本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(267)
- 2020年 8月 5日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
京から富岳へ
2011年に「世界一のスパコン」となった「京」に続き、2020年には「富岳」が同様の座を占めることとなったが、この点に関しては、たいへん深い感慨を覚えている。つまり、「京」が世界一となった時には、「約8京円もの残高」を持つ「デリバティブ」に関して、「崩壊の前兆ではないか?」とも感じたが、実際には、私自身の「人知」に過ぎず、結果としては、その後、強烈な「金融のメルトダウン」が発生したのである。
より具体的には、「商品」と「通貨」の両面を併せ持つ「デリバティブという金融商品」に関する「私自身の理解」が不足していたために、その後に発生した、「世界各国の中央銀行が結託して、人類史上、未曽有の規模で、国債の買い付けを実施した」という展開を予想することができなかったのである。つまり、「マイナス金利」を発生させてでも、「金利の上昇」を防ぐ金融政策については、私自身の予想を、大きく超えるものだったわけだが、一方では、この9年間を経験したことにより、「お金の謎」や「時間のサイクル」については、私自身が納得できるまでの理解ができた状況のようにも感じている。
別の言葉では、「人生の山登り」において、「富士山(富岳)の頂上」にまで到達したような感想を抱いたわけだが、一方では、この時に、全く違った風景が見えてきたのも間違いのない事実だった。つまり、今度は、「富士山」ではなく、「ヒマラヤ」や「マッターホルン」などの「世界の山々」が、私に迫ってきたわけだが、実際には、「ヤスパースの枢軸時代」という「約3000年前」から発生した「精神文明の繁栄」のことである。
より具体的には、「4000年ほど前に発明された文字」を活用することにより、「人類の知恵」が積み上げられてきた展開のことだが、この時に、同時に発生したのが、「人類の苦悩」という「心の問題」だったものと考えられるのである。そのために、今後の課題としては、「仏教」や「古代ユダヤ教」、そして、「ギリシャ哲学」や「新約聖書」などに関して、基本的な知識を学ぶことのようにも感じている。
つまり、40年ほど前、「経済」や「金融」などを、初歩から勉強したように、今度は、「宗教」や「哲学」などを、基本から研究し始める必要性のことだが、この点に関して、興味深い事実は、「今までの研究方法が、新たな分野にも通用する状況」だった。具体的には、「演繹法や帰納法」により「全体像を把握する態度」、あるいは、「文明法則史学」や「心の座標軸」などを応用することにより、「その時々に、人々は、どのような意識と理解で、人生を送ったのか?」を考えることである。(2020.7.9)
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世界的な金融コントロール
今回の「コロナ・ショック」については、将来的に、「歴史的な大転換が始まるための、キッカケとなる事件だった」と語り継がれるものと考えている。つまり、「西洋の時代」の最終局面に「資本主義」が誕生し、また、その最終段階で、「デリバティブの大膨張」、あるいは、未曽有の規模で「マネー大膨張」が発生したわけだが、この時の注目点は、「約20年間にわたり、金利をはじめとして、さまざまな商品価格がコントロールされた」という事実でもあるようだ。
別の言葉では、「第二次世界大戦の末期」に実施された「価格統制」のような状況が、今回は、「世界的に、かつ、より巨大な規模で実施されたのではないか?」と考えているが、今後の問題点は、やはり、「コントロールが効かなくなったときに、どれほどの反動が発生するのか?」ということである。つまり、現在は、「22年目に入った日本の実質的なゼロ金利」を筆頭にして、「人類史上、最大規模の歪み」が、世界の金融界で発生しているものと思われるが、この原因としては、「今までの流れは継続する」という理解や認識が積もり重なった状況が指摘できるようである。
より具体的には、「お金(マネー)」に対する信頼感が、時間の経過とともに、より一層、強くなっていった展開のことだが、興味深い点は、最後の段階で、「デジタル化のバブル」とでも呼ぶべき事態が発生した事実である。つまり、世界中の人々が、目に見えない「単なる数字」を、まさに、「神様」のように信仰した状況のことだが、この点については、間もなく、「化けの皮が剥がされる展開」も考えられるようである。
別の言葉では、「若干の金利上昇」により「世界の金融システムが崩壊する可能性」のことだが、この時には、世界中の人々が、「デジタル通貨の正体」に気付かされるものと考えている。つまり、最近、海外で盛んに議論され始めたように、現在の「マネー(通貨)」は、「裸の王様」の物語のとおりに、「実質上、何も存在しない状態」となっていながらも、「単に、人々が存在すると信用しているに過ぎない状況」となっているのである。
そして、このような「異常な状態」を維持するために、「世界的な金融コントロール」が実施されてきたわけだが、このことが、私が想定する「金融界のブラックホール」、あるいは、「仮想現実の世界」だったわけだが、現在では、徐々に、コントロールが効かなくなり始めており、その結果として、たいへん近い将来に、本格的な「金融の大混乱」、すなわち、「未曽有の規模の大インフレ」が、世界を襲い始めるものと考えている。(2020.7.10)
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「命」と「お金」のせめぎ合い
「2019年9月」に行われた「グレタさんの国連演説」については、「世界中の人々が、少なからぬショックを受けた状況」だったが、この時に大勢を占めた意見は、「環境も大事だが、経済の方が、より重要だ」というものだった。そして、その後の展開としては、「オーストラリアの山火事」に続き、「コロナ・ショック」という「世界的なパンデミック」であり、この過程で言われたことは、「命を救うためなら、いくらでもお金を使うべきだ」というものだった、
つまり、「お金よりも、命が大切だ」という認識に転換していったわけだが、現在では、徐々に、「経済を止めると収入が無くなる」という議論に転換し始めているようにも感じている。別の言葉では、「命も大切だが、やはり、お金も大切である」という認識への「揺り戻し」が発生している状況のことだが、この点については、「相場」と同様に、「転換点における特徴」の一つとも考えている。
具体的には、「波高きは天底の兆し」という「相場の格言」のとおりに、「上がったり、下がったりを繰り返しながら、気が付いたら、相場の転換が終わっていた」という状況のことだが、今回は、「西洋の唯物論」を代表する「お金(マネー)」と「東洋の唯心論」を代表する「命」との間で、同様の「せめぎ合い」が発生しているようにも感じている。そして、今回も、「気が付いたら、いつの間にか、転換が終わっていた」というような状況が、数年後に訪れるものと感じているが、現在、この点に関して、最も重要なポイントは、やはり、「国債価格」であり、また、「デリバティブのバブル」だと考えている。
より詳しく申し上げると、現在は、「1600年に一度の大転換期」に遭遇しており、この事実を理解することが、今後、「命」のみならず、「お金」に関しても、きわめて重要な点のようにも考えられるのである。つまり、現在のような「大量のデジタル通貨」が産み出されるためには、「約800年前」から発生した「ルネッサンス(古代文明の復活)」や「400年ほど前」に出来上がった「時は金なり」という思想、そして、「過去200年間」に及ぶ、「世界的な実体経済とマネー経済の大膨張」という過程が、必要かつ、不可欠の条件だったことも見て取れるのである。
しかし、現在では、「大膨張したマネー」に関して、「わずかな金利上昇で、世界の金融システムが崩壊する可能性」があり、タイミングとしても、たいへん近くなっている状況のようにも感じている。(2020.7.11)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
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〔opinion9998:200805〕
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