60年目の6.15(「樺美智子さんの死を悼む」)集会
- 2020年 6月 16日
- 評論・紹介・意見
- 合澤 清
60年安保闘争の最大の山場だった「6月15日の国会南通用門前のデモ隊と機動隊の激突」から既に60年が過ぎ去った。「明治は遠くなりにけり」とは言うものの、安保闘争も樺美智子さんの尊い犠牲も、段々忘れられて来ているかに思える。誠に人情ははかないもののようだ。
しかし待てよ、本当に「安保は遠くなりにける」と言えるのかどうか?
沖縄問題、少なくとも「日米地位協定」という米国の占領政策の延長ともいえる不平等な取り決めは未だ何ら解決の糸口さえ見られないままである、更に自然の宝庫と言われた辺野古の海を埋め立て、軍事基地を新たに建設しようとしている。オスプレイという米軍の「お荷物」(欠陥品)を高額な買値(約100億円と言われている)で購入する取り決めを進めているという(総額で、3600億円に上る)。オスプレイは首都の上空をも飛び回ることになる。
米軍基地はいまだに日本の各地に点在させられて在る。憲法9条の規定に優先する「日米安保条約」に基づく様々な軍事行動(イラク戦争時に米軍機が日本の基地から爆撃に飛び立ったことなど)、あるいは国連平和維持活動という名ばかりの「国連」(実際には米軍援助のためのPKO活動)の下での自衛隊海外派遣、等々。これでも「安保は遠くなりにける」と言えるのかどうか?
2005年に小泉純一郎政権がブッシュ政権との間で取り交わした「日米同盟 未来のための変革と再編」では、アメリカの「予防戦争」(アメリカが一方的に仕掛ける戦争)に対しても、日本は加担させられる可能性をもつことになっている。
安保は終わっていないどころか、アメリカの世界支配の戦略に日本は丸ごと含まれ、いわば、日米運命共同体という「抑圧」のお先棒担ぎの役柄を担うことになっているのである。
この日の国会南通用門前の集会は、100名足らずの参加者、しかもほとんどの方が60年安保当時の学生だった人たち(当然、かなりの年配者)ではあったが、それでも意気軒高で、三上治さんの司会で、正面に樺美智子さんの遺影を飾り、自由発言形式で10人ほどの発言者がかつての思い出なども含めて今後の決意を語っていた。
私の知り合いも何人か見かけたが、なかでも、安保闘争当時、東大の学生であった岩田昌征(千葉大学名誉教授)が、献花用の花束をもって参加されていたのには、さすがだなと感銘を受けた。
コロナ禍の下、外出すら制限されているうえに、32℃という真夏並みの暑さである。80歳に近いお歳の方たちには相当こたえたろうと思う。
それでも、国会の西側通用門の前では、沖縄基地反対の人たちの座り込みが続いていたし、首相官邸前では、「安倍やめろ」をシュプレヒコールする人々の群れも見られた。
まだまだ「安保反対」の行動はこれからも継続され続けなければならないということを改めて痛感した。
新聞のニュースで、河野太郎防衛相(彼自身は全くのオポチュニストであると思うのだが)が、「地上イージス計画停止」を発表したことを知った。
トランプ政権を見限った発言なのか、河野太郎の政権への色気のせいなのか、いずれにせよ喜ばしいことには違いない。
悲しいニュースもこの場で知らされた。長年の仲間の一人だった「佐藤秋雄」さんが5月になくなったということを知った。彼はアイヌ差別の問題、沖縄問題などに非常な熱意で取り組んでいた。彼から4月上旬に一冊の本が送られてきたことがあった。羽山太郎著『アイヌ・琉球 私の解放にむけて』(JCA出版)である。
今となってはこれが私宛の彼の遺書であったのであろう。彼の志を汲みながらこれからも頑張りたいと思う。ご冥福を祈りたい。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9845:200616〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。