騒ぐのみ、と思われているのかも知れません。
しかしながら、カイロ大学がどうされるのかが問題です。 何度も、何度も、大学に照会し、その度に丁寧に回答もしたのに、未だ信じられずに証書がどうの、対応窓口がどうの、と粘着する、と切れられると、怖いですぞー。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9842:200615〕
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