検査難民を救え! だれでもいつでもどこでも何回でも、国費で無料のPCR検査を!
- 2020年 8月 2日
- 時代をみる
- 加藤哲郎新型コロナウィルス
- 未知との遭遇――パンデミック第一波と日本モデル
- 感染源をめぐる米中情報戦とWHO(「チャイナ・ウィルス」対「米国生物兵器」?)
- 自国ファーストと政治的リーダーシップ(安倍内閣「健康・医療戦略」と今井尚哉・北村滋)
- 専門家会議、感染研と731部隊の亡霊(731部隊・旧伝研・予研人脈と「国産ワクチン村」)
- 官邸官僚主導のアベノマスクの悲喜劇(経産省に拠った首相官邸・厚労省の愚策}
- 東京オリンピックはどうなる?(1940年「幻のオリンピック」の再来か?)
2020.8.1 梅雨はあけても、新型コロナウィルス感染の「恐怖と不安」は、おさまりません。政府の「GoTo トラベル」キャンペーンによって、むしろ、強まるばかりです。7月は、自宅に蟄居し自粛して、単行本「パンデミックの政治学ーー日本モデルの失敗」(仮題)の執筆に、専念していました。まだ出版社に原稿を送ったばかりですが、以下のように構成しました。
ここ数年、ゾルゲ事件や関東軍731部隊の歴史的研究に集中してきたのに、敢えて再び時局の情報戦を分析したのは、消極的には、外出ができず図書館も使えない環境によってですが、より積極的には、今なお世界で広がり続け、日本でも第二波到来かと見られるのに、日本政府と「専門家会議」の後手後手の対応と愚策にあきれ、怒りを覚えたからです。政治学者として何が言えるかと考えて、本サイトで「ファシズムの初期症候」と診断してきた安倍内閣の政策決定の裏側を、パンデミック=世界的感染爆発という「例外状態」のなかで、考えようとしました。先ず目についたのは、中国・武漢での感染爆発を「対岸の火事」と見る危機感の欠如でした。それがクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」対応の失態につながりました。
それが何故かを調べてみると、2009年の麻生内閣末期に始まり、政権交代後に民主党が対応した、2009年のパンデミックの経験が活かされていないことがわかりました。2009年4月にメキシコに発した新型インフルエンザは、5月には日本にも入ってきましたが、ちょうど自公麻生政権の末期で、もっぱら舛添要一厚労大臣が対応しました。民主党への政権交代で、その収束と「専門家会議」による感染症対策上の総括は、新型インフルエンザ等対策特別措置法の制定と共に、民主党政権に任されました。そこでは、新型ウィルスのための検疫・医療体制、医療機器・人材の備え等も提言されていましたが、その教訓は、すぐに忘れられました。自公の第二次安倍晋三内閣ができて、ちょうど脱原発が原発再稼働・原発輸出に政策転換されたように、感染症対策は、安倍内閣「健康・医療戦略」の片隅に追いやられました。2009年の「専門家会議」提言の内、2020年の新型コロナウィルス対策に使われたのは、「発熱外来」を「帰国者・接触者外来」に改めて、検査の窓口と対象者を絞り込む仕組みぐらいでした。SARSやMARSを経験し備えていた、中国・韓国の コロナ対策との、分岐点になりました。
そればかりではありません。2014年に閣議決定された安倍内閣「健康・医療戦略」は、日本社会の高齢化と新自由主義と共に始まった医療費抑制、医療・介護保険制度見直し、病院・保健所削減・再編成、空きベッド数削減など福祉支出抑制の諸政策に加えて、安倍内閣の目玉である「アベノミクス」に従属し、健康・医療分野での「選択と集中」成長戦略の一部でした。そのため、世界市場への競争参入が期待できるゲノム解読、ガン撲滅・新薬開発、国産ワクチン開発等に予算がまわされ、伝統的感染症対策や基礎研究は、施設・設備・人員が減らされました。「健康・医療戦略」での感染症対策とは、発展途上国からの入国規制・検疫と、「世界最高の医療技術」の輸出に特化したものでした。そのため、2020年度通常予算で、厚生労働省は84億円で13万病床を削減する計画を通過させながら、補正予算では、その半分の予算で新型コロナ対策の病床・人員を増やさなければならない、倒錯した対応になったのです。いま国民が切実に求めるPCR検査が、初動から「帰国者接触者外来」の窓口から、保健所→地方衛生研究所→厚労省・国立感染症研究所の「行政検査」として重症者・高齢者に限定され、いまだに具合が悪くてもPCR検査を受けられない、「検査難民」続出の状況を作りだしています。
その理由は、はっきりしています。PCR検査の絶対的不足で、感染実態そのものが、いまだに不明なのです。(1)中国での発症を安倍首相他官邸が「対岸の火事」と見て、4月に予定された習近平国家主席の国賓来日や夏のオリンピックという政治日程を優先し、危機感を持たなかったこと、(2)厚生労働省も直接担当する感染症研究所も、感染症対策予算・要員を減らしてきた流れで、必要な準備態勢、検査場所・機器・試薬・技師など要員も不足したままパンデミック第一波を迎え、(3)感染研関係者を中心とした「専門家会議」と厚労省「医系技官」は、その醜態を隠すために、「若い人や子供は大丈夫」「インフルエンザと大きくはかわりはない」から「37度5分以上発熱4日」や「医療崩壊を招くおそれ」「PCR検査も完全でない」などあらゆる口実で、「帰国者接触者外来」=地域保健所ー都道府県ー政府の「行政検査」にこだわり続け、(4)後手後手の感染対策と「補償なき自粛・休業要請」による生活崩壊への世論の批判が高まり、民間検査への保険適用でPCR検査数は多少増えても「検査難民」解消にいたらず、(5)5月からの経済社会活動再開優先が、ついに「GoToトラベル」キャンペーンが、感染第二波を招く「GoToトラブル」になりました。
いまや、世界で1760万人が感染し、すでに68万人の命が失われた、勢いの衰えない「100年に一度のパンデミック」のなかで、気がついたら、この国は、人口あたり死者数は欧米に比すれば少ないとはいえ、東アジアでは最悪です。PCR検査数にいたっては、発展途上国以下で「世界215か国中159位」です。この「パンデミック世界を漂流するクルーズ船」から脱するためには、感染政策をアベノミクスに従属した「健康・医療戦略」の呪縛から解き放つこと、感染症対策の王道に立ち返って、WHOのいう「検査、検査、検査、そして隔離」、ニューヨークでさえ甚大な犠牲と損失に学んで始めた、「だれでも、いつでも、どこでも、何回でも受けられるPCR検査」、それも、わたしたちの払った税金による無償検査に、踏み切ることです。7月19日、「15年戦争と日本の医学・医療研究会」の設立者で名誉幹事長であった、金沢城北病院の莇昭三医師が、お亡くなりになりました。享年93歳の天寿とはいえ、私の731部隊研究では大変お世話になった恩師で、このコロナ禍でこそ、まだまだお話を聞きたかった、民衆の中で庶民に寄り添った医師でした。かえすがえすも、残念です。こころより、ご冥福をお祈りいたします。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4750:200802〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。