ナミビアに対するドイツの賠償が始まり?
- 2020年 8月 28日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤 豊
CNN が8月12日付けで驚くニュースを伝えてきた。
「Namibia president says Germany’s reparation offer for colonial-era mass killings ‘not acceptable’」
https://edition.cnn.com/2020/08/12/africa/namibia-rejects-germany-reparation-offer/index.html
ドイツはナミビアが2017年から要求をしてきた虐殺に対する賠償請求を無視してきた。てっきり頬っ被りを決め込んでいたものと思っていたところに、金額まで含めて提案してきた。
ナミビアは、南西アフリカと呼ばれ1884年から1918年までドイツの植民地だった。ドイツ領南西アフリカについては、下記ウィキペディアを参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E9%A0%98%E5%8D%97%E8%A5%BF%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB
植民地時代の虐殺の賠償をいいだしたら、ドイツとナミビアの二国間の賠償ですまずに、ヨーロッパ列強と植民地間の賠償問題に飛び火する可能性がる。
植民地時代の虐殺は百年以上前のことだが、1968年11月26日、第23回国際連合総会で、「戦争犯罪及び人道に反する罪に対する時効不適用に関する条約」が採択されたことから、二百年でも三百年前の虐殺でも賠償を請求できるようになった。
現にコンゴはベルギーに対して賠償を請求しているし、ナミビアへの賠償がきっかけとなって、メキシコやペルーがスペインに、インドがイギリスにという話に発展しかねない。コンゴの請求については、以前「ちきゅう座」に寄稿した「BLMの白人参加者、覚悟のほどは?」で触れている。
ナミビアでの虐殺は十万人ほどだが、ベルギーはコンゴで一千万人から一千五百万人虐殺している。現在のベルギーの総人口はせいぜい一千二百万人だから、自国の人口に匹敵する人たちを虐殺したことになる。
http://chikyuza.net/archives/104679
CNNの記事によると、やっとでてきたドイツからの提案を、ナミビアの大統領Hage Geingobが、「受け入れられない」と拒否した。提示された金額の多寡ではなく、ナミビアが要求してきた「Repatriation(賠償)」ではなく、ドイツが「healing of wounds(直訳すれば傷の治癒)」という言葉を使ってきたことに反発した。
2017年1月6日付けのDie Weltによると、(「Berlin unruffled by US lawsuit on colonial-era genocide」から)記事の前日、1月5日にアメリカで、虐殺された人たちの遺族が植民地時代のドイツ帝国による虐殺の賠償を求めてドイツ政府を訴えたことから始まっている。
「Namibian tribes sue Germany in NY over century-old genocide」
https://www.dw.com/en/namibian-tribes-sue-germany-in-ny-over-century-old-genocide/a-37033387
写真をみればドイツ帝国による植民地支配がいかに過酷だったか想像できる。
植民地軍と入植者が土地の接収に抵抗した二部族の人たちを虐殺した。数万人から十万人と言われているが、虐殺された人の人数以上にドイツ帝国の植民地支配や虐殺の経験が第二次大戦時の強制収容所に生かされたという歴史的背景がある。
注) 虐殺された人の数
CNNのニュースではアメリカホロコースト記念博物館の資料を参照しているのか、1904年と1908の暴動で八万人としている。Die Weltの記事では、書いた人によって違いがある。ある記事では九万人、別の記事では十万人になっている。
Die Weltは同日付けで、訴訟をうけたドイツ政府に反応を伝えている。表題に「unfulled」とあるように、そんな百年以上前の話でとドイツ政府は黙殺を決め込んでいた。
「Berlin unruffled by US lawsuit on colonial-era genocide」
https://www.dw.com/en/berlin-unruffled-by-us-lawsuit-on-colonial-era-genocide/a-37037313
さらにDie Weltは、2018年5月9日付けで、ドイツ政府の処理が遅すぎるとナミビア政府が言いだしたと伝えている。表題の「losing patience」を意訳すれば、もう待ってられない。堪忍袋の緒も切れたになるか。
「Namibians losing patience over German slowness to act on genocide claims」
http://www.dw.com/en/namibians-losing-patience-over-german-slowness-to-act-on-genocide-claims/a-43715135
待ちくたびれたところにでてきたのが「賠償」ではなく「傷の治癒」だったということから、冒頭のCNNニュースが伝えるように、ミビアの大統領Hage Geingobがドイツの提案を拒否した。
賠償請求にいたった南西アフリカと呼ばれた植民地支配から独立までの歴史はざっと下記の通り。
1) ドイツ植民地から独立までの歴史
<ドイツ植民地>
1884年にドイツ帝国による南西アフリカの植民地化が始まる。
アメリカホロコースト記念博物館の資料によると、土地の押収に抵抗してヘレロ族が蜂起し、1904年から1908年にかけて、ヘレロ族とナマ族の八万人が虐殺された。
<南アフリカ委任統治領>
第一次世界大戦後、1921年に国際連盟によって南西アフリカは南アフリカ連邦の委任統治領とされる。
<南アフリカに併合>
第二次世界大戦後の1946年に南アフリカに併合された。国際法上不法占領にあたるとみなされた。
<国名をナミビアとして独立>
ナミビア独立戦争(1966年から1990年)を経て、1990年3月に独立。
2) 賠償請求と交渉
虐殺の賠償交渉が続いている。8回交渉が行われている。
ドイツの第二次世界大戦の強制収容所に直接つながる虐殺だとして、虐殺された人々の子孫が、ドイツ政府に対して40億ドルの賠償を要求している。
2020/8/24
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10060:200828〕
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