青山森人の東チモールだより…指導者たちの意思不疎通という難関
- 2020年 8月 5日
- 評論・紹介・意見
- 青山森人
20年前の今ごろ……
20年前の今ごろ、つまり東チモールが国連暫定統治下にあった2000年の今ごろ、侵略軍による暴力から解放された歓びが、国際社会に押し付けられる理不尽さによる苦悩にとってかわられたときでした。そしてわたし個人としては、現在首相を務めるタウル=マタン=ルアク解放軍司令官(当時)と同じ家に滞在しているときでした。
20年前の今ごろ、東チモールが国際社会に押し付けられる理不尽さは、疲労を重ねるタウル=マタン=ルアク司令官の表情や、あるいは抵抗運動に身を捧げてきた若者たちが荒れていく様子などを見れば一目瞭然・明々白々の現象でした(この辺の事情は拙著『東チモール 未完の肖像』[2010年、社会評論社]を参照されたい)。それでも20年前の今ごろは、暴力支配をうけない状況下で東チモールが国家の基礎づくりに着手できた記念すべき時期だったといえます。
行く手に立ちはだかる難関
20年前の今ごろ、自由を獲得し意気揚々と独立へと前進するはずだった東チモールですが、指導者たちの前に立ちはだかったのは、それまでインドネシア軍による東チモール占領を陰に陽に背後から支えてきた国際社会でした。そして東チモールの指導者たちを身を挺して守り抵抗運動を支えた民衆とくに若者たちを意気消沈させたのは、国際社会ばかりを向く指導者たちの態度でした。こんなはずではなかった……という重苦しい空気に覆われたのが20年前の今ごろでした。
ちなみに20年前の今ごろ、タウル=マタン=ルアク首相はこんな発言をしていました。
「国連の指導で武装解除が進んでいるが、まだ武器は手放さず、軍管区制度も維持している。現兵力は約1000人だ」。
「インドネシア軍と戦わなければならないという時代が私を戦士にしただけだ。自由と独立を勝ち取るという役目は果たせた」。
「独立したら、普通の人に戻ってビジネスの分野で国に貢献したい。もう軍人生活はたくさんだ」。
(以上、『毎日新聞』 2000年3月18日より)
独立後、タウルさんは国防軍の将軍になるわ、大統領になるわ、そして現在は首相になるわで「普通の人」とはよくいったものです。おそらくタウルさんにしてみれば、「普通の人」に戻る贅沢が許されない状況に対応しているだけだというかもしれませんが。
あれから20年、世界的な流行病(はやりやまい)という世界共通の災厄が東チモールに(そして世界中に)立ちはだかろうとは、お釈迦様でも(東チモールはカトリック教徒が大半なのでキリスト様というべきか?)気づきはしなかったでしょう。
新たな感染者
新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐために発令された非常事態宣言(2020年3月26日~6月27日)が解除され学校の活動が再開されましたが、保健省の求める手洗い設備などの衛生基準を満たしていないという理由でデリ(ディリ、Dili)市内の学校の12%がまだ再開できないでいると報じられています(『テンポチモール』(2020年7月27日)。貧富の格差や言語問題などですでにかなりの格差が生じている教育分野を新型コロナウィルが襲っています。新型コロナウィルに付け込まれて格差拡大にならないようにするのが政府の務めです。
東チモールでは4月25日から8月3日まで、新型コロナウィルスの新たな感染者は出ておらず、5月15日からは感染治療患者もゼロの状態が続いていました。しかし8月4日、保健省は新たな感染者一名が確認されたことを発表しました。46歳のインドネシア人男性ということです。この難関をしのぎ、新型コロナウィルによる死者を出していない冠たる地位を守り続けてくださいと祈るのみです。
シャナナ、交渉団代表を辞任
7月9日、政府閣僚会議は、国の石油公社・チモールギャップ社のフランシスコ=ダ=コスタ=モンテイロ社長を解任し、アントニオ=ジョゼ=ロイオラ=デ=ソウザ氏を新社長に任命しました。このことを報道で知ったシャナナ=グズマン氏は翌10日、領海国境交渉団の代表を辞任するとタウル=マタン=ルアク首相に書簡で伝えました。
領海国境交渉団は隣国(インドネシアとオーストラリア)との領海国境を画定するための交渉だけでなく、チモール海の「グレーターサンライズ」ガス田の開発交渉も担う国家機関です。これまでずっと一貫してこの交渉団は、たとえ2017~2018年のフレテリンによる少数連立政権時代であっても、シャナナ=グズマン氏に率いられていました。チモール海の石油・ガス開発分野はシャナナ体制ともいえるシャナナ=グズマン氏の独壇場でした。しかしチモールギャップ社の社長がシャナナ=グズマン氏が知らない間に交代されたということは、もはやそうではないぞとタウル=マタン=ルアク首相は態度で示したことになります。
シャナナ=グズマン氏にしてみれば自分に一言の相談もなくチモール海開発にかんする組織編成がなされたことに反発を覚えるのは当然といえましょう。タウル=マタン=ルアク首相への書簡のなかで「辞職願いを提出せざるを得ない……」という表現でその反発の想いを滲ませています。
あるいはまた別な見方もできます。指導者たちのあいだで確執が深まる中、シャナナ=グズマン党首のCNRT(東チモール再建国民会議)が追い出したはずのタウル=マタン=ルアク首相のPLP(大衆解放党)がフレテリン(FRETILIN、東チモール独立革命戦線)とKHUNTO(チモール国民統一強化)と組むことに成功してしまったために、逆にCNRTが政権の座から追い出されて下野してしまったことを鑑みれば、シャナナ=グズマン氏にとってチモール海開発の組織体制が編成されてしまうことは想定内、意外性はそれほど覚えなかったのではないでしょうか。第一、新型コロナウィルスの影響で「グレーターサンライズ」ガス田の開発は戦略の練り直しを余儀なくされ(なにしろ中国が頼みの綱ときている)、しばらくこの分野から距離を置くのも悪い相談ではないと考えているかもしれません。
いずれにしても今回のこのチモールギャップ社・社長交代劇とそれに続くシャナナ=グズマン氏の交渉団代表辞任の件は、指導者たちの意思疎通のなさを改めて露呈したかたちとなりました。これは「政治的袋小路」「政治危機」は何も解決されていない証拠です。新型コロナウィルスよりこちらの方が東チモールの行く手に立ちはだかる難関かもしれません。
青山森人の東チモールだより 第423号(2020年08月)より
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10000:20200805〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。