本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(269)
- 2020年 8月 18日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
神風特別攻撃隊
現在は、日々刻々と、「金融敗戦」に近づいている段階のようにも感じているが、この点に関して参考になるのが、「1945年」に発生した「日本の敗戦」とも言えるようである。つまり、最後の段階では、ご存じのとおりに、「神風特別攻撃隊」までもが編成されたわけだが、この根底には、「自らの命を投げ出してでも、お国を救うべきだ」、あるいは、「蒙古襲来の時と同様に神風が必要であり、そのためには、特別攻撃隊が必要である」というような理解や意識が存在したものと考えられるのである。
より具体的には、「1944年の10月」から「1945年4月」まで実質的な特攻が行われたといわれているが、その後は、「沖縄」、そして、「本土」へと、連合軍の攻撃が広がっていったことも見て取れるのである。つまり、1945年4月の「戦艦大和の沈没」という衝撃的な事件をキッカケにして、その後は、「連合軍からの攻撃に耐えるだけの期間」が「約4か月間」も継続したのである。
別の言葉では、「命よりもお国の方が大切な時期」というのは、結果として、「半年」から「10か月」という期間で終了したものと考えているが、このことは、今回の「お金の方が、命よりも大切である」という理解にも当てはまるものと感じている。つまり、「コロナ・ショック」に驚き、「休業要請」を発出したものの、それに見合うだけの「保障」ができなくなった結果として、「コロナウイルスに罹患するリスクがあっても、経済を優先すべきである」というような態度に変化した状況のことである。
より具体的には、「経済面における神風特攻隊」とでも呼ぶべき状況が、現在、世界的に発生しているものと思われるが、約半年後の「今年の末頃」には、「世界全体で、紙幣の大増刷が実施されている状況」、すなわち、「お金の価値が激減している状況」も想定されるのである。つまり、これから予想される事態は、「デリバティブの完全崩壊」と「ハイパーインフレの発生」であり、その結果として、「神様と崇められていた現代のマネー(デジタル通貨)」が消滅し、その後、「命の大切さ」が再認識される状況も想定されるのである。
そして、この時の注目点は、「最後の数か月間に、過去の愚を繰り返さないこと」だと考えているが、実際には、現在が、「1944年の10月」に匹敵する可能性を考慮しながら、今後、「金融敗戦の時期」までに、「新たな価値観を構築し、次の時代に備える必要性」のことであり、この時に注目すべき点は、「インフル(コロナウイルス)」のみならず、「インフレ」の脅威だと考えている。(2020.7.23)
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通貨の堕落
現在、最も憂慮すべき点は、世界的な「紙幣の大増刷」が、すでに始まっている可能性であり、この時に考慮すべき事実は、「今後、どの商品が生き残るのか?」だと感じている。つまり、「過去200年間における資本主義の時代」においては、「多種多様の商品」が次々と生み出されながらも、「マネーの膨張」により、「通貨の健全性」が保たれていたことも見て取れるのである。
別の言葉では、「新たな商品」が産み出され続ける限り、「通貨の堕落」が発生しないものと考えているが、現在の問題点は、「2008年前後のGFC(金融大混乱)以降、人類史上、未曽有の規模で、通貨の堕落が発生している可能性」とも思われるのである。つまり、「金融商品」には、「商品」と「通貨」の二面性が存在するが、「GFC以降は、商品の性質が完全に消滅した状況」でありながら、一方で、「通貨の側面」については、「量的緩和(QE)」により、「時間稼ぎ」と「問題の先送り」が実施された状況だったのである。
より具体的には、「国民の資産を使い、国債を買い付け、超低金利状態を生み出した状況」のことだが、現在では、この時に使われた「デジタル通貨」が、ほとんど枯渇したものと考えている。つまり、「日米欧の中央銀行」において、すでに、「紙幣の増刷」が始まっている段階とも想定されるために、これから熟慮すべきことは、やはり、「どの商品に、今後、購買力が向かわなくなるのか?」ということだと感じている。
別の言葉では、「金の切れ目が縁の切れ目」、あるいは、「無い袖は振れぬ」という諺のとおりに、今後は、「世界中の人々が、自らの生き残りを図る状況」も想定されるのである。つまり、現在の「コロナ・ショック」と同様に、今後は、「自らの命が失われないためには、どのような行動を取るべきなのか?」を、多くの人々が考え始めるものと思われるが、この時に注目すべき相違点は、「目に見えないウイルス」が発生するのではなく、「目に見えないデジタル通貨」が消滅する状況とも言えるのである。
より具体的には、「いつまでもあると思うな親と金」という言葉のとおりに、「気が付いた時には、使えるお金が消滅していた」という状況のことだが、この点については、「1991年のソ連」が参考になるものと考えている。つまり、「国債価格の暴落」とともに、「金融商品」や「サービス商品」などへの需要が激減し、一方で、「食料」や「貴金属」などを買い求める人が激増した状況のことであり、このような観点からは、今後、「デジタル商品」などは、ほとんど、見向きもされなくなる可能性も考えられるのである。(2020.7.27)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion10037:200818〕
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