「巻き舌の英語」―「女帝 小池百合子」に見る細部に宿る真実
- 2020年 6月 26日
- 評論・紹介・意見
- 熊王信之
石井妙子氏の著書「女帝 小池百合子」なる著書を読みながら、本題と関りの無い用語に聊かの疑問を抱きました。 それは、「巻き舌の英語」と言うものです。 これは、一体、何を指すものなのでしょうか。 英語を話す折に、舌を巻くことはありませんが。
当該の表現は以下のとおり。
「巻き舌の英語を同級生たちは、手放しでほめてくれた。 この快感の記憶を、成功体験を、彼女は生涯、引きずることになる。」(43頁)
「大きな眼、カイロ大学卒業という経歴、ゴルフやカラオケ、気の利いた受け答え、巻き舌の英語によって彼女の道は切り開かれていく。」(150頁)
其処で、小池氏が外国通信社の記者に英語での質問を受けておられる録画を拝見しましたが、①我々、人間には、そもそも巻けるように長い舌がありませんし、②小池氏もそれ程に長い舌をお持ちでないように見えましたし、③特別に舌を巻かれることも無く発話されているように見えましたし、④何よりも、英語には、発声の折に舌を巻く発音は存在しません。 強いて言えば、曖昧母音のearthが日本語には無い発音なので該当するのか、とも思われるのですが。 特にこの母音を米国人が発音する際には、より喉からの発声が強く響きますので、人によれば「巻き舌」と受け取られることがあるようです。 しかしながら小池氏の発音では特にこの母音が強く響くことはありません。 ただ、イントネーション(抑揚)が米国英語のようであり、英国英語のようにイントネーションが強く響くことがありません。
会話は、自然な質疑応答で、発話に詰まることも無く回答をされていて、普段から英語での会話があるからでしょうか、単語が自然に出て来られるようです。 筆者のように田舎に住む身では英語で話す機会は何年も無く、例え外国の方に出会っても大阪弁で話される方ばかりです。
英語に限らず、外国語の発音を正確に学ぶのには、一定の練習が必要であり、音声学の初歩から発音とイントネーションを一定量の練習とともに習得するのには忍耐が要るものです。
文脈から言えば、これまた何らかの意図から出た表現のように思われます。 特に意図が無ければ、当該表現を「流暢な英語」または、「正確な発音の英語」とした方が良いのは明白ですが、小池氏が話される英語に関してのみ「巻き舌の英語」とされるのには何等かの意図がある、と思うのは筆者のみでしょうか。
それが証拠に甲南女子の元同級生は「綺麗な発音」との表現をしておられるのです。
「ラージ(小池氏の愛称:筆者注)はとにかく英語がペラペラなんです。 スピーチコンテストで優勝したんですよ。 すっごく綺麗な発音でした。 いつ、どこで、あんなに綺麗な発音覚えたのかしらって、皆、言ってました」(同級生) (43頁)
「綺麗な発音」が「巻き舌の英語」にすり替わる。 著者の「証言」内容の自己都合に依る変化は、この書物の至る処に見ることが出来るのです。 否、証言内容を否定されることもあるから驚きます。
「同級生は、百合子を明るい少女として記憶していた。
『アザのことなんか、まったく気にしていないし、それで百合子ちゃんをイジメるような子もいなかった。 いつも、百合子ちゃんはすごく前向きだった』」(34頁)
私は、この証言に続く著者の記述を読み、冷水を浴びせられたように思いました。
「この言葉を聞いた時、私は小池がいかに孤独な状況にあったかを察した。 アザをまったく気にしていない。 そんなことがあるだろうか。 気にしていないように振舞っていただけだろう。」(34頁)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9878:200626〕
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