中国のサービス体制
- 2020年 10月 26日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
- サービスマンは、施設工事―コミッショニンングを通して育成する。
- サービス部品は通常お買い上げいただくことにしているが、米中友好にもとづいて弊社の負担で御社の指定する倉庫、あるいは宝山鉄鋼内に保管させていただく。お買い上げいただくと一年間の保証期間が始まってしまって、使う時には保証期間が過ぎてしまっているということが起きる。弊社の負担で在庫させてもらえれば、使うときになって保証期間が始まるし、使った製品分のお支払していただければ結構。富山の置き薬と同じだ。
熱意のないところから意味のあるものが生まれてくるとは思わないが、熱意だけではどうにもならない。
市場開拓は間違いなく進んでいる。何もないところから飛び込み営業でおしかけては会社や製品の紹介をくりかえして、製鉄や水処理関係の引き合いがちらほらくるようにはなった。連鋳機は日造しかなかったが、ひっきりなしに見積依頼がでてくる。せかされるままに見積をだして、宝鋼の技術検討会という茶番にまで呼んでいただいた。
そこまではいい。時間はかかっているが順調にいっている。ただ注文は?と聞かれると辛い。来るものやら来ないものやら、くるにしても、いつになったらくるのか分からない。
仕掛けどころを間違ったのではないかと不安がつのる。ただ日造以上の連鋳機メーカはないんだし、ここまでくれば、そのうち受注できるだろうと思っていた。
日造の連鋳機が何台稼働しているのか知らないが、宝山鉄鋼には岩盤の実績があると聞いていた。散々技術指導もしてきたし、一貫製鉄ラインの設営で長期に渡る出張をしているうちに何人もの若い技術屋が宝山鉄鋼の女性と結婚して、宝山鉄鋼で働いている。義理人情には厚い中国ことだし、失注、失注が続くなど予想だにしていなかったのだろう。口にはしなかったが、杜仲茶まで売ってやってるじゃないかという気持ちもあったと思う。
ある日の午後、へんに時間が空いてしまった。会議室で何もやることがない。会議でも座っているだけで何もやることがないが、それでも会議にでているという仕事とも言えない仕事はしていた。どうしたものかと思っていたら、部長が中国側の人に折り入ってという感じで通訳を通して話していた。
日造が施設した電気室だけでいいから、このACの人に見せたいということだった。中国側から二人でてきて、五人で車にすし詰めになってでていった。どこにいるのかよくわからないが、三階以上はある階段を上っていった。電気室は、製鉄所でも化学プラントでも灰色の配電盤がならんでいるだけで、なにがあるわけでもない。静電気が埃を呼ぶのだろう、電気室はどこも誇りっぽい。宝山鉄鋼における日造の立場に疑問をもち出しているのを察して、実績を見せてとでも思ったのだろう。そんなもの見せられてもとも言えない。丁寧にお礼を言って会議室に戻った。
引き合いは来る。来れば見積もらなければならない。手一杯で今回はスキップさせてもらいたいとは言えない。ACから見積がもらえなければ、日造が応札できない。後日それとはなしに聞いた話からの想像だが、もう何年にもわたって仕事という仕事がなかったようで、事業を継続できるか、撤退するかの瀬戸際に追い込まれていたらしい。
負けが込んでくると、誰でも気が弱くなる。見積依頼を出してくるときの口調にもそれが滲んできた。当初のように相手にしてやるからといったものから、これ頼めないかなというのを感じるようになっていた。それはこっちも同じで、だんだん事業部に頼みにくくないっていた。そんなところに、熱のこもった引き合いがでてきた。もうあとがない。こんどこそはというのがわかる。事業部にもその熱意を伝えて、多少の手は抜いてもいいからといいながらも、しっかりした見積をと頼んだ。
ACでは製鉄プロジェクトを担当している営業マンが毎日メールと電話メッセージで情報を交換していた。知っている限りでしかないが、常連はイギリス、オランダ、ドイツ、イタリアにオーストリアとピッツバーグのインダストリー・セールスだった。みんなの関心はどの機械メーカやエンジニアリング会社がショートリストに残る可能性が高いかだった。可能性がほとんどなければ、見積依頼をもらっても、お付き合い程度の参考見積で済ますか、体よく断ることもある。見積はすべて事業部から出るもので、現地に散っている営業マンは機械メーカやエンジニアリング会社との窓口担当で、提案の内容も価格も附帯事項についてもなんの権限も与えられていなかった。ただの営業マンなのに、まるで諜報部員かのように主要装置メーカやエンジニアリング会社の応札状況やシーメンスの動きを追いかけていた。
住重からアメリカの製鉄メーカ向けの連鋳機の話を聞いたときは勝ったと思った。まさかホームグラウンドのアメリカでシーメンスに歯が立たないとは思いもよらなかった。それが一度ならず二度三度と重なると、シーメンスがでてきたら、さっさと戦場放棄したほうがいいのかと思いだした。
シーメンスの影を気にしながら市場開拓を進めていったが、連鋳機以外でぶつかったことがない。状況にもよるだろうが、どうも一億円をちょっと超えたあたりまでは日本支社が対応していて、こういっちゃあ失礼だが「お嬢様ラグビー」のようで、相手にするまでのこともない。
連鋳機となればビレット用でも二億や三億にはなる。スラブ用なら七億かそれ以上に膨らむ。こうなるとドイツ本社がのりだしてきてお得意のパワープレーで押してくる。輪転機は大きくても三千万円ほどにしかならない。そこには日本の重電メーカがいるだけで、円高ドル安のおかげで価格勝負に持ち込める。ACの事業規模では数千万円クラスのリピートオーダーを期待できる単体機械装置用ドライブ・システムに特化すべきで、それ以上は手を出さない方がいい。
新居浜にいったとき、住重からの見積依頼ほしさに製鉄プロジェクト関係の情報網についてちょっと話した。かい摘んで話しただけなのに、プロジェクトのたびにどこが有力なのか、そして住重がショートリストに残れる可能性がどれほどあるのか訊かれた。アメリカやヨーロッパのメーカの新製品の情報を取り寄せてもらえないかと言う話まででてきた。何を訊かれてもメールで要件を放り投げれば、世界のどこかから大まかにせよ情報が入ってくる。
日造が熱くなっているプロジェクトについても聞いてみた。誰もはっきりした情報をもっていなかったが、今回は日造が取りにでていっていることだけは間違いなさそうだった。極端な場合、政治的な判断から原価割れでプロジェクトを買ってしまうということも起きる。
背水の陣なのだろう、宝鋼になんども一緒にいった課長がとんでもないことを言ってきた。
「宝鋼の要求を逐一吸いあげるために、一人もうすぐ上海事務所に詰めることにした」
「メールやファックスに電話で本社に入ってくるけど、そのなかでACさんに対応してもらわなければならい事も多いから、土日も長時間の外出をさけて家で待機してほしい」
そっちが上海支社に詰めるのも週末返上するものいいけど、こっちにまで言われても困る。だいいち日本で聞いても、アメリカの事業部に問い合わせなきゃ、答えられないんだから。
「えっ、土日もですか。何を聞かれても日本で回答できることはほとんどないですよ。モータ一台、センサー一個、日本でどうこうできないですから。アメリカの事業部に伝えて、回答を引き出すことしかできないです」
「それでもいいから、土日は家に詰めて、即の回答をお願いします」
「まあ、家にいるのはいいにしても、愚生がお応えできることは限られてますよ」
といったら、声を荒げて、
「ここでとりそこなったら、いままでやってきたことが全部水の泡になっちゃんや。トンシやでトンシ」
トンシ? 何を言っているのか分からなかった。ああもしかして造語で豚死?犬死は聞いたことあったが、豚? 頓死だと分かったのは随分たってからだった。分かったといっていいのか分からないが、頓死は急死のことで意味が違う。でも、トンシといった気持ちは分かる。
そんな体育会系のノリで精神論を振り回してるから、合理的なコストダウンをできずに今日にいたったというか、こんな状態になっちゃったんじゃないのと思いながらも、人様のことで口にはだせない。
「愚生ができることはなんでもしますけど、できないことは事業部に問い合わせるしかないですから」
とちょっと押し返して電話を切った。
心の準備はしておいてくれということだと思っていたら、かかってくるかかってくる。日に十回まではいかないが、思いついたかのような細かな仕様変更で、そんな変更どっちにしたってコストに影響ないから、現地で処理するぐらいの考えはないのかと呆れてしまった。
細かな仕様変更がおさまってきて、ほっとしたのもつかの間、難題が転がってきた。
「宝鋼から要求されてんだけど、シーメンスと同等のサービス体制を敷いてもえないか」
そんなとんでもないことを軽々しく言われても困る。日本支社でどうできることでもなければ、中国でどうにかという話でもない。AC本社、それも役員会議か、あるいは親会社で検討されることで、今日明日で決められることじゃない。
随分経ってから訪問して知ったが、シーメンスは北京にまるで大学ではないかと見間違える中国支社を構えていた。いくつもの綺麗な建屋がならんでいて、従業員が千人以上いただろう。宝山鉄鋼内に合弁会社までもっていた。
巨大な戦艦のようなシーメンスにタグボートのようなACが竹やりもって、どう考えても勝ち目なんかありっこない。それでも、来月の技術検討会にはなんからの提案を持って行かなければならない。お茶をすすってるだけのChina ACはあってもなくても同じだし、イェンはAC Chinaの人材探しに走り回っている。保守部品は事業部から持って来ればいいにしても問題はサービスマンをどうするかだった。人材の育成には許容限界のレベルまでにしても最短で二年三年、普通五、六年はかかる。いくら考えても答えがない。
支社という名前はあっても使える従業員がいない。どうやったら千人を超えるシーメンスに対抗できるか? あの広い中国で、できっこない。毎日どうしたものかと考えていた。いくら考えてもこれというのがでてこない。ある日、昼飯食って眠気を誘う午後、はたと思いだした。なんだぁ、そういうことか。宝山鉄鋼が要求しているのは中国におけるサービス体制じゃない。宝山鉄鋼だけでいいんじゃないか。こんな当たり前のことに気がつくのに二週間以上かかった。それでも人材がいないことに変わりはない。宝山鉄鋼を納得させる手は一つしかない。人と物。人のマイナスを物で補うことで事業部を説得した。
技術検討会でサービス体制を提案した。隣で聞いていた日造の部課長は自分のことでもないのに得意顔だった。宝鋼の担当者の複雑な顔が気になった。なんだその顔は? サービス体制の不備を理由にだったのか。ここまでやっても、「Thank you, but no thank you」で終わるのが見えた。何のことはない、今度こそはと意気込んでいたのに失注か。日造の限界を見せられた。
あっけなく技術検討会も終わって、今日は早く帰れるかと思っていたら、日造が頼んだのか、宝鋼が気を使ってくれたのか分からないが夕方食事会になった。なんだか分からないが、宝鋼と日造で話が進んでいたらしい。賓館の食堂の奥まった大きな個室の円卓に十数人集まった。宝鋼から声がかかっていたのだろう、イェンが来ていた。何なんだこの会はと思いながらイェンに言った。
「お前もくるなら、一言ぐらい言っておけ」
「いや、オレも三時過ぎに電話かかってきて」
「オレもさっき言われたんだけど、なんのかわかなんだけど、これなんなんだ」
「おい、お前、手に持ってんの酒か」
「ああ、副総経理と会えるってんで、まさか手ぶらでってわけにもいかないじゃないか」
日造の部課長にイェンを紹介して、イェンと一緒に副総経理に挨拶にいった。
まだ四十後半だろう。仕立ていいスーツにブランドのネクタイ。ウォールストリートを闊歩しててもおかしくない。こう言っては失礼になるが、中国人らしくない。
中国側の世話役に言われるまま席についた。
副総経理が立ち上がって、お決まりの挨拶と言うのかお礼というのか、イェンが隣で通訳してくれた。渉外担当でもあるまいし、場慣れしているのに呆れた。慣れたもんでしっかり話についていった。
「先進の製品とソリューションを紹介して頂いてACさんには改めてお礼をいいたい」
「紹介してくださった日立造船さんにも、改めてお礼を言わせていただきます」
「ACという会社があることも知らなかった。是非使ってみたい製品であることは分かります。しかし、私個人としてのアドバイスとして受け取って頂きたいのですが、弊社の傘下で実績をお積になってから、お会いできたらよかったのにと残念に思っています」
くそったれ、イェンがそれ見たことかという口調で通訳してきた。
もうここまできてんだから、今さら傘下にってものないだろう。もし本当にそう思うのなら、日造に傘下のあそこに行けっていえばいいじゃないか。
もういい、今回の戦も終わった。同じ賓館の料理なのになんでこんなに違うという料理と老酒を愉しんだ。
みんな酒も入って賑やかになったところで、椅子の後ろから声をかけられた。訛りは強いがしっかりした英語だった。何のことかと思えば、ちょっと部屋の外にと言って出ていった。一緒にでていくのがどうも変な感じがして、一分以上経ってからドアを開けてたら、待っていた。
なんだかわからないが、人のよさそうな笑顔が気になる。
握手をされて名刺を交換してまでとは違う、そこでなんで小声になるのか。するっと言われた。
「まだ商談終わってませんよ」
何を言っているのかわからない。日造から今回もだめだったと聞いているのに、何が終わってないんだと思っていたら、
「私の方でなんとでもしますから、どうですか」
ほころんだ笑顔が上手すぎて、地とは思えない。
なんとでもしますって、何をどうしようってんだ?
なんと話の分からないヤツだと思ったのだろう。どことなく冷たさの混じった微笑みに変わって、
「副総経理はああいってますが、あれは表向きで……」
「武漢との話はつけてありますから、あとはこっちで」
「武漢も日本とドイツの技術に偏りすぎて、アメリカの先端技術を導入しなければと思っている人がいますから、大丈夫です」
「何が大丈夫なんだ」
満面の笑顔で、この話、のらないのはないでしょうって口調で言ってきた。
「お判りでしょう」
なんだコイツ? そうか、そういうことか、そういう社会だったんだと、やっと気がついた。酒もはいっていて、顔をみるのも面倒になった。
「ありがたいお話なんですけど、アメリカの会社でオレ一人でYesって言えないの、分かってもらえますかね」
つとめて平静に言ったつもりだが、顔に出ていたかもしれない。もらった名刺は今晩にも捨ててやろうと思った。入ってはいけない世界へのドアなんか知らない方がいい。日造が、あるいは商社が何をしようがとやかく言う立場でもないし、何も言う気もないが、こっちから入っていこうとは思わない。
終わった。やれることはやり尽くした感があった。会社の金を使って勉強させていただいた。申し訳ないという気持ちもあるし、はやいうちにどこかで返済しなきゃという焦りもある。でも無理して取った注文は必ずといっていいほどトラブル。ワシントン・ポスト向けの輪転機のように性能の限界でどうにもならないこともある。予算オーバーで騒ぎになることもあれば、納期が間に合わないなんてことも起きる。
プロジェクトが炎上でもすれば赤字だけじゃなくて人まで傷む。無理はほどほど、能力の限界の七割程度までで抑えておかないと、貴重な戦力を失ったあげくが感謝状一枚もらってなんてことになりかねない。戦力さえ保てれば次の戦場にもいけるが、感謝状なんてものは古傷を思い出させるだけでなにもない。
注文がなればトラブルもない。ごたついたときに客と事業部の間に立ってプロジェクトをまとめる腕力がどこまであるのか。まだまだ成長途上、焼き切れて潰されて終わりには早すぎる。失注でよかったのかもしれないと思いだした。輪転機もあるし、小さな注文は来ているから首はつながっている。支社の事業拡大のただ一つの賭け、そうそう簡単にゲームオーバーにできるわけがない。
p.s.
オレたちみたいな雑魚がいっても相手にされないだけだといっていたイェンが、二年後には二億円を超える注文をとってきた。棒材(ビレット)連鋳機用のドライブ・システムでも二億円や三億円にしかならないのに、製品の単体売りで二億。常識では信じられない。イェンのことだから表からだけじゃないだろう。捨て石になったが、そんなことはよくあることで、どうでもいい。ただ、「イェン、一言言ってこい」とだけは言いたかった。
2020/9/20
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10232:201026〕
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