映画『スパイの妻』パンフレットに感じる言論の不自由
- 2020年 10月 27日
- 評論・紹介・意見
- 岩田昌征
ヴェネチア銀獅子賞映画『スパイの妻』を観た。
対米英戦突入の1年前、昭和15年・1940年の神戸が舞台だ。裕福な貿易商が満州を自家用映画カメラを持って観光旅行していて、全く偶然に日本帝国関東軍の細菌戦とそこにおける没人道的行為の一端を知ってしまう。当事者軍医による詳細な内部告発資料と現場目撃証人の女性を神戸へ連れて帰る。
明らかに、731細菌部隊のことだ。ブルジョア貿易商は、日本帝国のかくされた戦争犯罪を国際社会に暴露すべく、悩みつつも協力する妻と共にアメリカへの亡命を企図する。
ここで私=岩田が論じたいのは、映画それ自体ではない。『スパイの妻』のパンフレットの内容のことだ。パンフレットを開いてみて、一驚した。主人公が死体の山を目撃した関東軍の細菌兵器研究施設に関する解説が1ページもない。金原由佳(映画ジャーナリスト)の文章「神戸と、映画と、コスモポリタン」に「関東軍の蛮行」や「許しがたい人権侵害」と言った具体性を欠いた抽象名辞によってしか触れられていない。欧米風の邸宅に住み、欧米流の文明生活を楽しんでいた夫妻にその生活と祖国日本を捨てる決意をさせるほどにショッキングな事実、731細菌部隊の人体実験に関する知識なしに、観客は映画のストーリーの要、夫婦の亡命の決意について行けるであろうか。「僕はコスモポリタンだ。」と言う主人公の宣言だけで納得出来るであろうか。私=岩田は、昭和15年の神戸でコスモポリタン的、コスモポリタン的的生活を謳歌していた主人公をして「的」を捨てて「僕はコスモポリタンだ。」と叫ばしめる731部隊の実相に全く触れないこのパンフレットを現代日本市民社会の忖度事例であると見る。
映画の末尾で、亡命を実行した「スパイの夫」はアメリカで生きている可能性があり、「スパイの妻」は敗戦後数年して渡米したと語られている。
史実においては、終戦直後731部隊の指導者グループは、アメリカ軍に貴重な細菌戦人体実験データをそっくり提供し、それと引き換えに戦争犯罪法廷への告発をまぬがれることが出来た。とすると、「スパイの夫妻」が祖国日本を捨て、アメリカへ亡命をはかった社会的意味は何だったのか。コスモポリタニズムの意味は。
令和2年10月25日(日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10238:201027〕
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