大阪「都」構想の惨めな現実
- 2020年 11月 2日
- 時代をみる
- 熊王信之
大阪「都」構想は、維新の思惑どおりにはならず、大阪市民の良識が示される結末となりました。 大阪市を複数の「区」と巨大な「一部事務組合」に分かつという維新の構想が住民投票の結果否定された訳でした。
この「都」構想なるものは、維新のレゾンデートルと呼ぶべきものであり、嘗て橋下氏が提唱されて以来、一度は否決されたものでしたが、新型感染症の危機下にあるにも拘わらず再度の住民投票に付されたものでした。
維新は、兎に角、「改革」と言う用語がお好きなようであり、何事に依らず「改革」を終始一貫して叫ばれるのが常であり、現況、大阪府と大阪市にあっては「二重行政」の解消が求められるが故に大阪市を無くして、「区」に分かつ必要がある、との主張でした。 ところがこれが大きな誤魔化しであり、実際には、大阪市を分割しては差支えのある業務を巨大な「一部事務組合」を作り、そこで業務を行う、と言う摩訶不思議な「改革」であったのでした。
現実に今存在する大阪府下の一部事務組合は以下のとおり。
大阪府 一部事務組合
http://www.pref.osaka.lg.jp/shichoson/kouiki/ichikumi.html
大阪府の一覧表を見れば、一部事務組合の業務は、字義どおりに「一部」にすぎませんが、維新の「都」構想では、膨大なものになります。
何故、こうした児戯にも等しい迷走が多額の経費を費消してまで住民投票に付されたのか、と問えば、地方にも国にも、一種の「改革」信仰があり、政治家も公務員も、その信仰に忠実に改革ごっこに励む習性が備わっているから、とでも言うしかない現実があるからです。
ある種の公務についている公務員ならば、首肯されるのですが、選挙の後に、そのある種の公務についている公務員の方々が都道府県等のある種の公務の連絡なり、情報交換の場に集合した折に、事務局の方々に問われることがあります。 「○○市さん。 選挙が御座いましたが、その後、機構改革等は御座いましたか? 機構の名称等は変更御座いませんか?」と。 また反対に、「府さん(或いはその他)。 選挙の後に機構は変わっていませんか?」と。
これは、何を問われているのか、と申しますと、住民(または、国民向け)に行政改革等の実施を行い、「住民(または国民)福祉の向上と行政の更なる合理化」を企図した行政改革を実施した、と喧伝したいがために、実際は、看板の書き換えに等しい行いを「改革の断行」を行った、と宣伝にこれ務めるからなのです。 空虚な宣伝に過ぎない空騒ぎ、とでも呼ぶべきものなのです。
即ち、「住民(または国民)福祉の向上と利便性の更なる向上のために行政改革を断行した」と宣伝し、自治体の新規首長や国の新首相の改革断行の毅然とした決意と公約の実行にこれ務める姿を示す、と云う訳です。 事実は、看板の書き換えに等しい行いを、です。
この国では、過去から今日まで、地方から国まで、一体全体、何度も何度も、こうした改革ごっこを行い、その度に経費と時間を無駄にしたことでしょうか。
映画「ヒトラー最期の12日間」(Der Untergang)の中で、ヒトラーは独軍の一隊に反撃を命じるのですが、参謀に当該の部隊にはその余力が無い事実を告げられ激怒する場面があります。 あのヒトラーに軍の現実の力量を伝える軍人が存在したのです。
処が、現代のこの国にあっては、愚鈍な児戯にも等しい行いを「改革」と言って憚らない政治家に現実を知らしめる周囲の者が存在しないのです。
維新の政治家でも気に入らない意見を吐いた者に、銃殺を命じることは無いのに。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye4782:201102〕
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