中国擁護のわけ その26ー英国よ。ディエゴ・ガルシア島を住民に返すべし。
- 2020年 7月 19日
- 交流の広場
- 箒川兵庫助
本ちきゅう座の,澤藤統一郎弁護士の『香港の二人の枢機卿,深刻な立場の違い。』(2020.10,July)のご紹介によれば国家法を巡ってカトリック枢機卿2人の意見に違いがあり,またロ-マ教皇の日曜礼拝の演説内容が突然変更されたいう。そこで思い出したのが故加藤周一著「カトリック教会の役割」(『夕陽妄語』,朝日新聞社,pp132-137,1987)である。その内容を私なりにまとめると,「カトリック枢機卿が国民に呼びかけてマルコスの戦車隊を止めた(86年)。軍事独裁政権が人々を搾取し続けている中南米では,貧しい人々の側に立って,弾圧に反対する神父たちが現れ,教会が国の政治に強く係わるようになった。その理論的背景が「解放の神学」と呼ばれ,84年ロ-マ法皇庁は解放の神を弾劾しその一人ボス神父に「贖罪の沈黙」を命じた。しかし翌春ロ-マ教会は条件付きで「解放の神学は,単に正当であるばかりでなく,必要である」として教会が政治と積極的に係わりだした。その理由は独裁政権による反対党の弾圧・拷問・裁判所の操作・選挙のごまかしは,政治問題であるが同時にそれは,基本的人権の破壊を意味しリン邸w)ィ的問題でもある。もし教会が倫理的問題に無関心ならば,宗教の役割は大衆の眼を要点から逸らすための阿片にすぎない」ということになる。それを避けたい。ー
さて話を香港に戻すと,陳日君氏は国家法による「宗教の自由」の制限を危惧されている;「香港が自由を失えば,教会も逃れることはできず,(宗教の)自由を失う。」これだけの文章からすれば私も教会の自由が失われることを恐れる。しかし香港に自由はあったのだろうかと自問してしまう。1940年,阿片戦争に負けた清朝政府は英国に香港等を割譲した。そうして1997年,香港は中国に返還された。その間,自由と民主主義は英国香港政庁によって保障されていたのであろうか。1925年,上海で民主化を求めて立ち上がった人々のうち9名が射殺された。射殺したのは英国香港政庁が雇ったシ-ク教徒警察官。また6月23日には香港で52名が殺害され150名以上負傷した沙面事件(ウィキで検索しても出てこない妨害)がある。このどこに民主主義とデモの自由があるのであろうか。
返還されてから自由と民主主義が香港に戻ってきたとするのは間違いであろう。そもそも香港に自由はなかったのである。英国支配下でも自由はなかった。ここから話を進めるべきである。2019年国際司法裁判所は,インド洋のディエゴ・ガルシア島を住民たちに返還することを英国政府に通達した。しかし米軍に貸し出したまま返還の動きはない。無理やり島民を追い出したのである。司法裁判所の判決を無視する英米両国に自由と民主主義は存在するのだろうか。
国家法反対の陳日枢機卿の主張は一見正しいが,中国を分断しようとしていることに気が付いていない。例えば西安市のキリスト教会の十字架は取り除かれたのだろうか。本欄をお借りして何度も主張しているのだが,新疆ウィグル自治区やチベットや香港騒乱には米国国務省が裏で糸を引いている。そういう所では北京政府は強い態度に出るほかにない。そもそも昨年6月の香港デモの第1回目は暴徒がいなかった。暴徒が出てきたのは2回目から。ノルウェ-で訓練を受けたともいわれている。それが香港市内を破壊するまでになったのだから国家法が必要となったと言えなくもない。香港デモ暴徒の行動が国家法を招いたともいえよう。
国家法は逮捕者を出したが,英国香港政庁のようにデモ参加者を銃殺していない。おそらく米国国務省が陳日-湯漢両枢機卿の対立を利用してロ-マ教会を沈黙させたという事であろう。
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